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ジュウ・ショのサブカル文学マガジン

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文学についてサブカルチャー的な視点から紹介・解説。 学術書とか解説本みたいに小難しくなく、 極めてやさしく、おもしろく、深ーく書きまーす。
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記事一覧

「フランダースの犬」でルーベンスのキリスト画が描かれた理由とは

『フランダースの犬』と『火垂るの墓』は、ちょっとマジで発禁にしてほしい。いや子どものころは「なにこれ、かわいそう……」って、そんだけだった。しかし大人になってから観ると、救いがなすぎてバウンスビートくらい動悸がしてオロオロ泣く。18才以上禁止とかにしてほしい。O-18。オーバー18歳だこんな作品は、やめろ。観せるなもう(泣)。 そんなフランダースの犬といえば、やっぱり最終回。主人公のネロと愛犬のパトラッシュが寄り添ってルーベンスの「キリスト昇架」と「キリスト降架」を観て「な

人間がヲタクになり推し活を終えるまでを4ステップで解読してみた

私は主にアート、マンガ、音楽、小説といった分野でライティングをしている。これらの創作物は、広義で「文化(カルチャー)」という枠でくくられる。 ただ、カルチャーは決してエンタメだけに特化した言葉じゃない。カップ焼きそばUFOのパッケージとか、無印良品のオーガニック食材とか、そういうものもひっくるめて文化だ。決して一過性のブームではない。何人かのヲタがソレを推して歴史を作ったもの。それが文化となる。 カルチャーについては以下の記事で紹介していますので、暇すぎてもう飲料の原材料

一所懸命に鼻をほじる自分に嫌気がさしたので定期投稿を再開します

「最終更新148日前」 なんとなく眺めていたスマホに、そんなあまりに衝撃的な文面が現れ、思わず鼻をほじる指が深層部で止まりました。 「そんなに長くマガジンを更新していなかったのか」と冷や汗が噴き出したんです。シーブリーズのCMくらい汗出たんです。そりゃもうツツーじゃなくてドバドバと。指は鼻腔です。冷や汗が出過ぎて、鼻奥の変なスイッチ押したかと思った。 作るより前に私は熱心に鼻くそをほじっていた え、148日……? いやいやネタが完全に死んだわけじゃない。おかげさまでい

横光利一とは|新感覚派の旗手の生涯を蠅などの代表作とともに紹介

「小説の神様」といわれた人間は2人いる。1人は「暗夜行路」などで白樺派の代表的な作家にまで成長した志賀直哉。そしてもう1人は新感覚派の旗手・横光利一だ。 はじめて読んだ横光利一の作品は「春は馬車に乗って」だった。そのあまりの美しさ、鮮烈な比喩表現に衝撃を受けたことをマジで今でも覚えている。 すごい作品だ。鳥の内臓を「瑪瑙のような」とか書いてて、表現がエグすぎて、もう逆にマジでよくわからなかった。 昔に活躍した作家や画家は、今見ると色褪せてしまうこともある。しかし横光利一

金子みすゞとは|日常に想像力を足して誰も見たことない世界を書いた詩人

東日本大震災が起きて民放のCMが流れなくなったとき、金子みすゞの「こだまでしょうか」が流れたのは記憶に新しいところだ。 「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。 「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。 「もう遊ばない」っていうと 「もう遊ばない」っていう。 そして、あとで さみしくなって、 「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。 こだまでしょうか、 いいえ、誰でも。 相手にかける言葉は自分に返ってくる。思いやりの大切さをいったこの詩は、優しさが溢れていて

芥川龍之介とは|人間のエゴを描き「答えのない難題」を書いた作家

芥川龍之介の作品は、たぶん日本国民の80%くらいが読んだはずだ。「羅生門」は高校の教科書の常連ですよね。福田雄一監督の作品における佐藤二朗くらい毎年出てくる。 男が死人の髪を売ろうとする婆さんを見つけ、服を剥ぎ取り逃げていくシーンに衝撃を受けた人も多かろう。「イカれた婆さんだ。服をパクられても仕方ないだろ」と感じた方もいると思う。しかし一方で「ちょ、婆さんかわいそうじゃね? お腹減ってんだから仕方ないよ」と思った人も多かろう。 芥川龍之介(特に初期)という人は、こうした「

太宰治の「人間失格」で笑えなくなった人は、いったん寝るべきだ

太宰治といえば、非常にネガティヴかつ陰鬱な作品ばっかりで、読んでいて暗くなると思われがちだろう。はい。その通りです。一見、死ぬほど暗い。ずーっと、うじうじしている。 しかし人によっては、笑いながら読める人も多い。渋谷のクラブでコロナビールの瓶にレモン沈めてる兄ちゃんが読んだら「いや、こいつ自分好きすぎるっしょ。ウケんだけどやばくね」と笑いながら読むに決まっている。 なかでも「人間失格」という名作はヤバい。とにかくずーっと自分語りで、自意識過剰が止まらない。「他人に気を遣い

自然主義文学とは|西洋と日本の違いを徹底解説

日本近代文学の歴史は坪内逍遥と二葉亭四迷からはじまる。ということは以前も書きました。 水戸黄門とか遠山の金さんみたいな「勧善懲悪」の世界について「いやもう戯作やめぇ。アンパンマンすな」とツッコみ、現実のリアルな舞台をもとに人の心理を書くことをすすめたんですね。 これが写実主義だ。なので べし とか なり とかでなく「話し言葉で書く」ようになるんですね。 で、そのあとに「江戸の戯作は日本の文化だろうが」と擬古典主義が出てきて写実主義に反発する。これをロマン主義という「俺の

萩原朔太郎とは|日本近代詩を作り上げた「ザ・才能」の一生

文豪ストレイドッグス、文豪とアルケミストなど、文豪をモチーフにしたアニメ作品はいくつもある。そして当時の文壇は男性がほとんどであり、こうした作品はほとんど801向けになり、池袋で薄い本が出て……という運命を辿る。 まさか彼らも、死後にここまで男色化されると思わなかっただろう。これらの作品をきっかけに近・現代文学に興味を持った人も多いと思う。すごく良い試みである。 なかでも文学者を登場させたコミカライズとして私がお勧めしたいのが、清家雪子さんの「月に吠えらんねえ」。タイトル

樋口一葉とは|「奇跡の14カ月」で女流作家の道をひらいた天才

樋口一葉という作家には、いまだに熱狂的なファンが多いと思う。女流文学者の最初期に活躍した作家であり、その波瀾万丈な24年の人生には感動すら覚える。まさに「駆け抜けた」という言葉がぴったりとハマる作家です。 彼女は女流アーティストとしてのカルチャーを生み出した、ともいわれる。松任谷由実や椎名林檎への影響を語る書籍もあるくらいだ。椎名林檎に関しては歌詞にちょいちょい出てくる花魁言葉、また東京事変のキーボードに「伊澤一葉」と名付けるくらいには影響を受けているだろう。 今回はそん

祖父江慎のブックデザイン|「誰もやってないからおもしろい」という話

数年前、祖父江慎さん(以下、僭越ながら敬称略)にお会いした。彼が代表を務めるコズフィッシュが関わるお仕事に、ホント「カスる」くらい参加させていただいた。それ以前からもちろん大ファンだったので、実際に目の前にすると興奮したものだ。 祖父江慎さんは、ブックデザイナーである。「装丁画家」ではなく、ブックデザイナーだ。ではブッデザインとはなんぞや、というと「本そのものをデザインする仕事」です。表紙はもちろん、中の紙質、印刷の色、フォント、行間の幅、ノンブル、スピンに至るまでをデザイ

サブカルとアングラの違いとは|ヤバい世界について本気で考えてみる

「アングラとサブカルの違い」は一般のメインカルチャーで生きている人には理解し難いものがある。「いやいや、どっちも絡みにくいでしょ」とまとめてしまいがちだ。 しかし気をつけてほしい。アングラ畑で"毒"を撒布している人と、サブカル畑で"無駄"を耕している人は違う生き物だ。当人からすると「一緒にしないでくれ」と思っているパターンは結構ある。 アングラの人に「お前、ほんっとにサブカルだな」と安易に声をかけるのはマズい。「ちげぇよ。俺はアングラだよ」と血走った眼で返されるだろう。な

日本近現代文学史をまとめ|23種類の流派を80人の作家で徹底解説

私たちが普段読んでいる小説や詩などの文学作品。その基礎は坪内逍遥の「小説神髄」と二葉亭四迷の「浮雲」によって作られた、ということを以前紹介した。 この2作はガラケーからスマホに変わったくらいの革命を日本文学に及ぼしたわけだ。 2人が構築したのは「写実主義」だった。それまでの日本文学は「人間の心理にほぼ触れず、勧善懲悪のストーリー」ばかりを追いかけるものである。 それが「写実主義」では「心理描写に重きを置き、かつ日常的な世界が舞台のもの」となったのである。 この「写実主

二葉亭四迷の「浮雲」とは|あらすじ・言文一致体の意味をわかりやすく解説

日本文学の歴史において、坪内逍遥の「小説神髄」が革命的な役目を果たしたことは以前に紹介しました。この評論がきっかけで日本文学は「勧善懲悪の江戸戯作」から「日常を舞台に人間の心理描写をリアルに描くもの」に変化していくわけだ。 しかしこの評論をもとに坪内逍遥自身が書いた「当世書生気質」という作品は盛大にすべり散らかすわけです。「江戸戯作なんてもう終わりにしよう!」といった坪内自身が、まだ若干江戸戯作のテイストを引きずっていたのだ。 そのことを指摘したのが二葉亭四迷だ。そして「