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【開高健の本質】どんな町や村にも匂いがあるという閃き

開高健は、本質において、
もしかしたら、詩人だった気がする。

ベトトム戦争に従軍して
たちまち世に放たれた
『ベトナム戦記』の冒頭は
こう始まっている。

「どの国の都にも忘れられない
匂いというものがある。
私がおぼえているのは
パリなら冬の夜の焼栗屋の
火の匂いである。
初夏の北京はたそがれどきの
合歓の木の匂いでおぼえている。
ワルシャワはすれちがった男の
ウォトカの匂いでおぼえている。
ジャカルタの道には椰子油の
匂いがしみこんでいた」。

そうして、ベトナムはというと、
どの町、どの村へ行っても、
ニョクマムの匂いがしみこんでいる
と書かれてある。

ニョクマムとは、あの、
ベトナム料理にしばしば
ふりかける魚醤ですね。
同じものを、タイでは
ナンプラーと言いますね。

開高健は、町を、
植物であったり、
食物であったり、
調味料で例えているのだけど、
どれも、ピッタリだ、
と思わせてくれる。
さすが行動派作家の面目躍如。

開高健の他の作品を、
こんな比喩方法で当て嵌めるのも
また面白そう。
ちょっとやってみましょう。

『輝ける闇』は
ベトナムに従軍した自分自身を
モデルにした戦争フィクションだから、
この作品はやはり
ベトナムの調味料の代表、
ニョクマムの匂いがするでしょう。
いや、時おり、
バーボンの香りがする。

では、『輝ける闇』と対を成す
『夏の闇』はどうでしょう?
ひたすら眠り、食らい、抱き、語り、
絶望し、また眠る、
その粘着質の強い作品は、
いっこうに醒めない
ウォトカの匂いを放っている。

他の作家ではどうでしょう?
宮沢賢治の童話は、匂いでいえば、
アルコールではなく、
ラムネやサイダーだろうか?
でも賢治はただのラムネではないなあ。
もう少し毒っ気がある。
なんだろう?うまく例えられない。

三島由紀夫の代表作
『金閣寺』はなんだろう?
囲炉裏の中で弾けつづける火だろうか。
しかし、それでは、
スケール感があまりに小さい。
例えがちがうなあ(汗)。

太宰治の『ヴィヨンの妻』なら
これはだんぜん、ビールだろう。
これは雰囲気がビールっぽい。

ああ、こう書いてみて、
つくづく分かりました。
いやあ、開高健はさすがに
どれも、当て嵌め方が抜群だ。
なんともピッタリな比喩であることよ。

開高健はいかに一行一行、
神経を研ぎ澄ませて書いていたか?
つくづく思い知らされました。
これこそ実力ってことなんでしょうね。
私にはとうてい真似は出来ない(汗)。
今夜はよく眠れない夜になりそうだ。

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