終わりなき旅のはじまり14

1995年3月、1年間の韓国での留学生活を終えた僕は日本に帰国した。

1年の留学生活だったが、今でも交流のある友人達に出会えたこと、自分の進むべき道が見えた事、そして何よりも全く何も知らなかった祖国というものを多少なりとも知る事が出来た実りある1年となった。

韓国に留学していた1年で家族にも変化があった。

中学、高校の時に住んでいたマンションは売却されていて、母親はスカーフ工場として使っていたところで1人で暮らしてた。

長女の姉には6人目の子供が生まれ、次女の姉は入院したまま、三女の姉は熊本に住み、四女の姉は作詞家になっていた。

父親は千葉の親戚の元、パチンコ屋で働いていた。

1995年の5月、僕は東京都内のレコーディングスタジオに勤め始めた。

レコーディングスタジオでの最初の仕事は掃除だった。

スタッフにはプロを目指す人達がチャンスを掴むためにそこで日々働いていた。

3つあるレコーディングスタジオには、毎日有名なプロデューサーやアーティストがレコーディングに来てはアルバム制作をしてて、緊張感もあったのだが、夢もまた溢れてるような職場だった。

そんなスタジオだったが、甘い生活をしてた僕にとって最初の3ヶ月間は地獄のような日々が続いた。

こいつダメだと罵倒され蹴られ殴られした事もあったが、たった1つの掃除でもプロじゃなきゃいけないという精神をそこで教わった。

このレコーディングスタジオでは実に沢山の多くの人と出会うことになるのだが、その中の1人にドラマーの吉さんがいた。

ドラマーを目指してた吉さんは、業務を終えると、スタジオに自分のドラムセットを組み、朝までひたすら叩いていた。

よく2人で飲みにいっては、プロとはなんぞや、音楽とはなんぞや、売れるとはなんぞや、そんな話を永遠にして気がつけば朝なんてこともしばしば、2人で明方の路上で夢を語りあったりしていた。

俺は夢を叶えるとその頃から言ってた吉さんは、現在もスリーピースのロックバンドのメンバーとして、そしてプロのドラマーとして活躍している。

終わりなき旅のはじまり14。終わり。


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