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さらば下北沢。

週が明けたら下北沢を離れる。

何年住んだだろう。12年か13年か14年か15年か。記憶が曖昧だが、だいたいそのくらいだ。

その前は池尻と三宿に近いところに住んでいた。結婚を機にそこに住むようになった。そこと下北沢と合わせて27~28年、世田谷区民として過ごしたことになる。

生まれは大田区だが、すぐに練馬区の石神井に越し、幼稚園から結婚するまでずっと練馬区民だった。一人暮らしの始まりも練馬区の江古田だった。引越しは何度かしたが、思えば自分はこれまで練馬区と世田谷区にしか住んだことがない。海外に住んだことも地方に住んだこともない。そういう意味では地味な人生というか、見てきた範囲のずいぶん狭い人生を送ってきたものだと思う。友達や知り合いはみんなもっとあちこちいろんなところに住んでいる。比べると、なんだか刺激の少ない人生を送ってきたような気がしてしまう。つまらない人生だとは言いたくないが、波乱万丈さはまるでない。

おっと、人生を振り返りたくなって書きだしたわけじゃなかった。

週が明けたら27~28年住んだ世田谷区を離れ、杉並区民になる。と同時に、(関東だが)はっきりと田舎と言える場所でも暮らしてみる。平日は基本的に杉並区で生活し、週末など月に2度くらいは田舎で過ごすという、コロナ禍以降増えているらしい二拠点生活というのを始めることにした。それをしようと決めた理由などはまた後日書くが、とにかく2021年1月から新しい生活がスタートする。ワクワク感しかない。

いや、「しかない」というのは嘘で、あと数日で下北沢を離れるいま、引っ越し準備(荷物が馬鹿みたいに多いのでとんでもなく時間と労力がかかる。やらなきゃならない手続きも多い。引っ越しって本当にたいへんね)に追われながら、少しばかり感傷的になってるところもあるっちゃある。十数年住んだだけだが、「我が町・下北沢」という感覚を年月以上に持っていた。それまで住んだところで、そういう感覚を持てたところはほかになかった。

下北沢は昔から一度は住んでみたいところだった。池尻に住んでた頃にもよくライブを観に行ったり散歩しに行ったりはしてた。が、いざ住み始めたばかりのときは、一日中いつ外に出ても若い子ばかりが歩いてることに少し気後れした。でも、すぐに慣れたし、こう書くといかにも年寄りくさいけど、若者が大勢歩いているところに混ざることで活力が湧くような感覚があった。すぐにそういう街で暮らしていることが当たり前になったが、考えてみればこんなに若い子ばかり歩いている街は世界広しと言えどもそうないはずだ。それを好ましく思わない大人は自分の友達や知り合いのなかにもいる。「いつどこを歩いても子供ばっかで」などと嘆いたりする。僕はというと、それは全然嫌じゃなく、繰り返すがむしろ元気をもらってるような感覚(と書くと、本当に年寄りくさいけど)があった。

これから住むことになる杉並区の商店街は、普通にお年寄りがたくさん歩いている。それは当たり前のことであり、若者ばっかりの下北沢のほうがむしろおかしいのだが、そっちに慣れた自分的には、かえって新鮮な気分が得られそう。ただ、これから恰好にも今以上に気を遣わなくなって、自分は見た目的に急に老ける可能性がある。そうならないよう気をつけたい。

下北沢に住んでよかったところはいくらでも挙げられるが、自分にとってはどのライブハウスにも徒歩か自転車で気軽に行けるのが特に大きかった。どこでもさくっと行ける。「下北沢サウンドクルージング」とか昔やってた「下北沢インディーファンクラブ」といったサーキットフェスのときなどは、いくつかのライブハウスをまわって、一旦家で休憩してからまた行くなんてこともできるのがよかった。また、渋谷、新宿、青山、六本木と、大抵のライブ会場に電車一本で行けることも大きかった。ライブを観まくる自分のような人間にとって、下北ほど便利な街はなかった。

「ライブ観ることと呑むことが何より好き」な自分にとって、いい雰囲気の呑み屋、料理のおいしい呑み屋が多いのもよかった。また下北沢カレーフェスなんていうイベントが毎年盛況になるくらいにカレー屋さんが多く、実は自分がいまみたいにカレーが大好物になったのはこの街に住んでからだ。

十数年間、ひとりで、または妻と、あるいはいろんな友達と、いろんな店で食べたり呑んだりした。この店でライブ終わりによくひとりで呑んだな、とか、この店には〇〇とも〇〇とも来たな、とか、この店でこうなってああなったんだったな、とか。いろんなことが思い出される。鳥源、にしんば、都夏、原田商店、十七番地、夢月、茄子おやじ、風知空知、おじゃが、ラ・ベファーナ、ヴィエットアルコ、三角、路庵……。ここ数日はよく行ったお店に意識的に行くようにしてるのだが、「ああ、ここに来るのも今日が最後かな」といちいち感傷的になっている。よく走っていた公園や緑道、今年何度もお参りした神社に行って写真を撮ったりもしている。妻はいま仕事の山場を迎えていることもあってか、そんな感じはない。こういうとき、とかく男のほうが感傷的になりやすいものだ。そんなわけで、ひとり、センチメンタル・ディッセンバー。

しかし自分が住んだ十数年の間にも、下北沢の街はずいぶん様変わりした。住み始めた頃は個人商店もいくつか残っていて、老舗の肉屋なんかもまだあった。古い店がつぶれ、新しい店ができ、それもすぐにつぶれて、また新しい店ができる。そのサイクルがこの街は異常に早い。この数年で再開発が加速して、わけても5~6年前に北口駅前食品市場が取り壊されたのはさすがに悲しかったし、開かずの踏切がなくなるときもさびしい思いがしたものだ。街は変わっていくもの。まあそういうものだよねと割り切ってたところもあったのだがしかし、この再開発事業がどう終わって、どうなるのか、ずっと工事中の家の近所の道や駅まわりのロータリーは結局のところどういう完成形になるのか、それを見届けたかった気はしないでもない。

数日前にNHKの「SWITCHインタビュー 達人達」という番組で、柄本明さんと鮎川誠さんが対談されているのを見た。おふたりとも下北沢に住んで40年以上。たぶんこれからもずっと住み続け、変化していくこの街を見続けるのだろう。自分も下北沢には長く住みたいと思っていたし、長く住むような気がしていた。年をとってからもひとりで、または妻と、ずっとそうしてきたようにこの街をフラフラ散歩しているイメージがあった。フラっとそのへんのライブハウスでライブを観たり呑んだりしているイメージもあった。コロナ禍がなければ、それもありえたことだった。

あちこち移り住むのが向いてるひとと、一か所に長く住むのが向いているひと。自分は性質的に後者だろう。が、きっかけあって、来週、下北沢を離れる。いい機会だと思う。いい方向に生活が変わる気がしている。たかが引越すくらいで大袈裟なと思われそうだが、暮らし方からひととの関わり方まで、いろんなことが変わり、始まり、やがていい落ち着き方をしていく気がしている。地の時代から風の時代へと移り変わるこのタイミングに、環境も暮らし方も、ガラッと変わるのだ。数年経って、2020年というあの奇妙な年の終わりに環境を変えることができたのはよかったよなと、そう振り返ることができたらいいな。

じゃあね、大好きな下北沢。またね。

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