【文豪】安部公房は一度も文学青年ではなかった
今夜は
セブンイレブンのイートイン席で
本を読んでます。
まっすぐには帰りたくない
気分だったんです。
さて。
今日は、新潮文庫で、
嬉しい新刊が2冊ありました。
安部公房のエッセイと
幸田文のエッセイです。
エッセイ好きにはたまらない日でした。
安部公房って、
医学部出身だったんですね。
しかも東大の医学部。
まあ、学歴はともかく
安部公房は、
医学的な問題を抱えた発想が
多い気がしてきました。
膝からカイワレ大根が生えてきたり、
毒薬で顔の表面を失ったり、
顔を箱で覆われたり、、、
医学的かどうかは後づけですが(笑)。
でも、安部公房は
作品の設定がすでに名作だ。
話は変わりますが、
ショートショートの名手、
星新一も理系でした。
たしか、星さんは東大の農学部。
SF的な世界観を作るのに、
理系の人は才能をフルに
発揮できるんでしょうね。
だからでしょうか、
安部公房も星新一も、
作品の底流は、
どこかカラリと乾いている、
そんな気がするんですよ。
安部公房は自分で書いてますが、
彼は一度も
「文学青年」だったことが
なかったそうです。
なんだか、それもカッコいいな。
そこへ行くと、
三島由紀夫や太宰治は
まあ、情念や哀愁や絶望の世界。
とてもカラリと乾いてるとは
言えないですね。
そんな風に考えると、
安部公房や星新一が
何だか羨ましいというか、
アタマひとつリードしている
気がするじゃないですか。
別にどっちが偉いとかじゃあ
ないんですが…。
私は悲しいかな、
18歳の頃に、
太宰治や大江健三郎の毒に
やられて以来、
ズブズブに「文学青年」で
おりますが、
時々、安部公房なんかを読むと
ああ、なんだか、
文学青年なんて止めたいなあ、
もっとサッパリと生きていたかった
なあ、なんて思ったり(汗)。
まあ、翌日には、また
太宰治を読んで、
すっかりズブズブな
文学青年に戻ってしまうんですが。
なんだか、ダイエットの
リバウンドみたいですね(笑)。
心の奥では、
やっぱり、文学青年でいたい
気持ちが強いんですね。
生きる意味なんて
あるのかないのかわかりませんが、
文学青年はそこにこだわるんですよね。
一生かけて。
文学青年はこれは、
一種の業でしょうかしら。
ああ、文学青年、
止めたいんだか、
続けたいんだか(笑)。
あ、私はもう54歳だから、
「文学老人」でした(汗)。