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かかとのこと

わたしはずっとかかとが気になっていた。

家事で、一か所にしばらく立っていないといけないものの代表って、食器洗いではないかな。あと洗濯物干しとか、玉ねぎをじっくり炒めるとか。ああいうのが苦手でね。

あっちこっち飛び回るようにしてやる家事は、それほど苦痛を感じないのだけど、一か所に留まる必要がある家事って、いつも心が穏やかでないままやっていた。だからみんな食洗機買うのか。それもひとつの解決策だと思う。

なぜ苦痛かというと、汚れた食器がきれいになっていく達成感を味わうよりも、これが終わったら、風呂洗って、明日古紙回収だから新聞紙まとめて・・・、と常に先のことを考えているからなのだ。

日頃は、見えない未来のことを気に病んだり、予定を決めてしまいたくてやきもきしている人を見ると、今だけ見てりゃいいじゃん、と思ってしまうのだが、食器洗いのときばかりは、わたしが今に向き合わず、常に先のことを考えている人になっているのであった。

ここでいきなりスピリチュアルな領域に飛びますが、マインドフルネスっていう考え方がありますね。イマココを生きるってあれ。スティーブ・ジョブズがなんたらかんたら、続きはググってほしい。

人の心は今、目の前を見ないことがちょう得意。
生まれたばかりの赤ちゃんをみて、学資保険かけなきゃとか考えるわけですからね。意味わかりません。

それがね、かかとがちゃんと地面(大地と言ってもいい)についていると、少し落ち着く心地がすることに気がついたんです。
なにこれ、はじめての感覚!

なぜかかとの存在に気づいたかは、とあるダイエット本(美尻を手に入れようみたいなやつ)がきっかけでした。
「美しい尻を手に入れるためには、足裏でちゃんと立っていることが欠かせない」そして、ちゃんと立つとは、「足の親指、小指、そしてかかとの三点でちゃんと支えて立つこと」みたいなことが書いてあったのです。

そこで、はっと気づいたのです。
わたし、全然かかとに支えてもらってない。
つまり前の2点(親指と小指)のみで支えてる。
そら、きついわー!
だって、常にヒールをはいている状態ってことですよね。
常に走り出そうとする体勢のまま、食器を洗っていたってわけ。
そら、心ここにあらずになるわ。

そこで気をつけて、かかとを意識して食器を洗おうと思い始めたのですが、かかとで支えてもらえば心が楽になるって一瞬わかったのに、なかなか続かない。かかとを感じたいのに、感じられない。どうしてだろう・・・そういうことがしばらく続きました。

次回に続く。

*わたしの考えは、決してぜんぜんオリジナルでなく、どっかで文章を読んだり、人が言っているのを聞いたりして、自分のからだの使い方に取り入れてできてきたもの(未完成)なのですが、どの本を読んで、とか、どの人が言っていた、ということを本人に無許可で載せるのには抵抗があるので、書いていません。先日の首の記事の接骨院は、個人的に知り合いで、先日こういう話を具体的にできたので、載せています。


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