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海外への挑戦 ~0からの挑戦のはなし~

アルゼンチンと私との関係は1994年に遡ります。その年、19歳で単身アルゼンチンへ渡り、クラブチーム「レナト・セサリーニ」の選手として一年間プレーする機会を得た私は、身に余るチャンスに心躍らせていました。

しかし待っていたのは(当然ながら)過酷な現実。スペイン語も分からない小柄なアジア人にパスが回ってくる筈もなく、やみくもに頑張ってみたところで馬鹿にされる辛い練習の日々が続きました。

幸いにも楽観的な性格だったため、辞書を片手にどんな集まりにも顔を出す私に対して、次第に周りも温かい目を向けてくれるようになり、同時に自分のプレーもアルゼンチン流に大きく変化していきました。


アルゼンチンでの日々は、たった一年であっても人として、また選手として確実に成長できることを身をもって経験・実感した貴重な体験となりました。

同時に、アルゼンチンサッカーを日本に広めたい、そして将来的には自分でクラブチームを作り、選手を育ててみたいという現在に至る大きな夢が自分の内で誕生した瞬間でした。

アルゼンチンサッカーを日本の子どもたちに
帰国後は社会人経験と営業の基礎を学ぶためにサラリーマンを5年ほど経験し、その間に起業の準備を続けました。

そして25歳で退職し、アルゼンチンサッカーを伝えるレナトフットボールスクールを東京都内で開校。現在、1都3県で7つのスクールを展開。2014年に世界を見据えた選手育成の為の、ジュニアユースクラブの指導を行っています。

毎年夏はに中学生向けのアルゼンチン短期サッカー留学を企画開催し、延べ300人以上のサッカー少年たちにアルゼンチンのサッカーを体験してもらっています。

2015年アルゼンチン遠征に参加した選手が、2019年サッカーインターハイ決勝でゴールを奪う快挙を達成。成果として少しづつ目に見えるようになりました。

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一流の指導者になる。
2011年には妻と幼い子供二人を連れて再度アルゼンチンへ渡り、1年間(延べ3年間)の実地訓練と筆記・実技試験の末にアルゼンチンサッカー協会公認監督資格(S級)を取得しました。

思えば大学受験の経験もない36歳が全16科目をスペイン語で勉強するという無謀な挑戦でしたが、ここでもまた良い仲間に恵まれ、お互いに勇気づけながら無事に修了証を手にしました。また、勉強の合間にアルゼンチン1部クラブのユースコーチも経験させてもらう事ができました。

更に6年後の2017年には、単身で8カ月間アルゼンチン1部クラブ「アルセナルF.C.」とインターン契約を交わし、トップチームのアシスタントコーチを経験しました。

指導者の立場から、クラブ運営や試合分析、モチベート法等を内側から観察・勉強できた非常に貴重な体験でしたし、19歳の私が出会った大きな夢に一歩でも近づくために欠かせない半年間となりました。

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25年越しの夢、叶える土壌は整った。
20年間のスクール指導・アルゼンチン留学支援を通じて多くの若い選手たちと出会いました。中には実際にアルゼンチンへ行き、長期戦でプロに挑戦した人達もいました。

しかし、異国での生活が合わなかったり、シャイな国民性が災いして打ち解けられなかったりとサッカ―以外の理由で芽が出る前に諦めて帰国してしまうというケースも多く見てきました。

三浦カズ選手は単身でブラジルへ乗り込み見事成果を上げましたが、そうした選手は本当に一握り。単身で海外へ渡り、現地の選手たちに交じっても負けない精神力と技術で荒波を泳ぎ続けることは非常に厳しいのです。

私が19歳で出会った無謀な夢、いわゆるリアルな「サカつく」の夢は、そうした選手たちとの出会いの中で現実的な目標として形作られていきました。

アルゼンチンでやっていける器があるなら、全力でサポートしたい。練習場と寮を完備し、生活面を含めたフルサポートで日本人選手が世界へ出る最初のチャンスをあげられたら。いや日本人だけでなく、他のアジア諸国に眠る才能をアルゼンチンで開花させられたら。

エリート街道に乗らない才能のある選手を発掘し、アルゼンチンから世界へ挑戦して欲しい!

19歳の時から25年越しの夢はこうして実現へと動き始めました。

アルゼンチンリーグへ新規参戦! 日本人選手を世界へ! 応援宜しくお願い致します。 クラウドファンディング挑戦中!3月31日まで!
https://readyfor.jp/projects/musouargentinacf2019


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