見出し画像

納得したいから、調べる。

僕は細々と自分の音楽活動もしていて、そっちもまだまだ未熟で、やりたいことや取り組みたいことはそれなりにたくさんあるけど、それと、このnoteでの執筆や音楽史の探求は、あまり関連していない。

別に、ファンを増やすためとか自分の音楽活動のブランディングやビジョンとかのために、音楽記事を書きはじめたわけではない。

そもそも、歴史のお勉強が別に好きなわけでもないし、たとえば古楽とか洋楽とかに特段の興味があるわけでもないのに、

何に取り憑かれてこんなにいろいろ頑張って調べているんだろう…、とわからなくなりそうになる。




究極のことを言えば
「音楽が好きだから」
なのかもしれないけど
何か違う気もする。

各ジャンルの流れを知って、
なにかを納得したがっている。

何を納得したいのだったっけ。


たぶん、音楽が「好き」という
純粋なプラスの感情のパワーだけではなくて

「好きになれない音楽」の理由
他人と音楽の趣味が一致できない、
感覚が伝わらない、すれ違いの経験。
価値観の違い。孤独。

これまでの音楽人生で経験してきた、
数々のマイナスの感情に対して
納得しようとているのだと思う。

だから、一見興味が一致してそうな音楽ジャンルの紹介や探求でも、「○○こそが芸術音楽だ!」「○○こそがジャズだ!」「○○こそがブルースだ!」「○○こそがロック精神だ!」みたいな、そのジャンルへの強い愛を持ってオススメしてくる感じの紹介は苦手だし、フィーリングだけで音楽を楽しもう、みたいな態度も苦手なのだ。



僕が出場していた頃のヤマハのジュニアエレクトーンコンクールでは、エレクトーンという楽器の特性上、演奏されるジャンルが本当にごちゃまぜだった。(今はどうなってるか知らんけど)

地区大会とかになると、演奏する人全員がレベルが高くて、難解な曲ばかりになってくる。半数以上が、聴いているのが苦痛な、無調に限りなく近いようなクラシック作品だったし、急にウォーキングベースよろしく軽快なジャズが演奏されるし、そこで自分はフュージョン系を演奏していて、こんな中での評価に疑問が募るばかりだった。

でも別にクラシック自体が嫌いなわけではなかった。

エレクトーンではポピュラー音楽をやっていたけど、ピアノでは自分自身もクラシックを習っていて、そこではラヴェルとかは好きだったし、他にも色んな作曲家の曲を楽しく練習していた。

この地点で新旧クラシックから新旧ジャズまで構図が幅広いんだけど、ヤマハに関係の無い一般の同級生からしてみれば、これらはすべて狭い世界の話で、そんなことより音楽の関心は、嵐とか、AAAとか、BUMP OF CHICKENとか、RADWIMPSとか、書ききれないくらい沢山の、Jpopや邦ロックの世界だった。

学校社会で、そういうJpop系とは違う側の音楽嗜好が集まる場としては吹奏楽系が妥当だったのかもしれないけど、むしろそこでは僕はJpop側の人間で、吹奏楽があまり好きではなかったし。

エレクトーンでクラシックもジャズもある中でフュージョンを弾くような人間だから。どちらかというとサウンド面で言えば吹奏楽部より軽音楽部が良い人間だった。

そういう経験の中で、疑問を持つのは当然だよな、と。

根拠なく批判したり好みを語ったところで、その前にまず前提として、ジャンル分布だったりジャンルの構図を把握しないと何も説得力がない。

だからこんなにも音楽史音楽史言うてるけど
「良い音楽とは?」とかから始まってるし



こういう価値観論的なところに帰結していくんだろうなあと思う。


終着点があるのかわからないけど、まだまだ探求していこう。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?