見出し画像

ニ拠点生活を始めて。

日が暮れると蛙が一斉に鳴き始める。夜ともなれば、その合唱音はそりゃあすごいものだ。「♪クワ クワ クワ クワ ケケケケケケケケ クワ クワ クワ」なんていう生易しいものじゃない。恐らく数種類の蛙の鳴き声が混ざっているのだろう、シャーシャー、キョー、グルッグル、キキキキと、やや高めの機械音のようなものから、喉を鳴らすような音もあり、ベースの効いた音もあって、それら全部が混ざった音が夜通し響き続けている。神経質なひとだったら気になって用事に手がつかないレベル。そういえば最近、庭の蛙のうるささから裁判沙汰に……なんて事件もあったっけ。

自分はというと、こりゃあなかなかの音量だなぁとは思いつつ、まさか騒音には感じないし、「癒される」はよく言い過ぎにしても、東京ではそうそう聴くことのできないそれを悪くない、面白いと思っている。ああ、田舎だなぁ。田舎で暮らすってこういうことだよなぁ。蛙の大合唱は一例だが、そんなふうに実感することがいろいろとあって、何かと新鮮だ。

画像1

今年になって、東京杉並区と栃木県東部の、いわゆる二拠点生活を始めた。コロナ禍がきっかけとなってそのような暮らし方を選択するひとは増えているようで、その手の記事を目にすることも確かに去年から増えたが、それに感化されたというわけではない。前々から考えていたことでも準備していたことでもなく、長く住んだ下北沢の家を出ることが決まってから数ヵ月の間にわりと自然な流れでそうなった感じだ。が、ベストなタイミングであったのは間違いない。

10数年住んだ下北沢はとても生活しやすく、愛着があった。前にも書いた通り、年に140本くらいライブを観に行く音楽ライターの自分には、どこの会場にも行きやすいというのがかなりの利点だった。下北沢自体によく行くライブハウスが点在しているうえ、渋谷、新宿、青山、六本木と、大抵のライブ会場に電車一本ですぐ行けた。ライブに行くのにこの上なく便利な街だったわけだ。

だが、コロナ禍でライブの数が激減した。ライブレポートの依頼もなくなった。居酒屋で呑むのが大好きで、しょっちゅう下北沢をフラフラしていたが、それもできなくなり、夜はほとんど家にいるようになった。そうなると下北沢じゃなきゃならない理由もないわけで。それが新しい場所で新しい生活をしてみることの背中押しにもなったのだった。

もうひとつ。自分も妻もこれからは母親のなるべく近くに住んだほうがいい……というのも引っ越す理由のひとつになった。妻のお母さんは栃木の家に、自分の母は練馬区の家にひとりで住んでいる。自分の母は90手前。元気は元気だが、さすがにひとりじゃできないことが増えて何かとたいへんそうだったこともあり、これまでよりもっと頻繁にいつでも家に行けるようにしなきゃと考えた。それで東京の家は20分程度バスに乗れば母の家に着く場所に決めた。栃木の家も妻のお母さんの住む家に近く、これで互いの母親に頻繁に会えるようになった。

画像2

ばかみたいに大量の本と雑誌とCDとレコードと…。そのなかからわりとよく使いそうなもの(よく見そうなもの・よく聴きそうなもの)を東京の新居に、そうでもないけど捨てられないものを栃木の家に送り、あとは勢いよく処分した……つもりだったが、それでもまだまだモノが多く、片付けるのがたいへんだった。

田舎への荷物移動が去年の10月で、杉並への引っ越しが年末。両方の片付けに加え、さらに母の家と、施設に入ることになった叔母の住んでいた家の片付けも並行して進めた。去年から先頃まで、自分は4つの家の片付けをしていたのだ。いままでのように取材と締め切りに追われる毎日だったら、やらなきゃと思ってもそれはできなかった。が、コロナ禍によってそれをやれる時間ができた。やるならいまだとスイッチが入った。元来、片付けは嫌いじゃない。得意なほうだ。なので、楽しみながら片付けに集中した。

よし、だいぶ整ったと納得のいく状態になるまでに、なんだかんだで5ヶ月かかった。母の家に関してはまだ断捨離の余地があり、もっと整理して母が住みやすいようにしたいと思っているのだが、自分の住む杉並の家と田舎の家のなかはほぼ片付け終えて納得のいく形になった。数ヵ月前までと違って、いまのこのキレイな収まり具合といったら!   と、ときどき部屋を見渡しながらニマニマしている自分がいる。

県境をまたいだ移動がはばかられた時期はそうもいかなかったが、だいたい隔週ペースで週末に栃木の家に行ければいいと思っていて、実際それができるようになってきた。家のまわりに生い茂った草木に関してはまだまだ手を入れなきゃならないが、とりあえず家のなかはようやく整理され、落ち着いた状態で過ごしてみると、改めて満たされた感覚をおぼえた。

田舎の家にはテレビを置いていない。NetfrixやアマプラやTVerは見たくなったらPCで見ればいいし、ニュースもアプリから見れるので、困ることはない。テレビがない分、集中して読書できるのがいい。外で鳴いている鳥や虫や、それこそ蛙の声など耳にしながら本を読む時間が、穏やかで心地いい。

夕方はレコードを聴く。スピーカーなどオーディオ類を設置したところの後ろの上に窓があり、生い茂った木の葉の揺れが見える。すぐ近くに通りがないので人の声がすることもなく、鳥と虫と蛙の声だけが外から聴こえる環境で聴く音楽は、東京での聴こえ方とずいぶん違う。家の構造も手伝って、そもそも響き方が全然違う。なので過去に何度も聴いたレコードの、いままで気づかなかったところに気づいたりする。端的に言って音楽が豊かに感じられる。同じごはんでも食べる場所が変われば違う美味しさに感じられるのと一緒だ。

和室では昔のカセットテープをよく聴いている。中学・高校の頃にエアチェック(*ラジオ番組をラジカセでテープに録音する行為のこと。昔はそう言ったものだけど、いまの若いひとには伝わらないですね)したカセットテープを捨てずにとってあって、それを全部田舎の家に送ったのだ。だいたい600~700本くらいある。あの頃(70年代から80年代半ばくらい)はいろんなアーティストがラジオ局のスタジオで実演する番組や来日公演を流す番組があり、そういうものをずいぶん録っていた。わかりやすいところではRCサクセションのスタジオライブだとかボブ・マーリーの日本公演だとか、そういう貴重な放送のテープがごろごろしていて、今更ながらそれらを聴き返すことにハマっている。東京ではやらないことだ。が、ラジカセにガチャッと入れて再生ボタンを押し、テープから聴こえてくる昔の番組、昔の音は、栃木の田舎の和室にやけに馴染む。夜はそれらをランダムに選んで聴きながら日本酒やるのがいい感じ。ずっと眠らせていたカセットテープの70年代80年代の音が、2021年に栃木の田舎で息を吹き返したという、そんな感じだ。

画像4

そんなことも一例だが、田舎にいると、新しいもの(新譜とか新刊とか)よりも古いものに接しているときの心地がいい。妻の亡きお父さんが各地で集めた骨董や和家具をその家には多く残していて(もともとは妻のお父さんがアトリエとして使っていた家なのだ)、それを活かすようにインテリアを構成したことも大きいかもしれない。外へ出ても、田舎は昔からずっとあるものがそのまま残っていたりする。そういう場所に多く遭遇する。自然のよさに気づき、自然がもっと好きになるのと同時に、古いもののよさに気づき、古いものを古いものとしてではなく中立的な気持ちで愛でたくもなる、それも田舎で過ごすようになって得られた感覚だ。

画像4

多くのひとがそうだろうが、コロナ禍によって物事に対する価値観がずいぶん変わった。自分の場合はそれに加えて二拠点生活を始めたことがまた大きかった。この歳になった自分はいま何を、どういう状態を、心地いいと感じるのか。どういうモノや状態や時間が要らなくて、どういうモノや状態や時間が大切なのか。心地いいと思えるか。それがどんどん明確になっていってる気がしているし、もっと明確にしていくのがいいのだろう。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?