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運が良いと言われる人の特性、特長。運を引き寄せる力。キャリアコンサルタント養成講座からの学び ⑨ジョン.D.クランボルツ先生『計画的偶発性理論』

私は29年間営業最前線の現場にいました。家を毎月売る営業の仕事です。今の時代は毎月売らなくて良いらしいですが。。。

以前別の会合で家を売る営業は出来ているものを売る、又は設計図も設計士が作るから、家の営業はとにかく、お客様に良いですよー、この家良いですよー、

だから買ってください!と強く言うだけと思っていました、、、
と言う方がいらっしゃいました。

確かにそれに近い住宅メーカーもあります。建売住宅専門の会社でしたらそれもあります。

私が長年身を置いた会社は全て営業がやります。お客様と出会ったところから、現地を見て概略寸法を測る、現地高低差、隣家の窓位置まで見る。次は役所調

査で建築の法的制限を確認。その足で法務局で公図、地籍図、建物図面、土地建物の登記簿謄本の閲覧又は取得。この調べた全てを使い事務所に戻り、敷地

診断報告書作成と第1回目のラフな図面と敷地配置図の提案書を作成。これを全て1人の営業でやります。もちろん次の段階から設計が入ることもありますが、

それは後の時代です。1990年にこの会社に入ってから少なくとも10年以上はこの生活を続けていました。だから帰宅はいつも深夜を回ります。

これで終わりません。お客様から承認を得て、次の段階に入ると、住宅ローン融資先の銀行の選定、多くの必要書類を回収して銀行ローン打診の手続き、設計士

が入って設計現地調査依頼をかける段取り。。。税金のことも相続との事も、民法も全部自分で専門職にも聞いてお客様に答えます。

これはあくまで第1段階です。こんな手続きを月に3件から4件かけていくのです。全て契約して頂ける訳ではありません。お客様も別の住宅メーカーも入れて

三社、五社競合なんて当たり前です。平均1.5件ぐらいの契約です。19年で210件私は家を建てていましたから、19年間で言えば毎月1件ぐらいを上記の段取

りを踏んでお引き渡ししていた事になります。かなり鍛えられました。住宅業界のシュワちゃん又はランボーです。望む望まずに関わらず。

途中営業の管理職になりましたから正確には25年この生活を続け、だいたい営業のトップクラスに入っていました。私はこの会社の仕事はアスリートと同じと

よく部下に話していました。アスリートはフィジカルも大切だが、それ以上にメンタルが大切と。一過性で売れる営業もたまにいるのですが大切なのはクレーム

を起こさない事とアベレージヒッターで売れる営業かで長い年月トップクラスに存在出来るかが決まります。1、2カ月をたまに爆発的に売る営業がいたりします。

ただこの私の会社の仕事は売るだけでなく家を完成させて最後の鍵をお客様にニッコリ笑ってお引き渡しするまで本当に営業が全てやるのです。現場で発生し

たクレーム対応まで営業の仕事、設計士、工事監督がミスした事を対応するのも営業の仕事でした。管理課がお客様の書類を紛失してそのお詫びも営業の仕事で

した。とにかく全部やるのです。その頃はメンタルヘルスと言う言葉も鬱病なんて言葉もありません。だからこの安定的な契約、アベレージヒッターでない営業

はこの会社の仕組み「全部自分でやる」に潰されていくのです。私は1年をどうデザインするかで仕事をしていましたから、上司からの無理な契約の上積みもやり

過ごしていました。アベレージヒッターが大切だと分かっていましたので。パワハラ?なんの単語?労働基準法?それ日本の法律?って暗黙の雰囲気でした。

その会社も今ではすっかりピュアホワイトな会社になっています。昔に何が起きたか?分からな〜い!みたいな顔して。

永遠のゼロと言う映画と小説が少し前に流行ました。ゼロ戦を操る特攻隊員の話しでしたね。

太平洋戦争当時の兵隊はアメリカを相手によく戦ったと思います。ゼロ戦は前半はかなりアメリカから恐れられた戦闘機でしたが、間もなく分析されてアメリカ

は2機の戦闘機で対応するなりしてすぐにゼロ戦を殲滅していきます。ゼロ戦闘機が少なくなる中、何千キロも飛んで行ってそこで死闘を何時間も繰り広げてまた

何千キロもかけて燃料ギリギリで帰ってくる。また翌日戦地へみたいな。私も営業戦線に居る時は特攻隊の人には申し上げないですが近い気持ちでした。

そんな感じでしたから時間の経過していく毎に同期の桜は次々と散り、先輩士官や後輩も散っていく人が多かったでした。気付いたら同期で1番早く部下を持つこ

とになっていました。そしてまた売って、売って、撃ちまくることになるのです。

なんの話でしたっけ?そうクランボルツ先生の話しでした。笑

次回へつづく


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