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散歩道|1

 あなたは仕事柄、よく散歩をしている。別に、歩く仕事をしている、というわけじゃない。

 歩いていると、空洞の多い頭の中で、何かコロコロと転がる音がしている。言葉だろうか。

 後ろの方から、何か人の気配がしている。呼吸するような声。はぁはぁといいながら、ジョギングをしている。蛍光色のシャツを着ている。蛍光がチラつくことで脳の回転に磨きがかかり、その揺れる速度をより速くしているらしい。右腕にはスマートフォンをくくりつけていて、そこから何か音が流れている。必死な感じのシティポップ。後ろから来ていたのが、ゆったりと歩くあなたを追い越し、その先へいく。この人は一体、何をしたいのだろうか。

 と思うと向こうのほうから、スケートボードを必死にこいで走ってくる人がいる。リュックを背負って、ガッ、ガッ、ガッ、とこいでダーと走る。それを繰り返す。片手にはスマートフォンを握っている。その人もあなたのことを通り過ぎて、今度は後ろの方へ行き過ぎる。そのスタイルは何なのだろう。移動手段なのだろうけど、歩いた方が楽なんじゃないだろうか。すると、

DIVE, DIVE, DIVE

 向こう側の道の壁に、急に書いてある。コンクリートに鮮やかなスプレーの一筆がきで、これは路からのサインなのだろうか。とびこめ、もぐれ、あたまからいけ。そんなことだろうか。歩いていると、その言葉が歩き方にそって頭の中で、リズミカルに弾けていく。あなたが好きなグミみたいな感じで。

 あなたはそうやって、言葉や思考を待っているふしがある。九割くらいは、ささいな思いつきだったり、新しい冗談のアイデア、よく思い出す思い出、たずさわる職務の悩みだったりする。でも時おりしれっと、原石のような何かが転がってくる。そこから断章が生まれて、話がぽつりぽつりと、転がっていく。それ以外のあり方もあるのだろうけれど、あなたには今は分からないし、つかめない。

 車の通りはそんなに多くない。川だとしたら小川くらいのその道の対岸に、あなたと同じ道筋を歩いている二人連れが歩いている。横たわった人一人分くらいの距離をおいたまま、前方の男性のような人は歩いていて、後方の女性のような小柄な人は自転車をひいている。おたがいに缶の飲み物をすすりながら、ぽつりぽつりと会話をしている。眺めていると、

「ねえ、どうやっていくの」

「そこの角で、左に曲がってあとはそのまま」

「そのままどうするの」

「歩くんだよ」

「ふーん……」

「ちょっと、歩くよね」

 言い合いながら、そこの角を左に入っていく。途中から手を二人つないで、前の人が後ろの人の手を引いていくような感じもしていた。それもまた、こなれたスタイルなのだろう。彼らが曲がった角の先には、あなたがたまに訪れる飲み屋が数軒、並んでいる。その店を横目に見ながら、二人は帰っていくみたい。それか、一軒寄っていくんだろうか。あなたはゆっくりと、できるだけリズムを保つように考えながら歩いている。

  

 よく分からない村にいたある時のことを、ふと思い出す。

 幻想的な肌合いの村だ。暗闇の中に路地があって、その先に店の光がまたたいている。真夜中の街の片隅にある、小さな飲み屋街みたいだ。でも飲むのではなくて、ああした通りがそのまま村になっているというか。山あいのその場所には平地はそんなにないから、そこを細かく区切って、人たちが過ごしている。だからそこは昼の町でも、薄暗闇の路地が多く通っている。高い建物はあっても二階か三階くらい。

 石や木やたまにコンクリートの壁は、ドアも開け放して、そこに人たちの生活がそのまま開かれている。風通しのいい場所で、山だから雨もよく降って、しっとりした風が吹いている。どこか浮世離れした人が行き来している。というものの、そう思われているのはむしろ、あなたの方だった。観光客も少ない土地に、ふと訪れては勝手なことを言っている。どうして来たかというと、そこにもう一人、浮世離れした知人が来ていたから。かれは当地での浮世離れを自覚しながら、その場所と空間を使って、店舗をしている。

 店舗というのは、かれは、公共の空間や町の通りに、新しい部屋をつくる。かれ、と言ってると馴染みがでないので、仮に八子さんとしておく。八子さんがつくるそこでは、彼がつくった小さなオブジェを元手に住民たちと物々交換をして、みんなが過ごす部屋をつくっていく。オブジェはだいたい、魚のようなかたちをしているのだけれど、その土地の特徴をモチーフにしていて、手のひらサイズでかわいらしい。交換を起点に、できるだけインスタレーションというより有機的な装置みたいに住民が日々行き来して、でっちあげの部屋が、実際の部屋のようになっていく。しかし実は作品でもあって、どうも考えると住民がお客になって、お客が住民になるようなパラドックスが観照されるということがあるのだろう。つまり、気づいたら自分たちの普段の過ごし方というしくみがパッケージされていると。そんな説明でいいのか、あなたには断言できないが。

 居抜きで改装された「部屋」は、三つの部屋に分かれている。窓や壁などなく、縁側ごしの断面図のように路上に開け放たれている。そういうと作品っぽくきこえるのだけど、村ではむしろ普通で、昼間は開け放って夜は布で入り口をおおうくらいが主流だったから、違和感はなかった。

 縁側は竹で編まれたテラス。部屋の内部はすべて水色のペンキで塗られ、三部屋を分ける壁は白かった。舞台のようだけど舞台ではなく、生活の一場面で、そうしたあわいに店舗がゆれている。

 「住んでる人が、何やってるのー、金づるだー、って集まってくるよね。私は、それに合わせていい顔してみせたら、思うツボじゃん! って、とりあえず無視しつづけてみたんですよ。ポーカーフェースで淡々と作りつづけていたら、だんだんと何か貸してくれたり、こっちが道具を貸したりして。普通に仲よくなってって。それでこっちのルールに乗ってくれるようになったんです」

 はじめは、八子さんが用意したオブジェと、街で買ってきた赤いカーペットしかなかったらしい。カーペットも何もないと、部屋になりにくいらしい。あなたが訪れた頃には、部屋はもうだいぶ部屋になっていた。

 さて部屋に入ってみる。真ん中の大きな部屋では、人が寝そべったりご飯を食べたりする。壁には、物々交換したものを描いた地図がある。ものを交換してきた場所にピンでワッペンを留めていく。この日に、イスをオブジェと交換した。ぬいぐるみを交換した。この家に転がっていた、トナカイの置物をもらった。壊れたイスをもらった。中には、交換した部屋のものと別の住民のものを交換することもある。あとはイヌが着いてきて、気づいたら居ついているということも。それがこの店の日課だ。八子さんは装置を運用する素材として、そんな日課を作った。日課は時間を生んで、住民たちはそれに合わせて、一日のうちの空いているときに、そこで過ごしていく。村の子たちはいい遊び場を見つけたとなって、日中には沢山、遊んでいる。日課は、他にもあって、店舗を朝晩に開け閉めすること。八子さんや手伝いのスタッフが日記を書くこと。それとその場での出来事を編集した「手紙」をつくって、作品の支援者たちに定期的に送ること。

 他の部屋はどうなのだろう。右の部屋の壁には、壊れた傘や、子供用の民族衣装のようなものや、遊ぶ子供が描いた落書きが貼ってある。壊れかけた藤椅子には、子どもが座ったり転がしたりして遊んでいる。あなたがいる間ちょうど、壊れかけの大きなソファが入った。民家から、八子さんともう一人の男性が前後で背負って、子たちがそれを囲んで賑やかに運び入れてきていた。

 この部屋は、壊れたものとか家具以前の家具を入れているのだろうか。それを修理してまた扱う、ということは特にないらしい。

 日々だんだんと、部屋のかたちが出来てくる。人びとはゆるやかに訪れて、テラスに座ったり、何かいじったり、手仕事をしたり、世間話をしたりしている。子どもは遊びほうけ、時に小さな子が泣きわめく。部屋の前には車や人、鶏や鴨、犬などが行き来している。そうやって気ままにいると村の生活に馴染んでしまって面白くないから、ときにゲームなどする。流しそうめんや寿司屋をする。八子さんはそうやってバランスをとり、町の生活と部屋の境界線がとけないように保っているのだという。

 大々的なものでは、仮装して町を練り歩いたりもしていた。そう雑然とした音楽や男女の嬌声が遠くに聞こえている。廃物でつくった仮面や古い衣装をまとったいんちきな精霊のような人たちがたくさん歩いていて、踊っていて、あなたにはなぜか懐かしい思いがする。仮装した楽隊について歩いていくと、小さな家で囲炉裏に火を焚いていて、妙齢の女性が出迎える。入り口で何か、やりとりをして、入らずにそのまま町を歩きつづける。あとで聞くことには、八子さんにとってはハレの催しのつもりだったのだけど、この村にはすでに、そんな揺れは日常に折り込みずみだった。あわいの時間というか、パラレルな時間へ向かう祈りがあった。だからひょっとしたら、部屋という舞台も、どうも最初から舞台じゃなかったのかもしれない、と八子さんはあなたに言っていた。


photo ryudai abe

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