政治に関わる信条 4

 1970年代後半から1980年代初頭にかけて、不肖・櫻田は、「TBSの申し子」のような存在であった。当時、青森県内の民放は日テレ系列とTBS系列の二局しかなかったのだが、その中でTBS系列の方を不肖・櫻田は熱心に観ていた。前にも書いた通り、不肖・櫻田にとってはバタ臭いものが好みに合っていたので、TBS系列の方を観る時間が長くなったのである。

 往時、TBSの「国際色」を象徴していたのが、兼高かおるさんが登場していた「兼高かおる世界の旅」だったかもしれない。しかし、その他にも、TBSの番組には、そうした傾向を反映する番組がかなりあった。たとえば、大雑把に思い出すのが、以下の番組である。

 1.「おはよう700」

  平日の朝に放映されていた番組である。この番組に関して思い出すのは、当時出演していた女性キャスターが、イディ・アミンの単独インタビューに及んでいたことである。当時、「アフリカの暴君」として知られたアミンのインタビューを観ていて腰を抜かした記憶がある。もっとも、この番組については、「ビューティフル・サンデー」、「カントリー・ロード」、「パロマ・ブランカ」といった洋楽に乗せた紀行特集の方が、覚えている人々の方が多いかもしれない。

 2.「もうひとつの旅」、「音楽の旅・はるか」

  團伊玖磨さんが実質監修していた音楽紀行番組である。クラシックの様々な曲とその背景を紹介した番組であった。日曜の夜に放送されていた記憶がある。

 3.「JNNニュースコープ」

  夕方に放映されていたニュース番組である。単なるニュースだと思ってはいけない。キャスターを務めていたのは、デーヴィッド・ハルバースタムの名著『ベスト&ブライテスト』の翻訳を手掛けた浅野輔さんであった。この頃のニュース番組は、大学教授も務まるような人々がキャスターをしていたのである。余談であるけれども、1990年代初頭、土曜の夜だったかに、佐々木毅先生がキャスターをしていた「ワシントン・ウォッチ」という番組があった。今ならば、池内恵さんや細谷雄一さん、そして篠田英朗さんが登場するネット番組「国際政治チャンネル」を地上波で放映するようなものであろうか。そういう時代もあったのである。世界への「知的な窓」を感じさせる番組だった。

 4.「Gメン75」

  いわずと知られた、刑事番組である。ただし、この番組の肝は、前身の「キイハンター」を含めて、丹波哲郎さんが主役を務めていたことにあったのかもしれない。丹波さんといえば、007シリーズの日本編で重要な役割を演じた「国際俳優」として知られた人物である。その丹波さんのキャラクターがあってこそ、成立した番組シリーズであったように思う。ちなみに、この土曜夜のドラマ枠の中で丹波さんが演じた役名の中に、「櫻田」というのがあったように記憶する。テレビ画面の中に、「櫻田」という字が出るのは嬉しかった。もっとも、丹波さんは後年、「大霊界シリーズ」というそれまでの印象とは全く違う方向で名を馳せた、少し落胆した。

 ということで、この時代のTBSの鮮明な「国際色」には相当に影響を受けた。テレビ画面は、確かに、「広く開かれた世界」への窓だったのである。今、TBSを含めて、日本の民間放送局に独自のカラーはあるだろうか。テレビ業界が斜陽産業になってしまったのも、その辺りが影響しているように思われる。高校に入るまでの不肖・櫻田が観ていた「風景」である。

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