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近況報告|12

 今日も日は暮れなずむ。
 太助さんの方ではピアノの音もお隣さんの気配もまったくしない。街の方ではほのかな喧騒がしている。それでかの女はそこにいて、ぬれているサンダルではなく玄関から持ってきたツッカケをはいて、山の本のつづきを開く。誰も知らない山がそこにあるという。チームを組んで、人たちは向かっていこうとする。しかし、計画段階で手間取っている。山がどこにあるか、誰も知らないから。けれども彼らは喧々諤々とやりあって、行くための計画を立てている。何か、精神の力を使って。それはいい。しかし話はなかなかすすまない。たばこに火をつけて、思い切り出すのではなく、ひかえめに喋りながらしぜんと漏れるような感じで、煙をはく。うすく青い煙はうっすらと吐かれて、空にきえていく。本の中でもそんな感じで皆たばこをすって、床に捨てていて、床は4分の1くらいが吸殻に覆われているという。

 ピアノの人のことをPと呼ぶことにした。Pと浄悟の二人は自転車にのって、声をかけ合う。移動は思いをつくる。自転車は気持ちがいいけれど、思考には向かない。スピードが速いから、肉体的な動きになってくる。声はだんだん大きく威勢よくなっていく。酔っ払ってるときと一緒だ。喉を震わせて大きな声を出して、それが伝わっていてもなくても気にしない。「あの象の像」「ああ、あの木彫の」いつかPが街角で拾って、浄悟の家に置いていったものだ。「まだあるのかな」「家の前に立ってる」そうその彼の建物の下のゴミ置き場のところに、いつでも置かれている。ゴミとして置いたつもりが、建物の一部みたいに見做されて持っていかれてないみたいだ。
 すこし行けば、繁華街となる。けれどどうだろう。いつもならうんざりするほど人だらけの界隈が、まだ日暮れ頃だというのに、ずいぶんすっきりしている。半分以上の店はシャッターをおろし、街灯ばかりが照らす。人はぽつりぽつりと、道端で缶ビールなどを飲んでいる。灯りのある店では、テイクアウトを出している。店の前で店員さんが、お弁当や惣菜などを手売りしている。「いかがですか」「安いですよ」そんな声。あとはぼそぼそぼそぼそとしている。ふりむくと、建物の壁にそってたくさんの瀬戸物のタヌキが、なぜだか亀甲縛りのようにひもに縛られてそこに立っている。目が合う。きみは何、どうしているの。「私はタヌキ」そうか、タヌキか。
 茂った街路樹のしたで、雨にぬれた陶器の肌がうすく光っている。どこか、官能的にも見える。大きめの性器の表面が、ぬらぬらとしていて、つい触れたくなってしまう、こう持ち上げるように。目線はそこにあてたまま、たぬきに話しかけてみようと思う。「ヘンなところにすんでますね」「そりゃ失礼なことを言うね」「いや、面白いなって」
 ふと、中学生のとき近所の林で自慰にはげんだ日のことを思い出す。そのときのことをPはたまに話に出すけれど、あまり覚えていない。現場に居合わせたわけではなくて、浄悟がそうしたことを、話したのだろう。たしか、中学生かなにかだった頃、人けのないその林で、行為にはげむのが好きだった。充分に昏く人通りもなくなった時分に、服の中から少しだけ出して行う。秋口はロングコートの下で。今はよほど、マイルドになったのだな。

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