チームビルディングのために本音をすることについて思ったこと
[2022/08/11 補足]
この記事は、2020年公開当時に働いてたインターンでの経験で述べたものです。
私の所属しているインターンでは「自己開示」がやたらに主張される。ここでいう自己開示とは、チームの中でチームの結束力を高めるためにお互いのプライベートについて語る行為のことを意味してる。
お互いのプライベートを探り合う必要があるのか
所属しているコミュニティでは、自己開示が「自分の過去のプライベートな情報の公開」や「1on1ミーティングでお互いの本音を交換しあうこと」として捉えられがちなのだが、私は自己開示がこの様なあり方であることに疑問を感じる。もっと丁寧にいうと、チームの生産性を高めるのにお互いのプライベートを必要以上に公開しあう意味が無いと感じる。
チームメイトの特性を把握しておくことは大切だ。コミュニケーションが円滑になるし、行うべきタスクも人それぞれの性格に応じて得意なことがある。この性格は、いつものコミュニケーションでも把握できるものだと思う。「君は何が趣味なの?」ぐらいの会話はあって当然だし、ここでいう自己開示には含まれないと思う。自己開示という題目でメンバーの負の部分を含めたプライベートを半ば強制的に語れというのは気持ち悪い。
私は日常的に自己開示している
私と少しでも話したことがある人は私の性格が「素直、真面目、正義感」という属性を持っているのは分かるだろう。私は、オモテとウラというものを作るのがニガテだ。人によって表情と行動を変えれられるコミュニケーションが上手い人間とは対照的に、自分の考えや行動を他人によく見られる様に取り繕うのが大のニガテだ。だから、私は基本的に対話の中で自分の考えを包み隠さず開示しているし、自分が話題の中心になるのは、例え自分が恥ずかしい内容であっても好きだから、自分のプライベートな感情や過去も積極的に共有する。ここで言いたいのは私は日常的に常に自己開示を行っている。ということである。
日常的に自己開示を行っているからこそ、それ以上の自己開示というものは必要無く感じる。私は、外から見られた私がそのまま私なのだ。人によって受け取り方は違うかも知れない。けれども、私は自分が常に発信してる以上の属性を隠していないし、どう受け取られようがそれもまた私だと思う。
自分に正直になることが一番大切
結局何が言いたいかというと、自分で自分を理解して、自分の行動に一貫性さえ持っていれば、チーム内で必要以上の自己開示など必要ないのだ。そうしていれば、チームに必要な量の自己開示は提供されるだけろうし、認識のズレもおきにくい。でも、たまに自分を上手く理解できていなかったり、一貫性を持てない人がいる。最悪なのは、人によって付き合い方を変える人だ。一般的な日本人はそういうことが上手い。うわべってやつだ。うわべがはびこっているから、「本当のあなたはなのなの?」と自己開示を迫るような状況になる。
こう書いてきたが…
全部、私の戯言に過ぎない。私は自分の行動に最高の自信を持てるし一貫性を保証できる。全員がそうではないのは当たり前だ。だから自己開示というものが存在するんだろうし、その必要性も少なからず感じる。自己開示には、人と仲良くなれる力が確かにある。なにより私は他人を知るのが好きだから文化自体は好きだ。