トレーナーになった理由②-1
今回の話の時代は中学〜高校の部活動時代の話です🥋
知っている人は知ってますが再度背景を整理しますね🎶
部活動: 柔道部(中学〜)
(やってたようには見えないとよく言われます笑笑)
出身: 赤穂市
(近畿の西の端です笑笑)
時代: 携帯電話📱とか持っている子もほとんどいない、PC🖥も高校から家に来たとかそんな時期でした。
父親: 中学体育教師で柔道部顧問(市内の他の学校のですけどね)
だいたいこんな感じの背景です💁♂️
ここで、なにが問題になってきたのかというと、背景にある父親が昔柔道で国体に出ていることですね😨
(これはね、僕にとっての問題なだけですけどね笑笑)
まぁ、先に言っておくと、今となってはどうでもいい話で、気にしてはないんですが🤚笑
職業を選ぶ時には影響を受けているので書いてますね😎
さて、戻ります🖋
当時は
『山崎先生の息子』という肩書が中学からいきなり登場する訳ですね:(;゙゚'ω゚'):
そんな未来が来ることも予想もできるわけもなく、柔道部に入部するわけですね🥋笑
最初の方はは特にわかりませんでしたが、、、中学生ですし
「山崎先生の息子だから強くならないと」
「親父は強かったから、頑張れよ」
とか、まぁ周りのいろんな大人たちに言われるとだんだんと感じる訳ですね…🤔
(周りの人も励ましで言ってくれていたと思いますが)
『あ、俺強くならんといかんのかと』と言う視線というか雰囲気と言うか、、、👀
それも、続ければ続けていくだけ、その強くのレベルの大きさがはっきりしてきます:(;゙゚'ω゚'):💦
10代も前半や半ばなので、自分のこともよくわかってない、そんな状態で正直
(´-`).。oO(知らねーよ、親が強かったら子ももちろん、強くなるべきみたいな伝統みたいなのなんなん?)
って言うのがあったと思います、、、
後から考えて、周りも気を使ってくれているところとか、守られていたところとか、そう言うところも多々あったんだろうなと思います。
まぁ、でもそこには学生の時にはなかなか気づけないんですよね🤔
別に全く頑張ってなかったと言うわけではないと思いますが、努力の量が足りていたのかと言われると微妙だったとは思います😨笑笑
結果的に強くなったかどうかというところでは、周りからの圧力を感じていたところから考えると、僕はそんなに強くはならなかったと思います🥋
途中心折れていたような時期もあり、辞めようと思っていた時期もありましたし😓
まぁ、そんなことが背景にあった地元での学生時代だったわけです🏫
ここから、周りからの期待と自分が出してきた結果(出せなかった結果とも言えますが)のギャップっていうところに焦点が当たってきます👀
②-2へ続く〜
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