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『窓ぎわのトットちゃん』について

20240725

不思議な本だった。
平易な文章で、平易な内容なのに、もっと、さっと読めそうなのに、本を読むスピードを規定されるような、この本の物語の独特の時間世界があって、その時間感覚でしか、読み進められないような、トットちゃんの世界観である。

黒柳徹子さんの自伝的小説である。

著者の黒柳徹子さんが持つ世界観である。

大人になって、子どもの頃の記憶を頼りにとは言え、これほどの明確な子ども目線で、物語を描ききれる、子ども心である。
大人になっても変わらない子ども心を持つからこそ、書ける本である。

記憶とは、そのときの自分の状況によって、改ざんされる。同じ出来事でも、違ったふうに解釈することがある。時間の経過と共に、辛かった出来事も淡い思い出になったりする。だから、こんなふうに、子どもの頃の記憶を子ども心のまま、引き出せない。

著者にしかできないこと。

現代であれば、ADHDといった病名が付けられるような振る舞いをする、トットちゃん

そんなトットちゃんである黒柳徹子さんだから、できたことである。

その自由な言動から、一般の小学校を退学になり、トットちゃんは、トモエ学園に転校することになる。
そこでの出会い。
校長先生との出会い。
それが、トットちゃんの人生を決定付けた。
トットちゃんは、校長先生に出会った後、4時間も話し続けた。校長先生は、話すことがなくなるまで、話を聞いてくれた。そして、トットちゃんは思った。こんなに自分の話を聞いてくれた大人はいない。校長先生は信用できる。

「君は、本当は、いい子なんだよ!」と言い続け、決して、トットちゃんを叱らなかった校長先生

自由とは、社会性に乏しい行動である。みんなと同じがうまくできない。

みんなと同じなんてできなくてもいい。
みんなと同じでなくてもいい。
みんな一人ひとり個性がある。
その個性をすべて受け入れて、尊重しよう。

そんな教育方針であろうか、校長先生は。
言うは易し、行うは難し。

トモエ学園は、戦火を逃れることはできなかった。

現代に、トモエ学園があれば、どれだけ多くの人が救われてきたのだろうと、思わずにはいられない。

ADHDという病名を付けられ、大人の抑圧に、苦しめられた子どもは、どれほどいるのだろうか。

社会性がないことは、病気と決めつける現代である。
それは、個性である。

同性愛が病気だと治療された時代もあった。現代では、同性愛は病気ではなく、個人の性質であり、個性である。

時代が病気を定義付けているだけだ。

トットちゃんはすごく売れた。

1981年に講談社から出版された。総発行部数は2500万部を超え、ギネス世界記録に認定されている。
Wikpedia

天才作家である。

でも、もし、トットちゃんが現代に生まれていたら、トモエ学園で過ごしていなかったら、その個性は殺されていたに違いない。

時代が変われば、ADHDも病気から個性となる日も来るだろう。

そう、私は、社会性が乏しい自由人
無職バツ2である、ASDであろう
私は、たまたま学校には、ハマっただけだ
学校に、ハマっていなければ、社会の底辺として生きていたであろう

社会性が乏しくとも、なんとか、これまで生きてこれた

だから、この社会の生きづらさは、共感できる部分もある

私は、私の個性、ASDという武器を手に、この社会で生きていくしかない

私は、ASDの診断を受けたわけじゃない
そんな名前つける必要はないと、言ってくれた人がいた
その価値観は、私の根底に生きている

読了後、子どもに読ませたい本だなと思った。
全体的に平易な文章と内容で書かれていて、子どもにも読みやすい。
最後の戦争のところは、子どもの頃の実体験に基づいているだけに、わかりやすく、伝わってくる。

子どもに読ませたい本
・モモ
・アルケミスト
・窓ぎわのトットちゃん




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