アンフィニッシュト 51-1
サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。
四
銀行で当面の生活費を下ろした琢磨は、野毛の安ホテルに部屋を取った。
——これで、もう尋問はないのか。
警視庁に連れていかれ、様々な人間が入れ代わり立ち代わり現れ、同じような質問を浴びせられるものと思っていたが、意外にも簡単に解放された。それが逆に不可解な気もするが、「公安とはそういうもの」とも考えられる。
潜入捜査官は元々、か細い線で本部とつながっているだけなのだ。
——いずれにせよ、奴らの計画を早く伝えねば。
琢磨が心配なのは、北朝鮮政府がさど号メンバーを使い、ヨーロッパで拉致工作をしようとしていることだった。報告書には注意するようにと強く書いておいたので、笠原警視正が読めば、政府の耳にも届くはずだ。
報告書に書いておいたので、横山には直接伝えなかったが、今になって強く言っておくべきだったと後悔した。
——笠原さんは、報告書を読んでくれるだろうか。
気のせいかもしれないが、横山の背後に笠原の影が感じられない。羽田の件も岡田の件も、琢磨の問い掛けに横山は「俺」という一人称で答えた。
——警察官は組織の中で生きている。だから言葉の端々に上司の影がちらつく。だが横山さんは、俺と同じように、か細い線だけで本部とつながっているような気がする。
琢磨は喩えようもない違和感を抱いた。だが、琢磨に行動の自由を許したのだから、当面は指示に従っておくべきだろう。
琢磨は横山に指定された番号に電話し、自ら滞在するホテルの名を知らせた。
横山は、「そこから居場所を変える時は連絡しろ」とだけ言って電話を切った。その呆気なさもまた不可解だった。
受話器を置くと、何もすることがないのに気づいた。そうなると心に忍び込んでくるのは、桜井のことだけだ。
——今頃、どうしているのか。
このような状況なので、故郷の両親に連絡できないのは仕方がない。父も、琢磨が特命を帯びていることには薄々気づいているはずだ。両親はそれでいいとしても、桜井の動向だけは知りたい。
桜井の姿を一目見たいと思った琢磨は、雄志院大学の近くまで行ってみることにした。
公安としてやってはいけないことかもしれないが、正体を知られなければいいのだと、自分を納得させた。
野毛の露店でサングラスを買い、岡田の遺骨を近くの寺に預けた琢磨は、金を払って供養を依頼した。墓を建てることまではできないが、これで岡田も日本の地に眠ることができた。
——しばらく、ここで辛抱してくれ。
琢磨は岡田の親族の居所が分かれば、故郷に移してやるつもりでいた。しかし、それを調べる方法など思い浮かばない。それでも何とかしてやりたいという気持ちはある。
寺を出てから、しばらく周囲を歩き回って様子をうかがったが、どうやら尾行は付いていないようだ。
——何を心配している。ここは北朝鮮ではない。日本だぞ。
琢磨は、鋭敏になりすぎた自分の神経に苦笑した。
たった数年の間に、横浜の街は変貌を遂げていた。
すでに市電は全廃され、以前とは比べ物にならないほど車の量が増えている。
——時は流れ、時代は変わっていく。
今でも耳底には、新宿フォークゲリラの歌声が残っている。だが、人を押し流すような経済成長の中で、その歌声は、徐々に歴史の一ページとなっていくのだ。
人目を避けるため、琢磨はタクシーで石川町まで行ってみることにした。
石川町五丁目のバス停付近でタクシーを降りた琢磨は、そのまま徒歩で打越橋方向に向かった。道路を隔てて見える交番には人の気配がなく、すでに閉鎖されているらしい。
その交番を舞台にして、赤城は琢磨を試したことがあった。随分と昔のことのような気がするが、たかが三年ほど前のことだ。
——その間に、いろいろなことがあったな。
琢磨は記憶というものの不思議を思った。
なだらかな坂を上っていくと、打越橋が見えてきた。その途中で左に折れた琢磨は、住宅地の中に足を踏み入れた。
どうしても、かつて住んでいた場所に行ってみたかったのだ。その安アパートは、以前と変わらず、そこにあった。
様々な思い出が込み上げてくる。とくに桜井と過ごした夜のことは、鮮烈な記憶として残っている。
——会いたい。
突き上げるような寂しさが琢磨を襲う。だが、二度と桜井に会うことはできないのだ。
二階を見上げると、かつて琢磨が住んでいた部屋の前に自転車が置いてあった。そのスポーツタイプの形状から、若者が住んでいると分かる。
いかなる経緯で琢磨の家財道具が処分され、新しい居住者が入ったのかは分からない。だが、そこには琢磨がいたという痕跡は微塵もなく、別の人生が刻まれていた。
裸の桜井を背後から抱き締め、一緒に外を見ていたあの台所の窓も、以前と変わっていない。
——さようなら。
琢磨は自らの過去に決別した。もう二度と来るつもりはなかった。
足は自然と大学の方に向いた。
大学の周辺は相変わらず人通りが多かったが、琢磨と同時期に学生だった者たちは卒業しているはずなので、知り合いに出会うことはないはずだ。
かつてバリケード封鎖をしていた正門前も、今は楽しげに行き交う学生たちで、当時とは全く様相を異にしていた。
——あの日々は何だったのだ。
琢磨は、若者たちが闇雲な情熱に駆られて命を燃焼させていた日々に思いを馳せた。
だが今、それは跡形もなくなり、高度経済成長に馴らされた若者たちが、さも楽しげにキャンパスを闊歩している。
——これで日本はよかったのか。
正門の見える場所に佇み、煙草を一本ふかした琢磨は、思い出を断ち切るようにその場を後にした。
琢磨の足は自然、山元町にあったアジトに向いた。
山元町へは打越橋を通っていくことにした。
——昔、ここで危ない目に遭ったな。
かつて、ここで横山たちに追い詰められたことを思い出しながら、琢磨が橋を渡ろうとした時である。背後からエンジン音が聞こえた。
——あの時と同じだな。
心中、苦笑しながら道の端に寄ると、こちらに猛然と向かってくる車が目に飛び込んできた。
——まさか!
車は、琢磨の歩く左側ぎりぎりを走ってくる。
琢磨は瞬時に体を転がして反対側によけた。柔道を習っていたので、受け身は得意だ。だがそこに、逆の方角から別の車が迫ってきていた。
——俺を轢(ひ)き殺そうというのか!
琢磨が再び反対側に転がる。タイヤの軋(きし)む音が耳元で聞こえたが、何とかよけることができた。
——助かったか。
二台の車は排気ガスをまき散らしながら、それぞれの方向に走り去った。
——タイミングがもう少しずれていたら、俺は轢き殺されていた。これは、いったいどういうことだ!
二台が引き返してくる可能性もあるので、琢磨はすぐに起き上がると、打越橋を走り抜け、脇道に入った。
著者:伊東潤(Twitter・公式サイト)
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。
よろしければ、Twitterでも「#アンフィニッシュト」で、ぜひ感想をつぶやいてください。いただいたメッセージは、すべて読ませていただきます。サポートも歓迎です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?