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僕が出会った風景、そして人々(番外編①)

舎人を出たあと僕が移り住んだのは、東京23区外の、いわゆる多摩地区と呼ばれた地域の一画だった。

舎人を出る時に抱いていた感傷もそこそこに、僕はまず、その地で生きていかなければならなかった。

僕が住処(すみか)として選んだのは、玉川上水沿いの古びたアパート。部屋の窓から見えるのは「野鳥の森公園」・・・名前はいいが、要するにうっそうと茂った森であり、部屋に日がさすのは一日のうち1~2時間ほどだった。まあ、その分家賃が安かったのだが。

なにしろ、舎人時代は小説家になるために大学まで辞めて、家庭教師で生活費を捻出していたのだ。こちらに来てからは、もちろん知り合いなど皆無。移り住んだ初日から、僕は職を探さなければならなかった。

さっそくアルバイト・ニュースを買い、仕事を探した。なるべく賃金が高く、楽な仕事を探したが、そんなものあるわけがない。ようやくたどり着いたのが「遺跡発掘調査補助員」という仕事だった。

一つの発掘現場ごとの短期雇用だが、雇用主は○○市教育委員会。親方日の丸、絶対に倒産しないという安心感があった。

さて、ここでひとつお断りしておきたい。

多摩地区で遺跡調査というと結構限定されてくるので、何かと差し障りがあるように思う。遺跡の世界は狭いのだ。

僕が何気なく書いたことでも、もしかすると誰かに迷惑がかかるといけない。何十年も昔の事とはいえ、一応気にしておきたい。・・・というわけで、ここから先は「この物語はフィクションであり、実在の団体・人物とは一切関係ありません」とお断りしておこう。

ところで、皆さんは遺跡の発掘調査というと、どのような状況を思い浮かべるだろうか。地面から露出した土器や石器を、ハケでサッサッときれいに掃除して、写真を撮ったり、図面を書いたり・・・。そんな優雅な(?)イメージを思い浮かべるのではないだろうか。

僕も、そうだった。

なんだか楽そうな仕事だし、しかも学術調査。こんなおいしいバイトがあっていいのかな?

いやいや、あるはずはなかった。

世の中、そんな甘い仕事が転がっているわけはない。僕も、いきなり初日にそのことを思い知らされたのだった・・・。

バイトの初日。まずは現場に直行し、そこの責任者から仕事の概要を教わった。「簡単な仕事です。すぐに慣れますよ。」K主任調査員はそう言って、細い目をさらに細くして微笑んだ。

嗚呼、これが地獄の始まりだったとは。このときの僕には知るべくもなかった・・・。

発掘現場は工事を控えた市道で、幅2m、長さ数十mの「トレンチ」と呼ばれる溝状の調査区だった。

この日僕が任された仕事は「攪乱(かくらん 注①)抜き」と呼ばれる重労働だった。遺跡とはまったく関係のない、現代に掘られたゴミ捨て穴に溜まった土を掘り抜くという、ただひたすらキビシイ作業なのだ。掘っていて出てくるのは、ガラス瓶のかけらや紙くずといった、無価値なものばかり。

「硬いところは地山(じやま 注②)だからね。掘らないように。攪乱の充填土はフカフカで掘りやすいからすぐにわかるよ。」とも言われた。

ゴミ穴の大きさは、広さが約1.5m四方で、深さが2mほどあった。つまりは、1.5m×1.5m×2m=4.5立米の土を掘る勘定だ。

舎人にいた頃はお銚子やペンしか持ったことのない(?)僕が、いきなりスコップを持たされ、泥だらけになって穴掘りをする羽目になろうとは・・・。

発掘風景

「発掘って、大変だな・・・。」

僕はそう思いながら、とにかく必死で土を掘り続けた。

夕方4時半。疲労困憊、フラフラになりかかった頃にK主任がやってきた。

「お疲れ様。道具を片付けて事務所に戻りましょう。よく頑張りましたね。初日にしては上出来だよ」と、ねぎらいの言葉をかけてくれた。
 僕は物を言う余裕もなく、力なく微笑みながらうなずいた。

それを見たK主任は、よほど気の毒に思ったのだろう。発掘道具を積んだ軽トラの運転席から僕に声をかけてくれた。「○○さん、荷台に乗りなよ。」

「すみません。」そう言うと、僕はヨロヨロと荷台に上がりかけた。

そのとき、軽トラが急発進して、僕は後ろ向きに荷台から放り出されてしまった・・・。落ちた所が残土で柔らかい箇所だったので、ケガをしなかったのが不幸中の幸いだったが。

「あっ、キミ、大丈夫だった?ごめんごめん、もう乗ったと思ってたよ。」

K主任は細い目をさらに細めて僕に詫びた。

『・・・やっぱ、辞めようかな、この仕事』僕は心底そう思った。

・・・思えば、このときすっぱりと辞めていれば、また僕の人生も変わったものになっていただろう、きっと。

この先、僕が発掘調査の仕事にどっぷりと浸かることになろうとは、この時点では知る由もなかったのだ・・・。

(まだまだ続く)

注① 攪乱(かくらん)=農具による耕作痕や現代のゴミ穴など、遺跡とは呼べない窪み。ほとんどの場合、黒色土やローム混じりの締まりのない土が詰まっており、見分けがつきやすい。

注② 地山(じやま)=後世の耕作などによる攪乱を受けていない部分。長い年月をかけて自然に土が滞積しているので、比較的かたく締まっている。

※文中でも触れましたが、このお話は、多少の事実に多くのフィクションを加えて、適度にシャッフルしております。
 実在する団体、人物などとはまったく関係ありませんので、どうかご了承くださいね。

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