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「大豆田とわ子と三人の元夫」が描く上質な孤独

 今期ドラマでいちばん泣いた、泣かされた作品はどれかと問われたら、やや迷った挙句この作品を選ぶ。

 おそらく長く私のことを知ってくれている方には自明のことだが、自分は一度別れた人間、とりわけ恋愛関係やそれに準ずる関係にかつてあった二者が、勢いではなくその関係を見直し再考する過程がとにかく好きだ。かつて「最高の離婚」についても触れたことがあるが、その結末が添い遂げであれ離別であれ、過程を問い直すという行為そのものが尊い。問い直しには思考が伴い、思考には問いがつきものである。人間は何かを考える限り「飽きる」ということがない。思考は最大の娯楽で、時間潰しだ。人間関係においても同じことが言えるだろう。

 このドラマはまさしくそういう、よく表現できない、うまく言えない関係性のいい大人たちが繰り広げる広義のラブコメである。ラブが軸ではない(主要ではあるが不可欠ではない)ため、ラブというアプローチで語られないながら、非常に真摯に愛を語っている作品だと思う。

 おそらくこのTLの視聴者には「最高の離婚」の視聴者が多くいると思うのだけど、「MIU404」に「アンナチュラル」が欠かせないように、「大豆田とわ子と三人の元夫」には「最高の離婚」が欠かせない。ほぼ同じアプローチで、違う時代を語った作品と言っても過言ではない。ただし従来の2:2ではなく1:3、例えるなら一人称と三人称。つねに主体と客体が意識され、当事者のみではない、外に開いた世界が提示される。それは登場人物たちの年齢も関係あるだろうし、社会的立場のようなものも関係してくる気がする。

 社長である大豆田とわ子は、3回結婚して3回離婚しており、絶妙に魅力的で奥深い女性である。同時に母でもあり、親友を持つ女でもある。全てを持つが少しずつ足りない女性。不幸ではないが幸せの答えを知っているわけでもない。微妙で曖昧で、純粋な正しい感覚を持っている。そんな彼女の毎日を週替わりで描く方式は、ある事件を除いてはすべてかなり普遍的な現象で、愛らしく尊い。彼女を取り巻く夫たち、娘、親友、同僚たちもまた、誰も彼もが魅力的だ。

 このドラマは2部構成を取っていて、前半の第1部ではとわ子と元夫たち、親友の関わりが丁寧に描写される。第1話の段階で、八作の男の色気(のちに「オーガニックホスト」と形容される。ドチャクソモテることが判明する。わかる)に惜しみがなく、とわ子の暮らしの「不十分な感じ」は最初にこの男と結婚したからだ、と思わされる。無害そうに見えて危険な男。だがそれすらも誤謬にしてくるあたりがさすがの坂元作品。並みの脚本家なら八作とのロマンスに稿を割くだろうに、まだそうしない。いや、単にそうしない。
 2話では3番目の夫、慎森との間柄が説明される。年下で顧問弁護士でもある慎森は、面倒臭いがひたむきでかわいいところがあり、今もなおとわ子のことを好きだと言うが、パートナーとしてはうまくいかなかった。
 3話では2番目の夫、鹿太郎との間柄が説明される。八作とは異なり、とわ子をファムファタールとして愛する鹿太郎。2人で踊るシーンはロマンに満ちていた。そして鹿太郎とは、家庭環境としての折り合いが上手くいかなかったことを挙げる。
 だめになった理由は、根底の部分に理由があって、それは当人の力では割とどうにもならない。毎回傷ついて別れるのだけど、別れたからといって人の縁そのものまでダメになるわけでもないらしい。そこがこの作品のキモになっている。形式上、一緒にはいないけど、家族になるのはうまくいかなかったけど、想うことは続けてもいいんじゃないか。人が人を想うのに、資格が必要なんだろうか。
 そういうすこし新しい、そして普遍的な問いかけを常に問い直す作品だった。

 第一部は、そうした横並びの人の繋がりを丁寧に描写していた。新たな人たちとの出会い(これがまたいいことばかりではない!)もあり、次に踏み出すきっかけを得るのかと思った。だがそこで唐突に、本当にいきなり、親友が死んでしまう。不随意の形でこれまでの「片割れ」ともいうべき存在を失ったとわ子の時間は、文字通り1年すっ飛ばしても話が繋がるくらい止まってしまう。視聴者は1年の時間が作中で経過したことと、かごめを失ったとわ子の描写が淡々としていることに若干の違和感を覚えながら第二部に突入する。

 この第二部がすごかった。並みの製作なら、第一部を丁寧に引き伸ばして8または9話編成の連ドラをつくるところ、第二部の掘り下げがこの作品を特異なものにしていた。まず第四の男が出てくる。これまでとはまったく異なるアプローチの、オンでは敵、オフでは最大の理解者という立ち位置で。
 小鳥遊はかごめを失ったとわ子が一年間必要としていた、かごめの喪失ととわ子を丁寧にメンタリングする役回りを担った。これはかごめを知り、とわ子を知り、かごめを愛した八作には出来なかったことで、八作にそれを求めてはいけないと悟るとわ子もまた彼とそれとなく距離をとっていたように思う。
 とわ子は一人では生きられないが、恋愛でなければ、結婚でなければ幸せになれない人ではない。その微妙で繊細な差異は、決して直接的な言葉で表現されることなく、やんわりとじんわりと視聴者に理解される。とわ子の孤独は、作中で否定的にも肯定的にも描かれる。孤独に甘んじて生きるわけではなく、かといって孤独のみをいたずらに肯定して他者を排するわけでもない。居心地の良い繭、その気になればすぐに出られるシェルター、通気性のいい独房。とわ子の仕事が建築士で、網戸をひとりで直せない=他者との適切な風通しの良い関係性、窓の開け放し方がへたくそ、というメタファー、大抵のことは一人で出来るのに窓の取り付けだけは男の手を借りてきたというなんとも絶妙な隙が、彼女の言い表し難い魅力と孤独の愛らしさを表現しているようでもある。それはまるっと三人の夫たちの魅力の裏返しであり、誰よりも人を惹きつける八作、誰よりも愛らしい慎森、誰よりも愛深い鹿太郎と三様で誰も引けを取らない。そしてその魅力は、三人で揃ってソファに座っている時に最大限発揮される。キャスティングの妙、脚本の妙、演出の妙を感じる。スゴイ。

 最終話を見た後でこの記事を書いているけど、最終話のいいところは本当にたくさんあって、挙げればきりがないけどやはり真さんの存在(描写)と、西園寺くんにかけた言葉に集約される気がする。
 真さんと亡き母の関係は、まさに今、とわ子が選ぼうとしている生き方に近い。数回かけて描いてきたとわ子の愛ある孤独を、真さんの存在ひとつで言外に肯定して見せた。少しも卑屈なところがない、明るくて前向きで、「今の子はそうか」と笑ってみせる真さんの存在。とわ子の涙の理由がわかる。なんならとわ子より先に私が泣いてた。お前が泣いてどうすんだ。
 西園寺くんにかける言葉もいい。呪いの言葉なんだけど笑、大学受験というやつはほんとに終わってみるとわかる、まじで「なんでもない」ことだ。一生に関与してくることではない(そう、意外と関与しない。努力した側からすると、あまりにも関与してくれないので割りに合わないと思うこともあるという。そういうもん)。一回落ちてみたらわかるよ、というニュアンスもある。もちろんとわ子は「そんなくだらないもののために可愛い娘になんてことをしてくれたんだこのやろう」くらいのニュアンスで言ってるけど、直接存在を否定する語彙を使っていないところはポイントが高い。とわ子はやはり、そういう人ではないのである。なんなら老婆心もある気がする。落ちてしまえと言いながら、落ちたらいいじゃんまだ若いんだし、というニュアンスも感じ取れるのは、やはり演じた松さんの持つ雰囲気がなせる技か。結構、ここは感じ方の違いがあると思った。

 最後に、元夫たちとはいつもの間柄を築きつつ、また幸せに日々を生きていくことが示唆される。大人たちの持つ質のいい孤独、多様な幸福のあり方、型にはまらない生き方、言語化できない愛の瑞々しさがとても眩しい終わり方だった。
 これは「最高の離婚」を見ていると、またすこし違う解像度で受け止められる気がする。「最高の離婚」の2人があの後どうなったかは、坂元さんの中にしかない(一説によると続編はあるらしいが、映像化はどうだろう…) また、今作や彼らと比べると「花束みたいな恋をした」は徹頭徹尾恋として描くことでしか説明がつかない。ひとつひとつの人間関係の描写解像度が高くて、これだから坂元裕二脚本は最高だと思う。また推しにも出てほしい。(出た例も実際良い↓)

 どうでもいいけど、坂元裕二時空の松田龍平、綾野剛の影裏コンビは「女にモテる男」役のカテゴリをされているのがめちゃくちゃ面白い。しかも並大抵のモテ方ではない。何か法則があるのかしら。
 さらにどうでもいいけど、長岡亮介が全話チラッと出演していて、私は無事悶絶した。さいっっっっこうに素敵だった。どんなレストランだよマジで。ありがとう。

 あと忘れちゃいけない、劇伴! 音楽!!! 坂東祐大さんだった。Ensemble FOVEさんだった。私にとっては神みたいな人たちだ。1話からリアタイしてて、はじめは全然意識してなかったけど、途中で気付いた。だって、ピヨピヨピヨ…ってシーンでかかってるBGMの音の感じに完全に聞き覚えがあった。ただ続編を待つだけの辛い日々に、彼らの新作に出会えたことも含めて、この作品には感謝しかない。ありがたい。すごくよかったです。サントラ毎日聴いてる。

 多分このドラマのことは一生忘れられない。折に触れて見返すために、サブスク配信に頼らず円盤を買いたい勢い。資金的に…辛いけど…

 更新ペースは下がりつつありますが、噛み砕くのに時間がかかったり、書いてから書きたいことができたりでたいへんです。またよろしくどうぞ。では。

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