見出し画像

少女マンガ原作映画の〈変化球勝負〉時代

僕はいわゆる少女マンガ原作映画が好きだ。原作のマンガ自体はいっさい読まないのだが、映画館に掛かっている最新作は基本的に見るようにしている。だいたい主役の女の子はニコラかセブンティーン出身のアイドル女優で、お相手はジャニーズあるいはメンズノンノのモデルが務める。お話の型もほぼ同じだ。「高慢と偏見」よろしく主人公の前にちょっと気になる男の子が現れ、迷ってるうちにもうひとりの恋人候補と、彼らの関係を邪魔する鞘当て役が登場する。一度はすれ違い破局を迎えるが、なんやかんやあって主人公は〈本当にたいせつなこと〉に気づき、大きな飛躍と成長の果てに大団円を迎えるのである。メインのターゲット層は女子小中学生で固定されていて「アンパンマン」や「ドラえもん」のようにいずれ世代交代する。だから同じ内容の焼き増しでもまったく問題ない。文句を言うのはめんどうなオタクぐらいだろう。

僕は完全にターゲット外だからどちらかというとその〈めんどうなオタク〉側だ。映画館に行ってもまわりは妹より年下の女の子しかおらず、少々肩身が狭い。僕自身の恥じらいはともかく「変な男が隣りに座ってる」などと不快になられても困る。だから予告編が始まって劇場内が暗くなってからこっそり端の席に座るようにしている。でも、僕はなんども繰り返されるお決まりのパターンにケチをつけるつもりはない。むしろその繰り返しを楽しんでいるし、「男はつらいよ」のように作品同士を比較してその変化や違いに面白さを見出している。「L・DK」や「ホットロード」の爆発的ヒットに始まった近年の少女マンガ原作映画ブームをふりかえって見ると、いまではスターになった俳優の初々しい演技が見られたり、ジャンル全体の変遷がつかめてきたり、掘れば掘るほど興味深い。

少女マンガ原作映画のこれまで

ブーム真っ只中の2015年(この前年「壁ドン」が流行語大賞トップテンに選ばれた)に書かれた「少女マンガが映画化される理由――『ストロボ・エッジ』『アオハライド』『ホットロード』がヒットした背景」は少女マンガ原作映画の歴史を非常によくまとめている。この記事でライターの松谷創一郎は、ブームの源流を「山田太郎ものがたり」「花より男子」など2000年代初頭のジャニーズ主演学園ドラマに見出し、その後のテレビ局幹事映画を中心とした邦画の復活、それから「20世紀少年」「DEATH NOTE」「テルマエ・ロマエ」等の人気マンガ原作映画の発展と原作枯渇を経て、確実なヒットを見込める鉱脈として少女マンガが〈発見〉されるまでを見事に指摘している。文中のグラフにもある通り、ジャンルのピークは2014年といって間違いないだろう。これより前にも「僕等がいた」(2012年)や「のだめカンタービレ」(2009年~2010年)など前触れ的な作品はいくつかあるが、この年だけで7本もの少女マンガ原作映画が公開されている。しかも「L・DK」や「ホットロード」などブームの火付け役となった話題作に始まり、「アオハライド」や「近距離恋愛」、「好きっていいなよ。」など人気原作の実写化が並ぶなど作品の層も厚い。これだけ良作が立て続けに公開されれば観客が増えるのも納得である。このあと2016年には「黒崎くんの言いなりになんてならない」、「オオカミ少女と黒王子」、「植物図鑑 運命の恋、ひろいました」、「青空エール」、「四月は君の嘘」など興行収入10億円超えのヒット作が続々登場し、少女マンガ原作映画は〈バブル〉を迎えることになる。

しかし、それ以降、少女マンガ原作映画は緩やかに衰退の一途をたどっている。よく言われているのは、大ヒットを見込める人気原作マンガを一通り実写化してしまったこと、それから観客が飽き始めてしまったことの2点であろう。ブームは所詮ブーム。いくら世代交代があるとはいえ、ずっと同じことを繰り返していると新鮮味がなくなってしまうのもまた事実である。2018年の記事「ブーム去り、ことごとく失敗の「キラキラ映画」 次に来る恋愛映画は?」では、供給過剰によるワンパターン化と福士蒼汰や山崎賢人のあとを継ぐ次世代のスターがいないことを観客の飽きの理由と分析している。僕が興行的には最高潮だった2016年ではなく2014年をジャンルのピークと表現したのは、正直2014年以降のラインナップはファンの僕から見ても飽和状態だからである。「オオカミ少女と黒王子」は面白かったけど「青空エール」や「四月は君の嘘」はかなりガッカリな出来だった。贔屓目に見てもそうなのだから、もっとニュートラルな目で見る〈非・めんどうなオタク〉の観客が辟易するのはなおさらだろう。

変化球勝負の時代へ

じゃあ最近の少女マンガ原作映画はどうなのかというと、じつは若干立て直しているのではないかと思っている。供給量は少なくなったが、その分変化球の配分が増えている。例えるならば2014年は全盛期の藤川。全球ストレート勝負でバッターを打ち取っていた。それが130キロぐらいのへなへなストレートしか投げられない時期を経て、ツーシームやらナックルカーブなど配球に自在なバリエーションを加える技工派投球術を覚えたのがここ1~2年の少女マンガ原作映画なのである。ここからは具体的な作品を挙げながらその変化球っぷりを考えていく。各作品のネタバレを含むので気になる方は読み飛ばしていただきたい。

「ホットギミック ガールミーツボーイ」(山戸結希監督/2019年公開)

最近見た中でいちばん衝撃的だったのは「ホットギミック ガールミーツボーイ」だ。監督は「溺れるナイフ」や「21世紀の女の子」の山戸結希。正直、彼女の作品はあまり好きではないし、PV的なモンタージュの多用も映像作家としてはともかく映画監督としてはどうなんだろうと思わなくもない。しかし、「ホットギミック ガールミーツボーイ」は少女マンガ原作のフォーマット活かしたまったく新しい青春映画になっていて非常にすばらしかった。主演に乃木坂46の堀未央奈を迎えながら、セクシュアルな描写にも切り込んでいる。それが単なるサービスカットにはならず、むしろ理不尽で思い通りにいかない世界=あなたとの関係に対する苛立ちや反抗、もっと遠くへ飛び立とうとする主人公・初たちの激情に結びついている。さらに彼女ならではのエッジの効いたカッティングが彼らの感情を乗せ、得も言われぬ疾走感となって映画全体に圧倒的な熱気を与えているのだ。「溺れるナイフ」よりずっとラディカルで、ジャンルの枠を超えた傑作になっていると思う。

「覚悟はいいかそこの女子。」(井口昇監督/2018年公開)

珍しい監督起用といえば、どちらかというとアダルトビデオやアングラな映画を撮ってきた井口昇監督による「覚悟はいいかそこの女子。」も少々変化球だった。少女マンガ原作映画といえば女子目線で「どのイケメンと付き合うか」を描くものが多かったけど、この映画はちがう。自他ともに認めるイケメンだがじつは童貞の斗和(中川大志)が、男子人気ナンバーワンのクールビューティー・美苑(唐田えりか)に告白されるがあえなく振られ…という内容。要するに男子目線なのである。もっというと女の子とまともに接してこなかった男子がもだえ苦しみながら成長する物語になっているという、視点としては少々風変わりな少女マンガ原作映画になっている。小池徹平が先生役を演じるあたり時代の移り変わりを感じてしんみりしてしまったし、女子にちやほやされて調子に乗る童貞という設定は(マンガの世界ではたくさんあろうのだろうが)映画で使われるのはやはり珍しいと思う。画像のように〈逆壁ドン〉が登場していることにも注目していただきたい。

ちなみに井口監督の起用が特殊だと言ったけど「セーラー服と機関銃」など80年代の青春映画傑作メーカーだった相米慎二監督は日活ロマンポルノ出身だし、「ストロボ・エッジ」や「オオカミ少女と黒王子」など全盛期の作品を多数撮った廣木隆一監督もピンク映画で名を挙げた人である。なんとなく少女マンガ原作映画を任されるのはテレビ局に所属する職人監督やアイドルのMV等を手掛けた映像ディレクター系の人、もしくは廣木隆一監督のようなピンク/アダルト出身のおおきく分けて3パターンの印象がある(日本の商業映画の監督はだいたいこの分布のような気もするけど)。

「L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。」(川村泰祐監督/2019年公開)

最後に結ばれない少女マンガ原作映画は多数あれど、男女が結ばれているところから始まり、紆余曲折を経ても最後まで別れない作品を僕はひとつしか見たことがない。上白石萌音主演の「L・DK ひとつ屋根の下、「スキ」がふたつ。」である。これは2014年公開の「L・DK」の実質的な続編だ。キャストは当然のことながら総入れ替えであるが、前作で描かれた物語の「その先」を原作から切り取った形になっている。主人公の西森葵(上白石萌音)が学校一のイケメン久我山柊聖(杉野遥亮)と結ばれ、甘い同居生活を送っているところに玲苑(横浜流星)が転がり込み…という内容。どちらかというと真面目なイメージの上白石萌音がこの手の映画のヒロインをやるのはかなり意外だった。さすが芸達者な人だけあってキュートに演じているのだけど、杉野遥亮との同居生活がやたらと生々しい。そしてエロい。すでに恋人同士だからキスも多い。内緒のお付き合いなので家の壁に「不純異性行為禁止!」とか紙が貼ってあるのだが、絶対そんなことないだろうと思ってしまった。しかし、強引な設定にもかかわらず、カーテン1枚隔てた向こう側にいるあの人の体温を感じて心揺れる葵の姿になんだかんだキュンキュンしてしまうのは不思議だ。映画のラストは文化祭のステージ上での愛の告白なのだが、これは擬似的な結婚式であると思った。恋愛ゲームのその先の〈通過儀礼〉まで描いてしまっているのである。

「私がモテてどうすんだ」(平沼紀久監督/2020年公開)

少女マンガ原作映画もここまで捻るようになったかと思ったのが「私がモテてどうすんだ」である。クラスのイケメン同士のBL妄想を楽しむ腐女子の芹沼花依が、大好きなアニメキャラが死んだショックで1週間寝込んだ末に激ヤセし、誰もが振り向く美女に変身する…という物語。しかも見た目が変わった結果、これまで見向きもしなかったイケメンたちが急に接近してくるのである。正直2020年にルッキズム全開のこの展開はどうかと思うが、作り手もその点については自覚的なのか、イケメンたちに告白されまくるオープニングは主演・山口乃々華(E-girls)によるミュージカル(しかもかなり出来が良い)で強引に処理している。ほかにも10分近い長回しで演者の駆け引きをじっくり見せる演出を選択するなど随所に工夫がちりばめられていて意外に見応えはある。腐女子の芹沼がだれを恋人に選ぶのか?という引きが最後まで効いていてお話もふつうに面白かった。しかし、ジェンダーの観点ではそれなりに配慮が見えるととはいえ既存の枠組は脱していない。富田望生のブス扱いにもデリカシーのなさを感じる。〈人は見た目より中身〉の着地点も予定調和だし、腐女子や二次元の恋愛という好材料も表層的な捌きに終止しているように思う。どうせなら最後は富田望生の容姿で締めるぐらいのチャレンジはしてほしかった(LDHのタレントに花を持たせるのが趣旨の映画にそれを求めるのは酷だが)。

なぜこんなにネチネチ文句を言っているのかというと、同じく富田望生が出演する少女マンガ原作のNetflix限定配信ドラマ「宇宙を駆けるよだか」が抜群に良かったからである。クラスの人気者の美少女・あゆみ(清原果耶)が、ある日を境にいじめられっ子の海根(富田望生)と中身が入れ替わってしまうところから話は始まる。他人と入れ替わる方法を知っていた海根はあゆみを恨んで彼女の人生を丸ごと奪ってしまったのである。しかし、海根は美しい容姿を手に入れてもコンプレックスが災いして他人とうまく関係を構築することが出来ない。一方のあゆみは明るい性格で〈醜い〉見た目のはずだったのに、どんどんクラスの人気ものになっていく…という展開。同じ〈人は見た目より中身〉でも描き方がぜんぜん違う。「美人になったから人が寄ってくる」のと「美人になったのに人が離れていく/〈醜い〉見た目でも人が寄ってくる」はスタートからして異なる。ゆえに描きたいことは一緒でも、見え方や後味は180度変わってくるのである。

ドキドキが足りないなら「火曜ドラマ」枠で

最後は若干話が脱線してしまったが、最近の少女マンガ原作映画に変化球が増えていることをわかっていただけたと思う。僕の作品のチョイスや趣味に偏りがあるのではないかと考える人もいるかも知れない。これはあくまで僕の持論なので、反証がある場合はぜひ指摘していただきたい。そして、もっと面白い少女マンガ原作映画を教えてほしいと思ったりもする。やはり最近はドキドキが供給不足なのである。1シーズンに1本シネコンにかかるかどうかでは物足りないのだ。

そんな中、最近定期的に少女マンガ原作の実写作品を供給しているのがTBS火曜22時の「火曜ドラマ」枠である。2016年冬の「逃げるは恥だが役に立つ」が代表的だが、ここ数年はよりその傾向が強く2019年は「初めて恋をした日に読む話」「G線上のあなたと私」の2本がそれぞれ春と冬に放送され、2020年は「恋はつづくよどこまでも」「私の家政夫ナギサさん」と2本連続で少女マンガ原作となっている。平日夜の時間帯というのもありターゲットはどちらかというと働いている女性たち。制服を着た高校生たちの初々しい恋愛ではなく、モラトリアムを引きずった若い女性たちの〈人生の選択〉が描かれる。もはや好きな気持ちだけでは相手を選べない。なにかひとつ選べば他のひとつを捨てることになる。それでも散々苦しんだ末に、たとえ茨の道であっても好きな人と一緒にいる未来を選ぶのがまたこの枠のドラマのパターンなのだが…いまの僕には高校生の恋煩いよりも、人生の選択を描く〈ちょっとオトナ〉の恋愛ドラマの方がぴったりなのかもしれない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?