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「たのしい」にこだわる

たのしいと思えるのは、どんな時か?

人が「善」であるために大切なのが、日々たのしいことなんじゃないかと思う。

たのしくない時の自分は、ふとしたはずみでダークサイドに堕ちてしまいそうだ。

「たのしそうですね」って言われると、なんだか能天気なお花畑人間に見られているみたいで気恥ずかしいと感じることもあったけれど、「まあ良いことだよな」と思うようになった。

そもそもなぜ気恥ずかしかったのかというと、「たのしそう=真剣味にかける」「仕事は遊びじゃない」的な空気感を、なんだかんだで浴びていたのだろうと思う。「サッカーの試合中、選手が笑うのはけしからん」みたいなヤツ。

ひねくれたことを言うと、「遊び=たのしい」というわけでもないと思っていて、集団で遊んでいても、なんだか流れに乗り切れなくて、余計に孤独になって、「つまらない」と感じる時はままある。微妙な距離感の人との集まりは特にそうだ。多くの場合、屈託なく話をすることができない。人の話に耳を傾けているようでも、心では別のことを考えていたりするのだ。

そう、だから僕にとって「たのしい」と思える時というのは、その行為や空間に没入できている瞬間なんだろう。

たのしい本とは?

当時どこまでそれを意識してつけたのか覚えていないのだけれど、僕が最初に書いた本のタイトルは『たのしいインフォグラフィック入門』で「たのしい」って言葉が入っていた。

その後、『VISUAL THINKING』という本の帯コメントを書く機会があって、その時も意識せずに「たのしい」って言葉を使っていた。それは、こんなコピーだ👇

たのしく仕事をしたい。
そう思った時に絵を使えばいいと気がついた。
子供時代のラクガキみたいに、
見よう見まねではじめてみよう。

この帯を書いてみて、ああそうか、僕は「たのしい」ってことを大事にしているんだと気がついた。

それで新しい本のタイトルにも「たのしい」と入れたいと思った。そうやってこだわって決まったタイトルが、『たのしいスケッチノート』だ。

さきほど書いたように、僕にとって「たのしい」時というのは何かに没入して、ハマれている時だ。その時間が長ければ長いほど、幸福を感じる。

でも、そうとわかっていても、ついチラチラとスマホを見てしまう。心から没入できる時間がなかなかとれなくて、それが欲しくて前よりも映画館に通うようになった。2時間スマホとバイバイ👋。そうやって得た没入が、何かする時の源泉になっていると感じる。

そんな状況を顧みて、新しい本では、没入できる状態を自発的につくる工夫として、「手描き」にフォーカスした。スケッチノートは、アナログに限らず、iPadで描くのでもよくて、とにかく描くという身体性を通じて没入感を得るものだ。

手段を目的化する

「手段と目的を一緒にしちゃいけない」「これは手段の目的化だ」なんて、ビジネスシーンで警告的に言われることがあるけれど、僕は手段が目的化できるなら、それは気持ちのいいことなのではないかと考えている。それで僕は、スケッチノートに関して手段か目的かは明確に区別していない。

たとえばインフォグラフィックは、情報を伝達するのが目的で、グラフィック化がそのための手段なのは明白だ。ところがスケッチノートは、何のために描くのかっていう目的が曖昧だ。インフォグラフィックのように、広く使える成果物になるわけではないし、はっきりと役立つものでもない。描くこと自体が目的の大半を占めている。

多くの○○術は、手段と目的の分解が不可欠だ。プレゼンの目的は伝えることで、キレイな資料をつくるのは手段のひとつに過ぎず、そこに意識を傾けすぎるのは危険だ。それで多くのビジネス書は、○○という目的を果たすための近道を教えますよと、手段を極端にハウツー化する。

そういうハウツー本と比べると、『たのしいスケッチノート』は、意図的に目的と手段を一緒くたにする天邪鬼な努力をしている。

子供の頃を思い出すと、別に漫画家になりたいからと絵を描いていたわけではないし、ゲーマーになりたいからとゲームをたのしんでいたわけではない。目的なきことを存分にやっていて、それに没入することで心地よい気持ちに浸りたかっただけだ。

ところがこの頃はどうだろう。「それって何のためにやっているの?」と聞かれた時に答えにくいことに時間を投じにくい。

いったんそうゆう打算を忘れたいと思っていて、ただ描くという行為に夢中になれるムードを大人の世界にもつくりたい。

深淵なスマイル

大人がたのしめるという観点では、ウォルト・ディズニーはこんなことを言っていたらしい。

ディズニーランドは子どもだけを相手に作っているんじゃない。人はいつから子どもでなくなるというのかね。大人の中に、子どもという要素がすっかり消えてしまっていると、君は言いきれるかい? いい娯楽ってやつは、老いも若きも、誰にでもアピールするものだ。
──『ウォルト・ディズニー 創造と冒険の生涯』より

そんなウォルトの思想があって、ディズニーランドやディズニーのキャラクターは、僕をたのしませてくれる。

でも、ミッキーマウスやらドナルドダックやらの顔を見ているうちに、ふと不気味に感じる瞬間がないわけではない。あのニンマリとした笑みが、本心からのものではなく、つくりものみたいに思えてしまうのだ(まあ実際、つくりものなのだが)。

あのニンマリは、偽善的を通り越して、偽悪的ですらある。太宰治の文章みたいに。

ミッキーの笑みは、いま上映中の『ジョーカー』の笑みと紙一重だ。両者の笑みには、必要悪と必要善の両方が詰め込まれていて、ミッキーの場合は善が優っていて、ジョーカーは悪が優っている。その違いはほんのちょっとしたバランスで、僕の体調や心理状態によっては、違った見え方をする。

つまりディズニーが生み出す「たのしさ」ってのは、善と悪のバランスからなるもので、それと比べると僕が「たのしい」を大事にしたい、本のタイトルに入れたいなんて思うのは、どうにも深淵さに欠ける。

そんな葛藤もありはするのだけれど、人の危機感を煽るような本のタイトルにしたくなかったし(『知らないと損をする』みたいなヤツ)、便益推しにもしたくなかったので(『これだけ知っておけば大丈夫』みたいなヤツ)、自分のスタンスを明示するために「たのしい」という言葉を選んだ。

軽さはあるものの、とても気に入っていて、『たのしいスケッチノート』ってタイトルに後悔はない。



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インフォグラフィック・エディター/ソーシャル・エディター🦓NewsPicksで働きつつ、個人でも活動中。サイト『ビジュアルシンキング』運営。コミュニティ『ビジュアルシンキングラボ』主宰。📚著書に『たのしいインフォグラフィック入門』『図で考える。シンプルになる。』 ほか。