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【書く】何者でもない私がnoteを書く理由は何だろうか?

毎日起きたら、まずnoteの画面に
文字を書き連ねていく。
ずっと人とも会わず、仕事も休んでるから、
こうでもしないと頭が鈍る(笑)。
頭を使うために、何かを書いてみる。

手や指を使ううちに
脳内にアドレナリンが
湧いてきたら、しめたもの。

書かないで、頭の中で
アレコレしてるだけでは
形にならないから、どんなものか?
どんなにイケてるか?間違ってるか?
見極めることができません。

「考え」は一度、脳の外に
取り出してやる必要があるみたい。

とはいえ、私は別に、
ネット実業家でも、
メンタルトレーナーでも、
作家でもないから、
人さまに、行動や研究の途中経過や成果、
ノウハウや技術をお伝えできる訳ではない。

そこが毎回、ちょっと気になる。
私が書く意味は何だろうか?
こんなけし粒みたいな存在の私が…?
時には申し訳なくもなります。

でも、たとえ、けし粒みたいな存在でも
何かを書いて人に見せられる、
それがnoteの魅力なのかもしれない。

だから、読んで頂いた方にはせめて、
散歩中にツクシを見つけた時のような
小さな発見くらいのささやかな喜びを
おすそ分けできたら、と
ない知恵と余りある失敗談を総動員して
書いています。

個人的に「理想」なのは、
書く前より、書いた後のほうが、
何かしら、ささやかな発見や疑問を
自分が得てることでしょうか?

書き終わっても、書く前と同じで、
いつもの持論をただ繰り返したような
記事にはしまい、と戒めてる。

私が正解の持ち主で、
思考の運び方も正しいなんてスタンスで
書かれたものは、詰まらないから。
新聞の社説が詰まらないのは、
正しい書き手が、
正しく「考え」て
正しい答えを伝える、
そうしたごう慢な態度だから。

書く前と、書いた後で
目の前の景色が変わるくらいがベストですが、
毎回それはむずかしい。まあそれを目指しつつ。

「書く」とは、実にあやふやな自分の
心の今の姿をどれだけ素直に
自分や読者にとり出して見せるか?
そんなことなのかもしれませんね。

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