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十樂の独り言 Juuraku Reiji Tweets

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2020年9月の記事一覧

私たちは先祖→両親→私に至る長い遺伝子の継承の果てに命を受け、宇宙=大自然の奇跡的な恵みと護りとに依り、今の一瞬一瞬を生かせて頂いている。私/貴方の命はそれ程までに尊い。どんなに生きたいと望んでも命の尽きてしまう人もあると思えば、自分の命も他者の命も軽々しく無駄にしてはならない。

今回の新コロ・パニックが、もし、何らかの作為による陰謀であるとすると『おいおい、ふざけるな、大衆はそんなにバカじゃねえぜ!』と思う。いっぽう、もし、この新コロ・パニックが自然に発生したのであるとすると『おいおい、ふざけるな、大衆ってバカ丸出しなんじゃねえの?』と思う。どっちなの?

安倍前総理の辞意表明会見では新コロの指定感染症の扱いを政令改正を含めて見直すと言及。5類への格下げ策。安倍さんは総理を辞するのと引換えにこれを厚労省に呑ませようとした様に私は感じる。その条件としてアビガン承認とワクチン完成があるのではないか?菅・後継もその方針に沿っているのでは?

日本人にとってマスクを着ける行為は、社寺に詣でるとき手水舎で手や口を清める事や、神主さんにお祓いの浄を施して頂く事に相通じ、科学的に効果や意味があるかを問う事なく、マスクを着ける只それだけで、ウイルスという穢れを絶ち、互いに一切の遣り取りを遮断できると容易に信じられるのであろう。

『発症していないならマスクなんかしなくていい』『健康ならみんなマスクを外そう』と心の底から思う。だが、例えば『マスクさえ着けていれば入場制限しない』のなら、マスクに感染防止の効果など無いと判っていても素直にマスクを着けよう。マスクを着けるだけで世の中が元に戻るなら、たやすいこと。

新コロ・治療薬と新コロ・ワクチン。それらの効果や普及意図はいろいろ疑わしいと囁かれているものの、実際に、アビガンが新コロ・治療薬として正式に承認され、新コロ・ワクチンが常に接種可能となれば、新コロの指定感染症の扱いを、インフルエンザと同じ5類に下げる環境が、一応、整うことは整う。

現実思考=己の主義主張によって、却って雁字搦めになるより、現実の有り様に即し、柔軟に順応しながら、合理的でベターな選択をする姿勢。いかに抗っても、どうにもならない社会=秩序=世界存立の建て付けというものがある。人間ひとりひとりの存在など、もとより、余りにも小さくて虚しいのだから。

菅総理のデジタル庁創設推進施策には、かなり唐突ゆえに違和感がある。今回の新コロ・パニックの裏目的は、ワクチン接種証明を手段に、IDカードによる国民管理を深化させる事にあるとの説も。人類の人口調整をも可能にする遠大な計画だ、とも。デジタル庁創設は、まさにその導入部なのかも知れない。

厚生労働省いわく『季節性インフルエンザとCOVID-19を臨床的に鑑別することは困難』ーーつまり、実際は双方を区別できないのだから、統計的に発症する可能性が高いインフルエンザに合わせて、新コロの指定感染症の扱いを5類に下げる必然性がある。さもないと医療現場も社会も大混乱をきたす。

私は、新コロ感染症を発症したくない。それは、この病気自体が怖いからではなく、これを発症することによる社会的影響があまりにも厄介で、下手をすると私の職場が崩壊したり、私自身が職を失う恐れがあるからだ。メディア・政府は、この状況を解消するため、報道・施策のやり過ぎを早く改めてほしい。

アメリカ・オレゴン州・ポートランドに大きな山火事が迫っている。この街で長らく暮らす我が姉が送ってきた画像(↓)。濃い煙が市中を覆い、焦げた臭いが室内にまで漂い込んでくるとのこと。まるで世の終わりが近づいているようで、怖いとも。あらゆる自然が私たちに何かを警告しているかのようだ。

私のFacebookアカウント。2日間『いいね』などのリアクション機能が使用停止のペナルティー。理由は不明。突然のことで当惑するも現在は復旧。Facebookの監視コンピュータが、私のアクティヴィティの履歴の何かを『不正使用』と見なしたようだ。しかし何の説明もしてくれない(怒り)

かなり穿った考え方だが、もしも『旧態メディアが新コロパニックを煽った目的は安倍おろしの実現だった』とすると、安倍総理は、自分が退かない限り新コロパニックを鎮めることはできないと観念し、持病の再発もあって、新コロの指定感染症解除〜格下げと引き替えに身を退く形を整えたのかも知れない。