The Blind Side~陽の目を見ない場所に光を~Vol.1:オリオンズ・西坂秀斗
「言葉にできないけど、とにかくすごい環境」
福岡県福岡市で生まれた西坂秀斗は小学校1年生から兄の影響で硬式野球チームに入り野球を始めるも、練習について行けず数ヶ月で野球を辞めることになった。小学校ではその後野球を続けなかったが中学に進み再び野球を始めることになる。高校に進み、野球を続け2年生からエースとして投げるも2年次、3年次ともに1回戦で敗退。大学は兄のいる大学で野球をしたくて高校野球が終わって勉強に明け暮れたが、合格することができず、現在在学中(3月に卒業)の九州産業大学に入学することになる。
大学では野球部に入らず、福岡のクラブチーム・福岡REXパワーズに入団する。なぜ大学に進学したのに野球部に入らずクラブチームに入ることになったのか、西坂はこう答える。
「まず両親にセカンドキャリアも考えて必ず大学は卒業しろというふうに言われていたので、大学に行かないという選択肢はありませんでした。九州産業大学の野球部の部員数も多く自分のレベルでは野球部に入っても試合機会を与えてもらえるかわからないので、父親の知り合いを介してREXを紹介してもらってそこでプレーすることにしました。」
入団を決めたREXでは1年目は所属人数が少なかったこともあって公式戦での先発機会をもらって勝利投手になったりと、順調な滑り出しではあったが、2年目、3年目で選手の数も増え、新しく投手コーチも入ってきて中継ぎにまわされて控え投手の立ち位置になっていく。
それでもめげることなくトレーニングは継続しオープン戦もあわせ年間30、40試合で40イニングくらい投げ、奪三振率はチームトップ、最終年も防御率は2点台とそれなりの成績を残してはいたが、一発勝負の大会ではリリーフでは準備をしていたが、出場することはなかった。
「出場機会はあまり得ることはできなかったけど、代わりに準備の仕方やあまり球数を投げずに準備する方法を勉強できたことはよかったです。」
NPB入りを高校から目標にしていた西坂は、その夢に近づくために独立リーグのトライアウトを受けにいくことになる。トライアウト後九州の独立のチームからもう一度練習にきて欲しいと言われるも、その誘いを断りJWLに参加することにした。なぜ夢に近づく道を断ちJWLに参加することにしたのか?
「まず一番は坂梨さん(ヘッドコーディネーター)がいたこと。いつもオーストリアから日本に帰ってきているときに一緒に練習させてもらっていましたが、沖縄で見てもらいたいって言うのと、去年参加した北方寛大さん(現・ARC九州)から話を聞いて面白そうだなと思って参加を決めました。あとは何より契約をとりに行くと言う気持ちで参加しました。」
11月26日に開幕したトライアウトリーグの初戦で西坂はリリーフとして1イニングに登板。1回を打者6人に対して被安打0、三振3、四死球2と安打は許さなかったものの32球も1イニングで投じることとなる。初登板を見てヘッドコーディネーターの坂梨はこう振り返る。
「球速にこだわって今までトレーニングを続けていて、今回実戦で投げているところを久しぶりに見ましたが、なんで焦って投げようとしているのだろうと言うのが最初見た印象です。並進を速くしようとして球速を出そうとしていましたが、その速さだけ求めてタイミングが合わずに球がカットしたり垂れていたりしていましたね。」
坂梨はこのことを一緒にベンチから試合を見ていたパフォーマンスコーディネーターに話をすると、早速パフォーマンスコーディネーターの鈴木善雅と中野将史が西坂にアプローチをかける。
「投げない日やオフの日に中野さんが付きっきりで骨格改善の調整をしてくれました。試合で投げるにつれてパフォーマンスが上がっていくのを感じましたし、実際に最初の登板から最後の登板で球速を10キロ上げることができたのは本当に中野さんのおかげだと思います。」
パフォーマンスコーディネーターの中野は西坂の印象をこう答える。
「最初上半身が強いなって思ったんですけど、調整してみてもあまり変化がなくて、じゃあ何なんだろうって思って見てたら着地までの時間がすごく短くて急いでいるような感覚になってたと思ったのでひたすら坐骨をいじりました。そしたらあのような結果になったんです。」
西坂は前期だけ参加予定だったのだが、自分の身体が変わってきていること、確実に試合でのパフォーマンスが変わってきていることを感じていてもっとこの感覚を掴みたいと思い、リーグ期間中に後期の参加も決めることになる。
そこに香川オリーブガイナーズから左ピッチャーでいい投手がいないか、とリーグに打診が来る。パフォーマンスが上がってきていることを感じていた坂梨を含めたコーディネーターは香川が見られるタイミングで西坂を登板させることにする。その試合で西坂は3イニングを投げ、被安打2、四死球2、三振6と結果を出し、翌日香川から獲得オファーを受ける。
「あの試合もゲームコーディネーターの小川龍馬さんが、『結果もそうだけどスカウトにアピールする投球をするためにインコースに強い球を投げる、左バッターをこう抑える、牽制を投げてみよう』、と言うことを言っていただいてそれも試合の中でチャレンジしました。」
卒論の提出のために一度福岡に戻り、再び沖縄に戻ってきた西坂は後期も参加することについてこう考えていた。
「野球だけに集中してやれたこの前期の2週間が今までの野球人生の中で一番成長した期間だったし、あと2週間いたら140キロも出せると思ったし、そう言う意味でも野球を楽しくやれていて、何より所属していたオリオンズが楽しくて最後まで一緒にやりたかったって言うのもありました。」
後期でも参加を決めた西坂はそこで一つの課題が直面することになる。
「右バッターの多いストリングスと対戦した時に三振は取れていたんですけど、ファールで粘られて球数がかさんでしまい、予定投球回数を投げられずに降板することになりました。カットボールをファールされて深いカウントまで行ってしまうケースが多く、これだとこの先も苦戦してしまうのではないかと感じました。」
試合のコーディネートをしていた小川、坂梨両コーディネーターも同様のことを思っていて、その試合後、今後香川でも戦力としてプレーするために坂梨とチェンジアップの着手に図る。
元々チェンジアップを投げてはいたのだが、引っかけたりと制球を乱すことが多く投げることを減らしていっていた。
同じ左利きでもある坂梨と試行錯誤をしながらチェンジアップの精度をあげることに成功し、プレーオフの決勝で先発した時は、真っ直ぐを引っかけたり本来の投球通りにはいかなかったが、チェンジアップでストライクや空振りが取れたことで球数も抑えられ今大会で最長の5回を投げ無失点、被安打3、三振6、そして今まで課題にしていた四死球も0、球数も74球でまとめていい形でウィンターリーグを締めくくることができた。
「本当にあの時後期の参加を決めておいてよかったと思います。もし前期で帰っていたら掴みかけたところで帰っていてもう一つ伸びることができなかったと思います。」
最終的に西坂は5試合14イニングを投げ、防御率2,57、被安打11、四死球7、三振22と課題であった制球難も克服し、長年たどり着けなかった140キロも計測し、思った以上の成果を残し福岡に戻っていった。
「香川ではまずはキャンプ中に契約選手に上がって、3月末の支配下登録の時に1軍の契約選手になることが目標です。今年は自分の特性とかも考えて中継ぎで勝負したいと考えています。ソフトバンクホークスや阪神タイガースとも試合をすると言うことも聞いているので、そこでアピールして今年NPBのドラフトにかかれるようにやっていきたいです。」
現在(1月12日時点)は福岡に戻り、2月から始まる香川でのキャンプに向けて引越しの準備や野球の調整に日々明け暮れている。
「去年もそうですが、今年もほとんどの選手がリーグ期間中に成長して帰っていきます。今回も秀斗くんは本当にいい例で、尻上がりに成績が上がっていってこうやって契約につながりました。高校時代から野球しているのを見ていますが、あと一歩というところでなかなか先に進めなかったけど、今回こうやって野球漬けになって自分としっかり向き合ったことで一つ殻を敗れたのかなと思います。JWLにとってはまずは彼がこうやって香川と契約することが出来たことを嬉しく思っていますし、彼が香川で活躍することによってよりこのリーグの価値が上がるし、彼のような境遇の選手でもこのリーグを通してここまで活躍できる選手になるのだという一つの指標もできるので、プレッシャーをかけるつもりはないですが、ぜひ香川で支配下に入ってNPBまで駆け上がっていってほしいですね。」
ヘッドコーディネーターの坂梨はJWLの先も含めてこう西坂についてふれている。
西坂にとってJWLとは一体どんな場所であったのだろうか。
「野球する上で一番、なんだろう、すごい環境。データもあんなにとってもらえるし、全世界に見てもらえるし、日本の中で一番すごいトライアウトリーグで、コーディネーターの方々も素晴らしいし、なんかもう、言葉にできないけど(笑)、すごい環境、すごいリーグです。データに関しても自分の投球データをしっかりフィードバックしてくれるアナリストたちもいて、自分の投球で行くと、ボール球を空振りしてくれている確率は高かったけどゾーンで勝負できてなかったので、見極められた時に球数が嵩んでしまっていると言うデータも出ていたので、右バッターに入っていく変化球だけではダメでチェンジアップをアップグレードしようとするきっかけにも出来たし、身体のことに関しても中野さんにつきっきり見ていただいたおかげでより投げやすい身体に調整していただいて140キロを投げることもできたし、こうやって無名だった僕のような選手が香川と契約することが出来たし、本当に『陽の目を浴びない選手に光を』と言うスローガンがまさにピッタリのリーグだったと思います。」
また西坂はJWLに参加を考えている人たちに向けてもこう答えている。
「絶対参加した方が自分のためになると思うし、自分はウィンターリーグに参加するまではどこのスカウトにも見てもらえない選手で、試合にも出ないし、自分の自己満で終わるような選手だったんですけど、絶対にチャンスが回ってくるリーグでそれをサポートしてくれる人たちも充実していて、契約をとる、とらないにしても絶対に野球選手として成長できる場所だし、自分でどれだけ成長したいか、それに応じてコーディネーターに聞きに行けるかどうかも大事になると思いますが、もし参加しようか迷っている方々がいたら僕は間違いなく参加した方がいいと伝えたいです。」
契約をとりにJWLに参加し、貪欲に上手くなるためにアドバイスを請い、チャンスを掴み、このJWLでの目標を達成した西坂秀斗。JWLを通して陽の目を浴びこれから根強く太い幹となって自らの小さい時からの目標を達成できるか、これからも注目していきたい。