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一歩前に出るために、その時間が必要だったのは私かもしれない。

「もっと早くにフリースクールに出会いたかったな。」
背筋を伸ばし、はっきりとした口調で息子にそう言われた。

彼が「学校に行きたくない」と言い始めてから、1年半ほどの間。フリースクールに通い始めるまでにはさまざまな出来事があった。

落ち込んで、食事もままならなくなって痩せていったこと。
外に出ることも嫌がり、隠れるように近所を歩いたこと。
図工だけ、体育だけ、放課後だけ、行けそうな授業だけ何度も学校に通ったこと。

給食のカレーが大好きだったこと。
習い事に行けるくらい元気になって、その背中をみて母は泣いたこと。
一緒にマインクラフトをしながら、壮大な遊園地を作って日々を過ごしたこと。
つらいことを受け流せるような、気持ちの調整の練習をはじめたこと。
彼に合った教育を探したこと。

そして学校以外の居場所を探し出したこと。

悩みに悩んで、家を中心に休息しながら、そんな一歩ずつの挑戦を繰り返すことで、段階を踏んで少しずつ気力を取り戻したのだと思っていた。

彼は、その1年半ぶんを丸ごと全部ひとまとめにして
「あの時間は、あまり意味がなかったな」
と言った。


衝撃だった。


「だって、あの時は外にでるのだってすごく辛そうなくらい弱っていたじゃない。通うの無理だと思ったよ。」
と私が言うと、彼は目を細め、少し寂しそうな顔をした。

その1年半の間学校に通うことを諦めきれず、居場所探しができなかったのは、彼ではなくて私だったのかもしれない。

その間の時間は、彼にとっては生きてるという実感のない時間だったのかもしれない。でも裏を返せば、今生きてると感じられてとても充実している生活なのかもしれない。

あと10年もしてさまざまな経験をしたあとなら、その1年半の自分の人生に対して違う意味付けをするのかもしれないし、「やっぱり意味がなかったな」と言うのかもしれない。

全部「かもしれない」だ。
あとは本人にしかわからない。


でも私の気持ちは自分でわかる。
私にとっては、たいそうな意味があったよ。

このわが子の不登校体験は、私の今までの人生の中で落ち込みの深さ3位以内にはいる大きな体験だった。このまま底まで落ちていくかもしれないとすら思った。

でもこのことがきっかけで、「彼の人生は私の人生と別のもの」という当たり前のことを深くから洞察しなおすことになり、心理について学び、自分の人生を根本から洗い直すことになる。

まるで生まれ変わって第二の人生をスタートさせるために、痛みを伴って自分で自分を産み直したのかもしれないとすら思った。だから私には1年半必要だった。

その間の息子の変化を見ることは、私にとってはかけがえのないものだったよ。母親としての自分を自分で責めたりもしたし、今でも思い出すと涙が出そうになるけれど、それでも自分を許したら、多くのものが許せるようになってきたよ。

そしてこの先10年もやっぱり、あの不登校になって悩んだ時間には、私が変化するための大きな意味があったと思って過ごしていくと、今は思うよ。



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