見出し画像

便利すぎる世の中に称賛と警告



だいぶ、ご無沙汰になってしまいました。
新しいことを始めると、時間がそちら取られて
せっかくルーティン化できそうだったことも手が回らなくなってしまう。

仕方がないことでもありますが
言い訳でもありますw

そんなことを言いながらも
このnoteも然りの便利な機能を使って

「便利すぎる世の中」

なんて話を書いてみます。


絵心がまるでない

これにはずっと悩まされ続けている。
真似事はできるし、2次元のものを書き写すことはできなくはない。

小学生時代には、ひたすらトレーシングペーパーを使って
ドラゴンボールやスラムダンク、幽遊白書なんかを書き写した。
それを使って夏休みの工作なんかを作った記憶もある。

しかし、いわゆる絵・写生と言うものになると全くセンスがなくなる。
おそらくものの捉え方の問題で、3Dのものを2Dに置き換える能力がないのだ。

だから写真を趣味にしようと思ったことは幾度となくある。

これは仕方のないことだし、
その結果、今ヒトの動きを見てその動きを捉える能力が
周りより少しだけ長けていることにつながっているからまぁよしとしよう。

しかしあることをきっかけにデザインというものに触れると
少し考え方が変わってきた。

デザインの守備範囲の広さ

多くの方がデザインと聞くと
いわゆる色や形、といった具体的なものを想像する。
僕ももちろんそうだった。

しかし本当のデザインの意味を教えていただいたときに
デザインの守備範囲の広さ気づくと同時に面白さを知った。

訳がわからないヒトもいるでしょう。
僕も正直まだ全貌はよくわからない。
けどとにかくその守備範囲は広いのだ。

これを知ったときに
「やっぱり無理だ」ではなく
「絵は描けなくてもデザインはできる」
と無駄にポジティブに捉えた僕は全体的に物事をとらえるようになった。

モノの見方、捉え方がより一層、俯瞰できるようになった感覚だ。

木を見るより森を見ろ

患者の患部や疾患ばかり見てその人の全体像をみてないときによく
先輩理学療法士に言われるやつだ。

その時は「なるほど〜」と聞いていたが、今では

「その森の木がなぜそこに生えているのか」
「森の周りには何がある?標高は?そこの地層は?」

我ながらしっかりと「ブラタモリ」に影響を受けている考え方になっている(笑)

その結果、今回新店舗をプロデュースしているわけだが
全体のデザインを今までの僕のイメージとは違う形にデザインした。

とっても便利なアプリやwebサービスを駆使することによって。

画像2

便利すぎることによる代償

こういったマイナスの弱点を容易に0にしてくれる便利なものは
有効に使うべきだと思う。

しかし一方で、便利すぎるあまり自分にとってプラスの要素であったものを
0に、もしくはマイナスに持っていってしまうものを少なくない。

自らの機能を弱らせてしまっているものがたくさんある。

機能的なシューズによる本来足そのものが持っている衝撃吸収機能の弱化。
キャスター付きの椅子による、脊椎の回旋能力や柔軟性。
照明器具の発達による体内時計の精度。

なんてことを言いながらこれを書いているのが日付跨ぎ(笑)
明日は早起きして走ります!

己の、ヒトが動物として持っている本来の機能を弱体化、
衰退化させてしまっているということにも気付いていただきたい。

これを読んでいただいている方々も、あと数10年生きる方が多いでしょう。
20代10代の動けた頃の自分を思い出して、比べてみてください。
それを単に歳のせいにせずに、自分が自分を動かしていないからということに
気付いて欲しいですね。

最後はちょっとPTっぽくなりましたね(笑)
めでたしめでたし。

おまけ

お世話になったアプリたち
こんなロゴも作れちゃう

画像1

https://www.canva.com/join/success-watermelon-minus

オリジナルウエアも簡単に作れてしまう。

詳しく僕のことを知りたい方はこちらをご覧ください↓↓↓
他の記事もどんどん開放していきますのでお楽しみに。

ジムの情報はこちら。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?