見出し画像

滅入った心を落語が癒す

落語に救われた

病気になるとあらゆるモノがうまくいかなくなる。それは仕事や学校などの社会生活から、プライベートな事柄、日常の身の回りの事まで、本当にすべてがおぼつかなくなってしまうのが闘病生活の辛いところだ。特に闘病生活が長引けば長引くほどそれは顕著となり、最終的には『八方塞がり』という状況に陥ってしまう。こうなると、もう『病気を治す』とか『人生と闘う』なんて次元は通り過ぎて、ただただ『病苦に耐える』という悲劇的な領域に入っていく事になる。これは想像を絶する苦しみだった。

過去、その状態に陥った時の私が、最後にすがったモノ、それが『落語』だ。布団から出れない、部屋に閉じこもってばかり、といった状況下での唯一の娯楽が落語CDを聴く事だったのだ。

不思議な事に、この落語というモノが、闘病生活で疲弊し切った私の心に『癒し』を与える効果を発揮した。特に立川談志という噺家にハマって以降、落語の世界観や、落語国での世の中の見方みたいなモノを吸収した事で、私の病苦は大幅に軽減されたように思う。談志師匠の言うところの『人生、成り行き』とか『落語とは人間の業の肯定である』『江戸の風』『イリュージョン』などといった落語を通じたモノの見方は、ただ大学を出て普通にサラリーマンをやっているような人の口からは絶対に出ては来ないものだろう。でもだからこそ、それが八方塞がりに陥っていた私に『救い』を与えてくれるものになったのだと思う。

私は統合失調症になった事で普通の人生のレールから外れてしまった訳だが、『普通』という物差しを使うのをやめ、『落語』という物差しを使えば、私の人生はまだまだ捨てたものじゃないと思える。ここらへんの感覚を言葉でうまく説明するのは本当に難しい事なのだが、そういった性質を持つ落語の本質を『落語とは人間の業の肯定である』と言う一文に落とし込んだ談志師匠の偉大さは、本当に素晴らしいと思う。

画像1

ウォーキングのお供に

談志師匠は大量の落語CDを世に出している。その数は他の噺家の比ではない。私は自分のパソコンに大量の落語CDを取り込んで『談志コレクション』と言うライブラリを作り上げた。そのライブラリはiTunesとiCloudの力によって、私の所有するMac・iPhone・iPad・AppleWatchなどからいつでも自由にアクセスできるようになっている。

特にiPhoneで自作の談志コレクションにアクセスできるのは異次元の快適さであり、イヤホンで落語を聴きながら多摩川などをウォーキングする時などはとても快適だ。落語というのは一つの話が長いので、長時間のウォーキングのお供に最適なのだ。これが音楽だと次から次へと曲が変わっていって、1時間もすればかなり疲れてしまう。でも落語だとそれがない。それに音楽は切れ目なく音が鳴り続けるので、野外では危険を察知しづらくなるなど安全面で問題があるが、落語なら基本的に全編がトークなのでイヤホンをしていても比較的周りの音が良く聞こえる。イヤホンを片耳のやつにすればさらに安全になる。

おわりに

毎日にのように落語を聴いて生活しているが、思い返せば、苦しい時も、夜寝れない時も、外を歩いている時も、落語は常に私の味方だった。落語と出会えたから私は救われたのだ。

ありがとう、落語!!

5
統合失調症から回復。その後、放送大学教養学部を無事卒業し、現在は放送大学大学院・修士選科生として学びを継続中。私はnoteをTwitterとBlogの機能を併せ持つハイブリッドとして活用しています。マガジンよりは、つぶやきの方が多めです。