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個人セッション始まりました╱わたしは汚くない/こういうことも自分を大切にすることかも

個人セッションがはじまりました。
早速お申込みいただいております。ありがとうございます!

やっぱり、お話を伺って香りを調合させていただくことって
本当にうれしいです。

何がそうなのかというと
調合させていただくこと自体も楽しいですし

お話しているなかで
ふとしたときに ちいさな間のようなものが 一瞬起きて
そこから ふぁっと展開していくようなことがあるのですが、
その時に立ち会えること。
終わりのお顔が違ったり、そんな姿をみると、ああよかったなうれしいなって思っています。

一人で考えすぎると、そこに張り付き過ぎて
堂々巡りでぐったりしてきます。

その時に、そこに  “すき間があくようなこと”  があると
あとはご自身でするするとほどけていく感じです。

そのすき間に、個人セッションや調合したアロマのブレンドが
なれたらいいなと思っております。

ただいま9月のお申し込みを受付しております
 ▷個人セッションの詳しい内容はこちらです
 

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クラリセージの花です


いま ある香りの調合をしているのですが
そこに関係することで、“自分のことを大切にする”って
どういうことだろうと、考えたりしています。

そうしたら思い出したことがあったので
今日はこのことについて書いてみようと思います。


布ナプキンを初めて使ったときの話しです。
このとき思ったことが二つありました。

一つは、あたたかさに驚いたこと。

もう一つ思ったことは
布ナプキンを洗うときに、わたしは汚くないと思ったことです。

これはどういう意味かというと
それまで普通のナプキンを使っていた時は、これは汚物。できれば早く捨ててしまいたいと思っていました。
しかし、布ナプキンは洗う必要があるので、持って帰って洗います。
で、家で洗いながら、これは汚物ではない、汚くないと思ったのです。

汚物 = わたしの身体から出たもの = わたしは汚い 
と、単純にイコールで思っていたわけではないのですが
もしかしたら、これがどこかに私の奥に潜んでいたのかもと。


話しはさかのぼりまして、中学生のときの話をしますね。
その頃おでこにニキビができて、見た目にもひどい状態だったときがありました。
ある日風邪をひいて寝こんでいた時に、熱が下がったか確認するため
母親がおでこに触れたのです。
その時、こんなに汚いおでこを触ってくれたと
なぜかそのことが嬉しかった記憶もよみがえってきました。


アロマの講座の中でも「この傷跡を触ってくれるのですね」と
おっしゃった方もいます。
傷跡にはいろいろな意味があるとも思いますけどね。


話しがあちこちに飛び始めましたが、
もしかしたら、ひとは自分のことが汚いと、どこか思っていたりするのかもしれないなと思います。
単に汚いという意味だけではなくて、わたしはダメ、だからいらないのだ
という意味も含めて。


ものすごく小さなこと
わたしは汚くないよって、ひとつつづつ重ねていくことも
自分のことが大切だって思えるようになるのかしれない
なと、思ったりしている近頃です。





それで!
香りでも そんなことができたらいいなと思うものを
ただいま考えたりしております。
お楽しみにしていただけたらうれしいです。


それではまた次回

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