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#ふとまに 七十八

#ふとまに  七十八

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読みくだし

ものつるは
まさかきはなの
いさおしも
あたのやまひも
もとにかえつる


書きくだし

茂の尽るは
真栄き華の
功も
篤の病も
元に還えつる

*意訳

人生の進展が遂に尽きるとき
人生を彩った かつての華やかな
功績や栄誉も あるいは
重篤に陥っていた病魔も すっかり消えて
最も原初の 素の魂に回帰するのです


*十楽註

まさしく、遂に人生の最期を迎えるとき、果たして私は何を思うのでしょう。

一介の市井の凡夫として、何の業績も足跡も遺さず、ろくに財産を余らせることもなく、文字通り、肉体も捨て、名も忘れ去られ、ただただ、素の魂として、この世を去ってゆくのだと、軽快にして清涼なる境地にあることを願っています。

要するに、誰だって死ぬときは『空身(からみ)』です。例えばビル・ゲイツのように、途方もなく莫大な財産を築き上げ、富の力で地球の未来をも支配する気で居ろうと、例えばローマ法王のように、13億人を擁する信徒の尊崇の頂に立ち、国と誉と権力をほしいままに司れる立場に君臨して居ろうと、死ぬときは『すっからかん』です。その点は、私と同じ。魂は、みな平等です。

それゆえ思うのですが、私に残された人生は、他者へ寄り添う心を忘れず、己のことはそこそこにして、他者を利することに主眼を置くよう、努めないといけないな、と。どのみち、死ぬときは『空身(からみ)』なのですから。たとえ、己のためにいくら財を蓄えようとて、いずれは『空身』で死ぬのですから、そこにはもはや意味は無いなと。

獲得競争が蔓延る『人の世』において、仮に私が望みを叶え、何かを獲得すれば、必ず、その代わりに誰か他者が望みを叶えられず、何も得られないこととなります。その他者は、がっかりもするでしょう。彼/彼女の、その負の念は、いずれ巡り巡って私の身に還えることとなり、おそらく私は最後に何かを失い、まさしく失意のうちに、この世を去る羽目になるでしょう。因果応報とは、このことです。

しかし、もしもその逆をすれば、すなわち私が、他者に望みの叶えを譲り、他者が何かを得られるよう『利他の功徳』を少しでも積んでおけば、もしかすると、私がこの世を去るとき、文字通り、肉体も捨て、名も忘れ去られ、ただただ、素の魂として、この世を去ってゆくのだと、軽快にして清涼なる境地に達することができるのかも知れません。

その意味において、私にも、まだチャンスはあるのかな、と、もうじき還暦を迎えることとなる今、そんなことを考え始めて居ります。


【参考資料】

①ふとまに解読ガイド
https://gejirin.com/futomani.html

②ホツマふとまにカード128
ふとまに百二十八(ももふそや)歌