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二葉亭四迷の「浮雲」とは|あらすじ・言文一致体の意味をわかりやすく解説

日本文学の歴史において、坪内逍遥の「小説神髄」が革命的な役目を果たしたことは以前に紹介しました。この評論がきっかけで日本文学は「勧善懲悪の江戸戯作」から「日常を舞台に人間の心理描写をリアルに描くもの」に変化していくわけだ。

しかしこの評論をもとに坪内逍遥自身が書いた「当世書生気質」という作品は盛大にすべり散らかすわけです。「江戸戯作なんてもう終わりにしよう!」といった坪内自身が、まだ若干江戸戯作のテイストを引きずっていたのだ。

そのことを指摘したのが二葉亭四迷だ。そして「写実主義ってこうやるんだぜ?」と刊行した作品が「浮雲」。つまり坪内逍遥の小説神髄を補完して完成させるんですね。

さらに「浮雲」は初めて「言文一致体」という体系で書かれた作品でもある。今の日本語の使い方の基本を作ったんです。

今回はそんな日本文学史において超重要な「浮雲」という作品について紹介しましょう。日本語っておもしろいな、と心から思える作品だ。

ちなみにこの前後の日本文学史の流れに関しては、以下の記事でも紹介している。暇で暇でもうほくろ数えるくらいしかやることない……というときにでも読んでください。

二葉亭四迷が「浮雲」を書くまでの人生

はじめに「二葉亭四迷はなぜ浮雲を書いたのか」について紹介しよう。

二葉亭四迷……本名・長谷川辰之助は1864年4月に鷹匠の父のもとに誕生する。小学生のころからフランス語を熱心に学ぶなど、海外文化に聡い子だった。11歳のときに千島・樺太交換条約が結ばれる樺太がロシアのもとにわたったことをきっかけに、高卒後に陸軍の試験を受ける。とんでもなく意識が高い高校生である。

しかし受験に落ちたので外交官を目指して東京外国語大学に入学し、ロシア語科に入学。最初は外交官の勉強をしていたが、だんだんとロシア文学にハマっていく。最初はロシアに敵対心あったけど、だんだん好きになるわけですな。リボンのヒロインのマインドです。

19世紀のロシア文学は黄金期といわれている。ドストエフスキー、ゴーゴリ、レスコフ、トルストイ、ツルゲーネフなど、主要なロシア作家は、ほぼこの時代に生まれた。またこのころはイギリスやフランスで流行ったリアリズムがロシアにも到来した時期であった。

ロシア文学に傾倒していた二葉亭四迷は20歳のときに坪内逍遥の「小説神髄」を読む。この本は先述した通り「江戸戯作をもう卒業して、本来の小説の書き方に切り替えよう」と書いた作品だ。具体的に何が古い表現で、何が新しい表現なのかを箇条書きで紹介してみよう。

それまでの古い表現

・物語の舞台から異世界すぎる
・基本的に勧善懲悪。悪人=悪、善人=善というものの見方
・人間の心理描写よりストーリーそのものを追う
・作品が三次元の世界から明らかに逸脱している

本来の小説の書き方

・人間の心理描写が大事
・日常的な世俗を舞台にすべし
・三次元の世界の延長として文学がある

つまりそれまでの文学はエンタメ性たっぷりだったのだ。坪内逍遥はこうした作品を俗にいう「純文学」に変えようとしたわけなんです。「もっと人間の心理を描くのが小説だろう」といったんですね。また坪内逍遥は「当世書生気質」という小説を「小説神髄の小説の例」として書いた。

当時は「文明開化」の時代。鎖国から解き放たれて20年くらい経ったときで、海外の文化がどばーっと日本に流れてくるわけだ。坪内逍遥の思想は明らかに当時のイギリス、フランス、ロシアなどの流れを汲んだもの。「理想論から抜け出してリアルな世界を書く」という意味で「写実主義」という。

二葉亭四迷は「小説神髄」を読んだあと、22歳で実際に坪内逍遥ん家を訪問した。この年から坪内逍遥のもとを毎週のように訪れては「ちょっとリアリズムの説明が足りないんじゃないっすかね」とディスカッションをしていたそうだ。そんな二葉亭四迷は「小説総論」を発表。これは小説神髄の補足としてリリースされたもので、坪内逍遥自身も「ちょっと私の小説神髄だけだと浅かったっす。反省します」と二葉亭四迷の才能に感服した。

「浮雲」のあらすじ

二葉亭四迷は小説総論を出した翌年に「浮雲」という小説を出すわけです。「評論」からの「(例としての)小説」という流れは坪内逍遥と同じだ。「浮雲」はまったく新しい文学作品だった。簡単にあらすじを書こう。

主人公は内海文三という青年だ。彼は幼少期から叔父に育てられ、従姉妹のお勢に恋をする。半分、許嫁みたいな感じで両思いだった。エリート街道をひた走り、役人に就職するころには文三はめちゃめちゃプライドが高い自尊心野郎になっていた。そこに同僚の本田が登場。本田は口が巧い、ちょっと嫌な奴であり、こいつもお勢のことが好きになる。

文三はある日プライドの高さがたたってリストラされてしまう。一方の本田は上司に取り入って昇進することになる。お勢はしたたかで、本田が昇進するのを知って、急に本田のことが好きとかいうようになる。

文三は本田から「あれだったら、俺が上司に復職の相談してやろうか」と持ち掛けられるが、プライド高すぎて断る。就活もうまくいかず、叔母や叔父からも「ちょっとダメ人間じゃないあんた」と呆れられ、自尊心はもうずたずたになってメンヘラ化していく。

ただ、このお勢という娘が気まぐれで、本田が好きかと思いきやラスト近くでは内海に微笑みかけたりするので、内海はその気になって最終的に「もう告ろう。ダメだったら叔父の家を出ていこう」と決心する。

浮雲は「リアリズム」で書いたまったく新しい小説

浮雲の何が新しかったかというと、小説神髄・小説総論で書いたように「何でもない日常」と「心理描写」に力を入れていることだ。

それまでの文学が「あり得ないファンタジックな世界を舞台にエンタメとしての勧善懲悪ストーリーを描いたもの」だったのは先述した通りである。一方の「浮雲」はどこにでもある日常の生活が舞台。ダイナミックな展開はほぼない。

自尊心高めな主人公、嫌味なライバル、小悪魔的ヒロインの心理描写を長々と書いたものになっているわけです。

これはまさに日本近代文学にとっては大きな革命だった。写実主義になったことでエンタメ要素がほぼ除かれるわけだ。この後の近代小説に代表される「私小説」という「事件より心理描写を重視する半分ノンフィクションの小説」は浮雲から始まった。

「浮雲」の言文一致体とは

浮雲はもう1つ小説の書き方に革命を起こした。それが「言文一致体」である。当時の日本語は今よりも「書き言葉」と「話し言葉」の違いが顕著だった。例えば「浮雲」が出る2年前の名作「佳人之奇遇」の文章は以下の画像の通りである。

東海散士「佳人之奇遇」うわづら文庫

比べて「浮雲」の冒頭の文章は以下の通りだ。

高い男と仮に名乗らせた男は、本名を内海文三と言ッて静岡県の者で、父親は旧幕府に仕えて俸禄を食はんだ者で有ッたが、幕府倒れて王政古に復り時津風に靡かぬ民草もない明治の御世に成ッてからは、旧里静岡に蟄居して暫くは偸食の民となり……

中国語と日本語くらい違う。つまり言文一致体とは「書き言葉って要らないでしょ! 文章の日本語も話し言葉で書いたほうが読みやすいよね」という二葉亭四迷のアイデアで「ダ・デアル調」にすることで話し言葉で文章を書いたわけですな。これは「初めて私服で会社通勤した」くらいすごいことだ。よそ行きの日本語を捨てたのである。

言文一致体を発表してから。数十年かけてだんだんとに言文一致体がスタンダードになっていく。今の日本ももちろんそうだ。LINEで「本日、申の刻、ハチ公前ニテ待ツベシ」とか書かないですよね。「今日、4時にハチ公前な?」「り」と書くはずだ。口語で文字を書くという技法は「浮雲」で初めて生まれたのである。

【2021】言文一致体をアップデートしてみる

はーいえーと今回はあのー、二葉亭四迷の浮雲について紹介してきました。どうすかね〜、えーっとやっぱ言文一致体の発明ってすごいなぁと思うんですよね。日本語に革命を起こしたって意味では。だってめちゃめちゃめんどくさいもん。「べし」とか「なり」とか打つのめんどいもんなー。しゃべってる言葉とあの〜書く言葉が違うっていうね。この使い分けとか日本語ならではだなぁって。すごいなあーって思うんですけどね。

でも実はまだ日本って書き言葉と話し言葉がね、明確に分けられると思っています。まぁ実際書くときって「である」とか「だ」とか使うんですけど、喋ってる時はそんな使わないっすよね。いま音声入力できるんでね。あの原文一致体をさらに進化させることができる、というのを今ぱっと思いつきまして実験です。え〜令和の今、言文一致体を突き詰めたらどうなるのかっていう試みで最後のオチの文章をちょっと音声入力で書くことにしました。実際喋ってる時ってこんな感じっすよね。というかすごいな今のこのアップルの音声機能の鋭さというか。めちゃめちゃ正確に記録してくれるんですね。すごい便利だなー。読みにくすぎてストレス溜まっちゃったらこれもう読み飛ばしてください。ごめんなさい。

こうやって音声入力で言文一致体をアップデートしてみてる実験ですけど、えーっとこれあれですね。失敗すね。これ、うん。もうこれ完全に失敗だわと。やばいなこれと。文面見ながら思ってます。やめないけどね。このままオチまで喋るんだけど。いやでもやばいなこれ。実験的すぎますかね。ちょっと不安になってきました。不安ですよねこれ。大丈夫かな。めちゃめちゃ読みにくいなこれ。

だから最低限やっぱ話し言葉と書き言葉って分けなきゃいけないなぁっていう。気づきですよね。もうあの、実験には犠牲が必要みたいなもんですよね。ほんと今これ読んでる皆様に、あの〜お伝えする上ですごい迷惑をかけている感じなんですけど。今回は浮雲の言文一致体がえーっと記事のテーマだったので最終的にはテクノロジーを駆使して音声入力で真の言文一致体をやってみたらどうなるのかっていうのをしてみました。家でも二葉亭四迷もこれあれかなぁ。初めて言文一致体やったときこんな気持ちだったんでしょうかね。もうなんかハートが強いよね。発想力よりも精神力だよねこの人。

今回も最後まで読んでいただいてありがとうございます。いやほんとにあの〜最後まで読んでいただいてほんと最後の章でこんな読みにくいものをお伝えして申し訳ないんですけど、ありがとうございますほんとに。感謝してます。ではまた次回の記事でお会いしましょう。

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