原爆投下の日に思う

 日本人は、太平洋戦争で被った災難を天災と同レベルに考えているのではないだろうか、と常々思う。この原爆についても、地震と同じように突然落ちてきて十数万の命が奪われてしまったという感覚で戦後生きてきたのではないだろうか、と思う。福島原発の事故に際しても、マグニチュード9にも上る巨大地震とともに起こった事故なので、自然災害の一種と思っているのではないだろうか。各種の原発事故調査委員会による報告書でも、福島事故が人災であると結論付けたものが複数あった。しかし、10年を経た今、だれか罪に問われたのかといえば、だれもいないのだ。
 そして、太平洋戦争の末期にも、誰一人責任をもって、戦争を終わらせようとするリーダーはいなかった。7月26日に連合国は、日本に対して無条件降伏を求めるポツダム宣言を発している。それに対し、日本は、黙殺したのだ。その時、日本は、ソ連を仲介国として、戦争終結を模索していた。そのソ連が8月9日、日本に宣戦布告することになるのだ。中国東北地方や千島列島に攻め込んできたのだ。
 それが、中国残留孤児、関東軍兵士のシベリア抑留、そして、歯舞色丹の北方四島問題などの原因になったのだ。
 つまり、日本の為政者が7月の時点で降伏していれば、戦後、今に至るまで問題になっている多くのことが起こっていなかったのだ。もちろん、原爆も落とされていなかったのだ。
 戦略的にも戦術的にも、何年も前に日本は敗色濃くなっていた。さらに、45年4月からは沖縄で地上戦が始まり、戦艦大和を始め日本軍の主要な武器もほぼ底をついていたのだ。にも拘らず、いたずらに戦争を長引かせて、戦後の日本人にとって、苦渋の種を撒き散らして、敗北したのだ。
 その責任をだれも採ろうとしない。それどころか、戦後も、戦時体制を支えまい進してきた大部分の人たちが、巧みに生き抜き、国の中枢を温存して今に至っているのだ。その連中に戦争中の責任問題、原因追及ができるはずがないのだ。
「原爆許すまじ」は「日本のあの戦争へ突き進んだ根本的な責任問題、原因追及」を突き詰めない限り終わらない。
 そこを明らかにしない限り、日本が唯一の被爆国として、今の平和が風前の灯火状態になっている世界情勢でイニシアティブをとることができないのだろうと思う。
 

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