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『僕が出会った風景、そして人々』⑧

アルバイトのお話

舎人時代における僕の生活基盤が家庭教師だったことは前回までにお話ししたかと思う。
 大学入学と同時に近所の高校生を教え始めたことがきっかけで、特に宣伝などはしなかったのだが、1軒また1軒と口コミで家庭教師の話が舞い込んできたのだ。

けれども、最初のうちは軒数も少なく、僕は「生活費=家賃+食費+酒代+その他」を捻出するためにさまざまなアルバイトをした。

一番初めのバイトは学生援護会の『日刊アルバイトニュース』(100円)を見て決めた教育グッズのセールスだった。
 たしか、小・中学生向け家庭学習セットのようなものだったと思う。
 僕は、一緒に下宿していたIとUを誘い、面接会場に出かけた。
 そこはマンションの1室で、面接もそこそこに、テキストとテープがセットになった商品見本と販売マニュアル、セールス先の一覧表を渡された。
 「これ(販売マニュアル)にざっと目を通した後で、この表にあるお宅を訪問してください。1日あたりの最低賃金は〇千円ですが、1セット売るたびに△千円ずつ上乗せされます。なあに、簡単な仕事ですよ。なにしろモノがいいですからね。」

僕たち3人は、それぞれの思いを胸にセールスへ出かけた。
道すがら、何事にも楽観的なUが抱負を語った。
「よーし。オレは今日1日で10セット契約するぞ。・・・と言いたいところだが、初日だからまァ5セットかな。するってえと、1週間で○○万円か。いやあ、これは美味しい仕事だぜ。」
「うーん、そんなに上手くいくかな。マニュアルだって、まだちゃんと見てないんだよ。」 
何事にも慎重なIが言った。
「なあおい、慣れるまでは3人一緒にやろうよ。1人がサンプルを広げて見せて、あとの2人が交代で説明するのさ。」
何事にも気弱な僕が提案した。
「うーむ、そうすると儲けが減るなァ。・・・まあ、初日は手堅く行くとするか。まァ、最低でも3人で6軒はゲットしようぜ。」
Uがそう言って話は決まった。

向かった先は、面接会場から電車で10分ほどの住宅街にあるマンションだった。一覧表によれば、この建物にターゲットとなる世帯が10軒ほどあった。
ということは、成功率5割としても5軒である。
 話し上手なUがいることだし、きっとなんとかなる。
 僕はそう思ったし、Iも同感だったろう。

さて、僕たちはまず最上階から攻めることにした。上から順番に攻略していき、地上に降り立った時には、赫々たる戦果を収めているはずだった。

・・・だがしかし、それは結局のところ「絵に描いた餅」「机上の空論」「砂上の楼閣」に過ぎなかった。

1軒目はインターホン越しに断られた。
2軒目は中に入れてもらえたものの、Uが説明している途中で断られる始末。「アンタたち、アルバイトかい?もっと話し方を練習しなくちゃね。」
3軒目はけんもほろろ、とりつく島もないほどあっさりと断られた。
4軒目。すっかり自信を失ったUに代わり、Iが説明したが結果は同じ。
5軒目、6軒目は僕とIが掛け合い漫才みたいに話してみたが全然ダメ。
ここで全員ギブアップとなってしまった。

「うーむ。セールスマンの苦労がやっとわかったよ。」
階段を降りながら、Uが珍しく打ちひしがれた表情でそう言った。
「やっぱ、そう簡単にはいかないね。」
Iが相槌を打った。
「・・・なあ、違うバイトを探そうか?」
僕がそう提案すると、UとIが同時にうなずいた。

その日の夕方、僕たちは面接を受けたマンションに戻り、サンプルセットと訪問先の一覧表に一通の手紙を添えて、会社名が書かれた郵便受けに忍ばせた。そこには確かこう書いてあった・・・と思う。

「このたびは大変失礼しました。「○×マンション」を3人で回ってみましたが、1軒も契約できませんでした。サンプルと一覧表はお返しします。ほんのおわびの印に、今日のバイト代はご辞退いたします。ではサヨウナラ。」

ということで、初のバイト挑戦は、電車賃を使ったのみであえなく玉砕。健全な社会人への道がいかに遠いかを、身をもって知らされたのであった・・・。

やがてUは大学近くのアパートに引っ越ししていった。彼はその後、学習塾の講師となって手堅く稼いだらしい。

残された僕とIは、結局大家さんが経営するボイラー清掃会社で働かせてもらった。
 ボイラーといっても企業で使う大型の水管ボイラーとよばれる代物で、定期的な性能検査が義務づけられていた。
 我々の仕事は、その検査に先だって、さまざまな道具を使い内部をきれいに掃除することだった。

この仕事はいわゆる3Kと呼ばれる業態であり、汗にまみれて服は汚れ、時として危険で困難な作業をともなった。
 しかし、その分達成感も大きく、1日が終わった後は、実に美味しくビールが飲めるのであった。
 しかも、一緒に働くメンバーがなんとも魅力的な人たちであり、過酷な労働に憩いのひとときを提供してくれた。

さて、ノドも渇いたことだし、今回はこの辺でペンを置くとしよう。
次回はボイラー掃除で出会った面白おかしいオジサンたちをご紹介したい。賢明なる読者諸氏よ、期待して待たれよ。

(続く) 




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