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微笑みの国で今を生きる:ともだちインタビュー09 ロート

友達インタビューシリーズも、気づけば第9段になりました。
遂に初めての国際インタビュー。
画面の向こう側でひっきりなしに鳴っている
緊急車両のサイレンと共に話をしてくれたのは
微笑みの国タイで働くロート君です。

初めて会った時から「不思議な目を持つ人だな」と思っていた。
仏像の半眼を思わせる、感情の読めない深い瞳。
どう見ても若いのに、年上の誰よりも落ち着いた佇まい。
しかもタイからわざわざ大崎のスクールへ来たという。
謎だらけの彼を今回は紐解けるチャンスだった。

神戸の教師夫婦

の元に生まれる。父親が理科、母親が保健の先生だ。
家で実験を見せてもらったりして、
自分も教師になると自然に思っていた。

しかし偶然高校時代の留学をきっかけに
人生は大きく別の方向へ動く。
通った高校が偶然提携先だった
だけのきっかけだが

タイに惚れてしまった

「お互い言葉もわからない生徒同士で
片言の英語や、授業で習いたての日本語を使ってくれて
通じ合った瞬間の喜びが大きかった
とその理由を語る。
また第二外国語に日本語を選ぶ人も多い親日国で
日本語を学んでいる姿に感動し
「自分もタイ語を学びたい」と決意。
そのまま大学を外国語大学のタイ語学科に絞った。
「日本に3つしかないんですけどね」

タイ語の特徴を聞いてみた。
・全体的に中国語に近い構成
・活用変化がない点は楽。
・文法も厳格ではない
・文字と発音が難しい。
・声調(同じ発音でも言い方で違う意味になる)がある。

大学ではサークルや学生団体など
学生らしい活動も選びながらも
主に留学してくるタイ人たちと遊んでいた。
「色々体験してみようと思って一通り試したんですが
 長く続いたのはウィンドサーフィンくらい」
議員インターンの団体でも多くを学んだが
仲間ほど政治に対する熱量は持てなかった。

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タイや東南アジアのビジネスに興味があった為、
大学2年生の時に開かれたキャリアイベントに参加しようと
シンガポールまで飛んだ。
多くの起業家が熱いスピーチをする中、
一際興味を惹かれたのが
タイで人事コンサルタントをしていた人物。
「他の人達が今すぐ起業しよう!みたいなイケイケだったのに比べて
その人は「とりあえず日本の大企業務めたらいいんじゃない?」
みたいな地に足がついた人でした。

その熱気に押されて
カンファレンス後にメッセンジャーで連絡を取る
来年タイに留学するつもりなので、何かやらせてください」と。
実際翌年に交換留学で1年タイに来ると
インターンとして働き始めた。
既にタイ語を習得していたロートには
楽しく充実感のある時間を過ごし、
自然と就職先を「タイ赴任が期待できる日本企業」に絞った。
しかし「下手すれば10年働いても来れるかはわからない」
状態の日本企業より
確実にタイに住め、やりがいのある仕事ができる
会社が目の前にあると気づいた。
「日本企業を一回知っておいた方が」と

反対する社長を説き伏せ

そのままインターン先の起業へ就職を決めた。

なぜそこまでして?
「タイの人たちにとって日本企業で働くっていうのは憧れで
日本語を一生懸命勉強して希望と共に入るんですけど
実際には社風や日本的なやり方に合わない人もいて」
日本企業でタイの人々がもっと
働きやすい環境にすることにやりがいを感じた

現在の企業向け人事コンサルティングで
その一助ができることに充実を感じている。

営業もすればセミナーの講師もする。
小さい会社の中で求められるまま頑張る内、
気づけば4年目に入った。
「元々3年が区切りの気持ちでいたんですけど」
居心地の良く、すっかり頼られている職場。
しかし同時に「狭い世界に閉じこもっているのでは」
と不安になることもある。
かつて日本からタイへ初めて来たときのように
自分の世界が大きく広がる瞬間を探してもいる。

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優しくありたい

どういう自分になりたい?という質問に答えた。
「自分の名前が諒って言うんですが
これは元々「了解」を「諒解」と書いていたらしくて」
いろんな事を受け入れられる人間になりたい。

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彼の言葉の端々から、両親からの影響と敬意を感じる。
「父親も技術者から教育者になったような人なので
人生どうにかなる、という思いはいつもあります」

役割と癖

自身の苦手な事に自己開示と答えた。
「小さいときからずっと優等生的な扱いを受けて
自分もそうでいたい、というスタンスできたので」
相談される事はあっても、自分がすることはなかった。
地元では優秀で知られ、妹を持つ兄でもあり、
周りが作ってきた凄いやつの像に
自分もかっこつけて乗ってきた
」と。

「そういう部分がコーチングで
何か開けるかもという期待もしています。
そうなった方がもっと
信頼できる関係が作れるんじゃないかと。」

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諸行無常の教え

「タイに来たこと自体には及ばないものの」
と最後にユニークな体験を語ってくれた。
タイのお寺で1ヶ月修行しました」
髪と眉をそり
現地の僧侶と行住坐臥を共にした。
「仏教自体に熱心というより、その教えの面白さや
長年人々に信頼されてきた知恵に惹かれました」

タイでは日本よりも家族が重要な存在だ。
離れて暮らしているロートに
兄弟子が「諸行無常」を交えてこんな話をした。

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「例えば君自身も、明日生きているかどうかわからない。
家族が突然事故に会うかもしれないじゃないか。
家族への感謝を伝えたいと思うのなら、何故今日伝えないのか?

それを聞いて彼はその日から
両親と祖父母に毎日電話をするようになった。
「いきなり電話しても、お互い喋る事なかったりするんですが
段々慣れてきて、今は気楽になんでも話しています」
その毎日は、今でも続いている。
特に地方で一人で暮らしている祖母はとても喜んでいるようだ。
家族の中で一番抵抗があった妹に対しても、
照れを乗り越え、時々連絡を取っている。

日本にそういう人少ないと思うけど、
やってみたほうがいいと思う?
「そう思います。最初恥ずかしくても
3回くらいやったら慣れると思うんで」

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自分が、何を与えられるか

ある日、兄弟子に言われて、ハッとしたことがある
「お前はいつも
人から何を得られるかばかり考えていて
何を与えられるかを考えていない。」

仏教が浸透しているタイでは、日本で見られない光景がある。
例えば昼休みに食事を買いに出ると
誰彼ともなく他の人に分ける分の食べ物を買ってきたりする。
「コロナ禍の今では、街に困っている人用に
食べ物を置く場所があって
そこにみんな食料を寄付したりします」
得る事よりも、与える事の方が大きな喜びだという教えだ。

それから仕事でもそれ以外でも、
何をしたら周りの為になるかを、考えて生きるようになった。
「その方が、自分も周りも、幸せになっていくと思うんですよね。」

今を生きる

最後に、ふとこんな質問が浮かんだ。
そんな経験を経て、諸行無常を胸に生きていると、
もしかして、今後の目的とか将来とか、
あんまり考えなくなる?

「そうなんですよね。
この一瞬、一瞬をと
だから、ある日周囲と比べて焦ったりして
将来設計を、ビジョンを、とか
持たなきゃいけないと思ってしまう気持ちとの
折り合い
の方が大切かもしれないです」

最後の一言に、彼の精神性がとてもよく出ている、と思った。
ただ今を生きる事の難しさを
少しだけ先から教えてくれているように
僕には感じられた。


あとがき

冒頭に書いた
「仏像の半眼を思わせる、感情の読めない深い瞳。」
という表現は自分でも気に入っている。
彼の不思議な眼差しをよく捉えた言葉だと思う。
内面を晒しながら右往左往する参加者の中で
けして構える事なく、自然体で佇んでいる。

とても「きちんと」やろうとする人でもあった。
そうやって目の前のミッションをこなしてきたと
説明されなくても伝わるものがあった。
インタビュー中も
何度か難しい質問をする事があったが
その度に彼は、自分なりの解釈を丁寧に説明してくれた。

今後の彼が、
自身で心配するような「いつか価値のない人間」に
なる事はないだろうと僕は思う。
でも1つ願う事があるとすれば、
途中 少しだけ 口にした
「心を許せる友達」がもっとできたらいいなぁと。

きっと彼の人生を
より深くするように思えたので。

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