正論よりも大切なこと ~人間関係において曖昧もゆるせる優しさ~
ことばを使って、生きるわたしたち。
生きるうえでのコミュニケーションのほぼすべてを、言葉に頼るわたしたちは
ほんとうに「正しい」と思うことこそ、抑制できる力が必要です。
正論は、時に人を傷つける。
これをご存じの方は、その手前で言葉をふっと包み飲み込むことができます。
理論上も、法的にも「正しい」ことだからこそ、自分の主張と合わせて
つい言葉にしがちですが
ほんとうに人間性の高い方は、そうじゃない。
「あえて、降りる」
これが、出来るかどうか。
もちろん、そんなことお相手は気づかれないとしても、いったん抑えることができるかどうかが
わたしは愛を守れる人間関係/コミュニケーションだと思うのです。
「…でも、なぜ正論なのにこらえられるの?」
わたしは、この呼び名のない感情や非言語コミュニケーションを
優しさだと感じています。
ほんとうの、優しさ…
それは、正論を言うことによって相手の逃げ場をなくすこと、がわかる場合
瞬時に発動できる、誰にも気づかれない行為。
でも、気づかれなくても
「あえて、降りる」ことができる優しさ。
それを、真の強さと呼ばずして
一体なんとお呼びすればいいのでしょうか。
正論で、闘わない
これは、双方にその感覚があれる場合に生きられる優しさ。
でも、それが片方だけで、その分相手は自分の主張(正義)を出してこられる場合は、いったいどうすればいいのでしょうか?
…は、またもし機会があれればペンに取るとして。
(わたしなら、〇〇を選びますがそれはまた)
今日は人間関係やコミュニケーションにおいて大切だと感じていることを
自分なりにまとめてみました。
人によって、美学は違います。
ただその美学の天井を上げていくことも、大切にしたいですね。
流香
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