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小林賢太郎という天才(じゃない人)の引退について

ラーメンズのメンバーで、ポツネンやカジャラなどでも人気だった劇作家/パフォーミングアーティスト小林賢太郎が引退した。彼らしい。とてもあっさりした引き際だった。ラーメンズは大好きなので、最後にちゃんと文章に残しておこうと思う。

ラーメンズの思い出

ラーメンズのラーメンとは、醤油や豚骨などで出汁をとったスープに麺や具材を入れてすするアレではない。建築用語、デザイン用語でいうドイツ語の骨組み構造のことだ……といわれているが、それも違って、実は変える気満々で適当につけたらしい。

しかしラーメンズのネタといえば、まさに完璧な建築物のように寸分の狂いもない見事なもので、きちんと3Dで奥行きもある。床の釘が抜ければ、天井が落ちる、みたいなハラハラなバランスのなか、見事に外さない。計算され尽くしたコントが代名詞である。

僕らミレニアム世代としてはおもしろフラッシュ倉庫の「千葉!滋賀!佐賀!」あたりで知るのではないか。当時黎明期だった2ちゃんのキャラクター・モナーが扮したやつだ。千葉!滋賀!佐賀!は少なくとも私の小学校では、流行りに流行った。誰もラーメンズが元ネタだとは知らずに、血眼になって「キョギフ大統領の貴重な産卵シーン!」と叫んでた。

そこからオンバトでラーメンズを観たのは、もういつごろだったかすら思い出せない。でも衝撃だった。オンエア率が13/17。オフエアも1、2票さの僅差という破竹の勢いで番組の代名詞的存在となり、番組内で「ラーメンズ特集」まで作られた。ちなみにその特集で二人が挙げたベストネタは、なんかよくわからん卵みたいな駒を置きながら、何気ない会話をするというものだった。

ラーメンズのサブカル的側面

ラーメンズは、まごうことなきメジャーカルチャーだ。ただサブカルチャーを「ズレた視点で物事を見ること」と捉えたときに、彼らはとてもサブカルなのである。

たとえば「Q&A」というネタ。コバケンの「はい か いいえ で答えなさい」という問いにギリジンが答えるのだが、最初の問答が「呼吸を司る内臓は?」「肺」である。そうくるか、というサブカル感。このネタはだんだんと脱線していき、そもそもの設定が何かすらわからんまま、なんとなく引きこまれていく。これも何か奇妙な魅力を感じるのだ。

そしてオチが好きなのだが「はい か いいえ で答えなさい」「あなたが 次に発する言葉は いいえ である」という問いに片桐が焦った顔をして終わる。これは答えられない問いなのである。ここもなんだか目の付け所が独特でサブカルチックだ。

ラーメンのシュルレアリスム的側面

またずーっとラーメンズは「シュール」の代表格である。ほとんどの「シュール」といわれる芸人は実は全くシュールではないのは以前解説した。

しかしラーメンズのネタには原語のままのシュルレアリスム的な魅力がある。例えば代表的なネタである「現代片桐概論」。片桐が生物学として取り上げられ、「現代片桐概論」という講義を小林が淡々と続けるというネタだ。

https://www.youtube.com/watch?v=DI7H1cK-kCk


このネタは片桐がパンツ一丁で剥製をしており、ツッコミはいない。「皆さんが最もよく目にするタイプの片桐ですね。よく雨上がりに道端で死んでいますけど」「片桐の輸入量世界第一位の国はトリニダード・トバゴ」など、とにかくリアルなのだ。このネタは高校編、大学編など、さまざまあるが、何度も観ていると本当に片桐学概論があるような気がしてくる。

この背景には紛れもなく小林賢太郎の演技力や、パントマイムをはじめとするパフォーマーとしての上手さがある。彼は多摩美の演劇部なので、非常に慣れているのだろう。

そして生徒から没収する漫画が「ぼくの地球を守って」で「木蓮木蓮!」とつぶやく場面もある。漫画のチョイスもものすごくリアルで、嘘がない。

ラーメンズのネタにはツッコミがいない。その理由について小林はこう言っている。

おかしなこともぼくらのなかでは常識であって、ツッコミという訂正役はお客さんでいいんです。だからお客さんには頭を使ってほしいって思う

シュルレアリスムの基本は「つっこまないこと」と、かつて書いたが、ラーメンズはその表現を地でいく今ではもう珍しい人だった。

小林賢太郎は舞台の人

ラーメンズは結果的に活動を休止する。

小林は若いころにラジオにて「何回かバラエティに出たんですけど、テレビは向いてなかった。怖い」と明るく言った。

今でも過去のラーメンズの出演映像がYouTubeにあるが、とても見ていられない。ずーっと下を向いていてもう内気な感じが出まくってるのだ。小林は照れ屋さんなのだ。そもそも多摩美から学校を出ずにいきなり芸人なんて。いや、芸人ではない。しかし、少なくとも周りから芸人だと思われているなんて。

それで小林は舞台に拠点を移す。片桐はエレ片などで舞台をしつつ俳優としてテレビに出るようになった。小林は「テレビに慣れている片桐を見るのなんて嫌だ」と漏らしたことがある。

それから現在にかけて片桐はドラマのスターになり、小林は舞台で生きてきた。そんな現状を小林はどう感じていたのか。ちょっぴりプライドが高い人(君の席より)だから、すこしジェラシーを感じていたのかもしれない

小林賢太郎という天才(じゃない人)について

小林賢太郎のことを世間は「天才」だと思っている。私もそうだ。小林賢太郎はあのひょんなアイディアを天才的ひらめきでバシバシ思いついているんだろうな。そう感じる。

しかし実際はそうではない。以前、小林賢太郎自身が「天才といわれるが、そんなわけない」と、公言していた。謙遜だよ〜と思ったが、その後NHKの特集で彼がものづくりをしている様を見て「あ、努力の人だ」と思ったのである。何日もかけてうんうん唸って、ピースを当てはめるように緻密なネタを書いていた。

特にポツネンをはじめてからは、ラーメンズ時代に拍車がかかったかのように、ネタが難しく、面白くなった印象がある。どれだけ唸っていたのだろう。パッと思いつく天才、ではないのだ。努力家で、難産なのである。

ラーメンズを生で見てみたかった……

……とは言わない。この引き際がコバケンらしくてかっこいいではないか。テレビから去ったように。表舞台から去っていく。潔いではないか……

と思いつつ、これもネタのひとつで、思いもよらぬ大ドン返しが待っているのではないか。まさか……もしかすると引退ではなく「弓1退」なのではないか……なんて屁理屈を思いついてしまうくらいにはもう小林賢太郎フリークの、名残惜しい自分がいるのは確かだ。

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