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ズボラなわたしに期待すること。

わたしは自分のことを見くびっていたのかもしれない。

頑張り屋さんが本質だと思っていた。

もっとまともな人間だと思っていた。

もっときっちりした人だと思っていた。

全然違う。

思い出した・・・わたしって・・・めっちゃズボラやったわ。

頑張るのが苦手で、

人のことに興味が無くて、

超いい加減でだらしない生活をするのだ。

(長らくそこに逆らってた自分の方が無理してる状態だった。)

それを逃げる理由にしたいんじゃなくて、

そこを前提に組み立てないといけないんだなぁと、つくづく思った。

一生付き合っていくんだな。

この1年間、自分のことを結構頑張ったと思う。

しんどい自分を助けようと、必死になっていた。

それが調子が良くなると共に、だらしない本性が隠しようもなくなっている。

「調子はどうだ」と隣のおじさん。

「良いですよ」って答える。

前回は「ぼちぼちですね」なんて、防衛線を張ったんだけど、それすらもうどうでもよくなってきた。

「そうかいな」って笑いながら、「じゃあ働かないけんだろう」とおじさんの目が光ったみたい。

「はあ、、、」って何も言わずに流していた。

前まで嫌だった言葉が、自分の中に入ってこなくなっている。

「そう言われても関係ねえしな。」

自分の中でつぶやいて終わってる。

ムキーーーっってなることが無くなっている。

反応している時は、相手に対してではないんだよな。

働かないことに自分で否定的なジャッジしている。

それに傷ついてる自分が「気づいて!助けて!」って言っている。

「働いてもいいし、働かなくてもいいよ。」

「ただ何となく気が乗らないから、やめとくわ。」

今の自分の中のやり取りは、そんな感じ。

でも、元気な姿を見られると不都合な気がして、なるべく人目を避けてるところもある。

それが自分で居心地悪くしてる。

もっと自然にリラックスできるようにしてあげたい。

年金の方の申請を始めてみようか。

(手帳の申請と年金の申請は全く別の手続きだった!

 障害者手帳が無くても障害者年金の申請はできる。逆もあり。)

その方が動きやすいのかもしれない。。

開業届も出せるしね。

やり方はなんでもいいのだ。

ただ、どんなやり方を選んでも、罪悪感は持たない方がいい。

自分が気持ちよく、楽しくできる状態に持っていけることが大事だと思っている。

体を動かしたり、もの作りを始めたい。

きれいに出来なくてもいいから、楽しくやれって自分に言う。

役に立つものを作ろうとしなくていいから。

好きなことを、好きな気持ちのままでやって欲しい。

どこまでも自分の満足を追求してほしい。

おそろしくズボラな自分に対して、好きなことを好きなままに楽しむことを期待しています。

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