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住宅営業の仕事は本当に不思議な仕事でした。20年でお引き渡しした210件のお客様とのお話。⑦

自分のこれまでのキャリアの振り返りとしてスタートしたこのブログでしたが、いつのまにか今年に入ってから襲ってきた新型コロナウィルスですっかりこの

ブログをスタートした原点を忘れていました。私のここまでの30年の社会人生活を振り返る意味もあってスタートしていた事を。原点回帰します。

ダメダメ社会人の私を1人前にして頂けたのはまさしくこの仕事を通して出会ったお客様が全てでした。1990年の1棟目契約のお客様が終わりしばらく、何故

だか契約が3カ月ぐらい取れなかったでした。これは当時は大スランプと見られていた時代でした。住宅営業の世界を知らない知らない方、又は久しぶりに会

う事がある学生時代の友達達の感覚は年間に4件売れば良い方だと思っているのです。そして大抵は出来た家を売るだけと思っている人も多かったです。

全く違います。当時は毎月平均二棟以上を目安に営業していました。今でも覚えているのは、月1棟の営業成果で終わった先輩が「ツキイチ」営業として罵声を

浴びせられていました。笑 これ本当なんですよ。そして出来上がった家を売った事は私は1件もありません。全部私が設計しました。これも本当です。

月1といえば半期6カ月で6件の家を売った事になるのですが。。。当時はこれは許されていませんでした。

半期平均8~9件の家を契約して、半期に半期に6件〜7件売り上げるイメージでしたら、まぁまぁの営業でしょうか。

当時で大体1件あたり金額は平均3000万円前後でしょうか。これを7件ぐらい売り上げしますから。半期売り上げ額は2億少しぐらいになるのでしょうか。

20年で210件ですから、アベレージで1年に10件を完成してお引き渡しして、売り上げしていた事になります。本当に本当に忙しかったでした。

でもなぜか1990年7月~9月売れなかったでした。上司が「どこか具合でも悪いのか?」と真剣に聞いてきます。どこも悪くありません。1件目の引き渡しが終わり

安心仕切っていたのです。気が抜けた様に。

「このままだと存在価値なくなるけど、大丈夫?」これは当時も今もパワハラでしょうか?どうでしょうか?ギリギリセーフですかね。

そんなこんなでいつもの様に営業活動をしていましたら、2棟目のN様にお会いしたのです。N様夫婦はお子様がおらず夫婦2人のための家を考えているとの

事でした。今住んでいる賃貸から奥様のご実家の広い畑の一部にお建てになる方でした。普段通りに間取りを私が考えて、積算をして、見積もりをお作りしまし

た。見学会の帰りに。。クロージングというのですが、

私と弊社で決めて頂けないでしょうか?

と上司同席でお伝えしました。するとあっさりN様が

「最初からあなたにお願いしようと思っていましたよ」

と言ってくださったのです。同席していた上司も拍子抜けしたのか、

ありゃ!?という感じになっていました。

この上司契約すると手の平をすっかり返す可愛い上司でした。今から考えると。。。。かなり褒めてくれました。上司同席までのお膳立てが上手いと。

全くそんな気持ちは爪のほどもなかったでしたが。笑

1990年10月の話でしたでしょうか。このあたりからこのクロージングという営業スキルが苦にならなくなってきました。むしろ同期入社の中では得意だったか

もしれないです。クロージングは破れかぶれでするものではありません。その時を待つというか、気が熟すのを待つというか。呼吸の使い方というか。

かなり後からになってからですが、やった事はないですが「居合道」のイメージです。。。。。これ営業やった事ある人又はクロージングを理解している人で

ないとイメージが湧きにくいかもしれないですね。侍が間合いを詰めて
「イヤーイ!」と刀を抜いて一刀両断するイメージです。

決してお客様を切っている訳ではありません。笑 

この感覚を覚えると営業という仕事の魔力に取り憑かれてしまうのです。

まぁ、今から考えると幸せな時代に営業していたのかもしれないです。N様はおそらく他社を検討するという事をほぼしなかったと思います。

当時もあまり他社競合を何社も入れて検討する方はそんなにいなかったでした。いつからでしょうか。1996年の消費税が上がる前からでしょうか。終わってか

らでしょうか。

あまり意味がない5社も6社も見積もりを頼むお客様が出現し始めたのは。

次回へつづく

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