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友の距離 付かず離れず

職場のマルシェでカーランドを張っている最中にボスが呟いた言葉が印象的だった。


遊びを持たせないとすぐ切れちゃうよ。人間関係と一緒でね。


彼がその時に何を考えてたのか分からなかったけど、当時はツッコミを入れるほど仲良くなれていなかったので、そっと聞かないふりをしていた。

シェアハウスに住んでいると、その「遊び」の大切さを感じる時がある。ある種の寛容さであり、適当さであり、無関心さであるそれは、他人と生きていく上では必要といえるくらい重要な視点なのかもしれない。

写真はこの間シェアハウスで鍋を囲んだ時の一枚。管理会社の担当者も混ざり、この後に住人のボーフレンド(ドイツ出身/尺八の修行中)も加わり、もはやなんの会だか分からない状況になっていた。

元々は新しい住人の歓迎会という名目で集まったのだけど、途中からカオスな状況に。会としては破綻している。それでも楽しければそれでいい。誰がそう言った訳ではないけれど、なんとなくそんな空気がその和室に流れていた。

一方で、細かくルールを決めたがる住人もいる。食器の洗い方や冷蔵庫の使い方。お風呂場や洗濯機の時間まで細かく。
決して悪い訳じゃないけど、疲れる。
何より、それを考える人が疲れちゃう。
カリカリカリカリカリカリカリカリ。
そんなことばっか考えていると、他の住人が「ルールを守らないマン」に見えてしまうし、お互いの精神衛生に良くないよね。


この間、前職の先輩のブログを読んで感銘を受けた。

これは自分の好奇心との付き合い方に適切な距離を取ろうという話だったけど、それは人間関係においてもいえると思う。「〇〇はこんな人」って決めつけるのは簡単だけど、人間はそんなに単純じゃないし、何しろ変容を繰り返す生き物だから、そんな決めつけは長持ちしない。

だから「〇〇はこんな一面がある」という事実だけを掬い取って、好きな時に近付いたり遠のいたりすればいいと思う。それができないと、「一週間に1回は会おうね」とか「もう絶対飲みに行かない」みたいに、少し疲れる関係性になってしまう。どんなに好きな人でも会いたくない時はあるし、どんなに嫌いな人だって、少し経つと会ってみたくなる時もある。

そうやって人間関係にも「遊び」を持てれば、急な孤独感に襲われることも減るし、過剰な攻撃性を持つことだって必要なくなる。

子供の頃はそれができないから、小さなコミュニティの中でいじめが生まれたりするのかもね。他の人を「敵」か「味方」でしか区別できないから。


ここまで書いて思ったのは、関係性に「遊び」があるからねにに惹かれるのかも。犬はどうにも「一週間に1回は会おうね」と言ってきている気がするし他の動物は意思の疎通を感じにくい。その点ねこは「一週間に1回は会おうね」と言ってきた次の瞬間に「もう絶対飲みに行かない」と言ってくるメンヘラ性を持ちつつ、なんだかんだ(餌をくれる)自分のことを好きでいてくれる。そんなねこが好きな自分に対しても「好きにすれば?」と言いながら許容もしてくれる。

どっちでもない曖昧で「遊び」のある関係だから、ねこと居るのは疲れないんだな。

友の距離
付かず離れず
遊びたれ

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