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アンフィニッシュト 54-2

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

「それでいい」
 野崎が二人に目を向けると、三橋が笑って言う。
「どうやら、坊やも何かにけりをつけたようだな」
「そういうことだ。それであんたらはどうする」
「当面、日本は騒がしいことになりそうだ。辺野古の運動にかかわれないのは残念だが、どこかの島で少しほとぼりを冷ますさ」
「まさかお二人は——」
 寺島が息をのむ。
「ああ、そこで結婚式を挙げるつもりだ」
 三橋の腕に桜井が腕を絡ませた。
「人生を取り戻さなくっちゃね」
「それは——、おめでとうございます」
 ——二人は、最後に残っていた共同作業を終わらせるというわけか。
 寺島は心の底から二人の幸せを祈った。
野崎が言う。
「さて、警察が来ると厄介だ。二人はここにいなかったことにする。さっさと身を隠しなよ」
「そうさせてもらうよ。ところで——」
 三橋が寺島に目を向ける。
「君は、まださっきの質問に答えていなかったね」
「どうして私が、この事件にこれほどの情熱を注いだかですね」
 野崎がうなずく。
「そいつは俺も聞きたいね。薄々、何かあるとは気づいていたが、俺だってすべてを知っていたわけじゃない」
 ——もう何も隠す必要はないんだ。
 寺島は思いきるように言った。
「ぼくの母方の祖父は警察官で、どうやら潜入捜査をしていたようなのです」
「潜入捜査だと」
「そうなんです。祖父は、祖母に『しばらく帰れなくなるかもしれない』と言い残して姿を消し、帰ることはありませんでした。どこかに女でも作ったのかと思い、祖母があきらめていた頃——」
 寺島の胸内から、得体の知れない感情が込み上げてきた。
「新聞に祖父の写真が出たのです」
「どういうことだ」
 野崎が苛立つように問う。
「祖母は、さど号のハイジャック犯の中に夫を見つけ、衝撃を受けました。しかし名前が違ったので、すぐに潜入しているのだと気づきました。むろん国家機密に属することなので、騒げば夫の身に危険が迫ると祖母は知っていましたから、誰かに似ていると指摘されても、『他人の空似だ』と言い張りました」
三橋が問う。
「まさか、その男というのは——」
「岡田金太郎という人物です」
 三人が啞然として顔を見合わせる。
「ぼくも、直接聞かされたわけではありません。祖母の死後、残された手回り品の中に、一枚の祖父の写真と、さど号事件に関連する新聞の切り抜きが入っていたのです。今回の件を追ううちに、それが同一人物だと気づき——」
 そこまで言うと、寺島は言葉に詰まった。
「そういうことだったのか」
 寺島の話をじっと聞いていた三橋だったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「まさか君が岡田君の孫とはな。彼と一緒に帰ってこられなかったことは、俺にとって生涯の痛恨事だ」
「もう終わったことです。それよりも、あなたに会えて本当によかった」
「俺もだ。これで君も、背負ってきた荷を降ろせるというわけだな。岡田君の遺骨を故郷に改葬してくれよ」
「はい。もちろんです」
「俺の唯一の心残りは、ヨーロッパでの拉致事件を止められなかったことだ」
 三橋はそう言うと、吸殻を足でもみ消した。
「われわれが、もうそんなことはやらせません」
 寺島が胸を張る。
「頼んだぞ」
「任せて下さい」
「そろそろ消えた方がよさそうだ」
 野崎が二人を促す。パトカーの音も近づいてきている。
「お二人とも、ありがとうございました」
 桜井が頭を下げる。
「われわれは警察官です。当然のことをしたまでです」
 野崎が照れくさそうに言う。
「警察は私たちの敵ではないわ。私たちの敵は——」
「もういいよ」と桜井を制した三橋が、寺島にアタッシュケースを渡した。
「それじゃ、頼んだぞ、相棒」
 そう言い残すと、三橋は桜井と一緒に闇の中に消えた。
「相棒、か」
 野崎が眼鏡を拭きながら言う。
「三橋さんにとって祖父は過去の相棒で、ぼくは今の相棒だったんでしょうね」
「そうだな、相棒」
 野崎の高笑いがダンスホールにこだまする。
 それを聞きながら、寺島はすべてが終わったことを覚った。

エピローグ

 夜勤だったので、いつの間にか、うとうとしてしまったらしい。
 夢の中で祖父に会った気がするが、どんな会話を交わしたかは覚えていない。
 ——じいさん、これでよかったのか。
 寺島は死んだ祖父が寺島を動かし、あの秘密を暴露させ、なおかつ三橋を救おうとした気がしてならなかった。
 顔を洗おうと洗面所に行きかけたところで、野崎が外から帰ってきた。
「あれ、まだいたのか」
「もう帰ります」
「おい、聞いたか」
 野崎がニヤリとする。
「何を、ですか」
「出がけにテレビのニュースで知ったんだが、昨夜、堀越とかいう代議士が自殺したとさ」
「ああ、そうですか」
 寺島にとっては、もはやどうでもよいことだった。
「関心がなさそうだな」
「ええ、自分にとっては、もう終わったことですから」
「それもそうだ」
——おそらく自殺を強いられたのだろう。では、誰が強いたのか。
それが現政権と、その背後で日本を操る米国なのは明らかだった。
——しょせん堀越も走狗でしかなかったのだ。
「総理大臣が『一連の陰謀は堀越個人がやったこと』と釈明していたぜ」
「まあ、そう言うしかないでしょうからね」
 ——トカゲのしっぽが切りか。
こうした場合、常にそういう結末を迎える。
「藤堂もコメントしていたぜ」
「ということは、二人は帰国していたのですね」
「ああ、そのようだ」
「何と言っていました」
「その思想は異なるものの、父上から引き継いだ仕事を終わらせられず、さぞ無念だったでしょう、とさ」
「きつい皮肉だな」
 二人が笑っていると、電話で誰かと話していた島田が声を上げた。
「大師駅のホームで、ナイフを持った馬鹿が暴れている。手が空いているなら行ってくれ」
「分かりました」
「頭がいかれてるので何をするか分からない。くれぐれも気をつけろよ」
「そういう奴の方が親しみを感じますよ」
 野崎の言葉に島田が声を上げて笑った。
 二人は背広を着ると、署を飛び出した。
 外は快晴で日差しが眩しい。
 ——じいさん、三橋さん、これですべて終わったぜ。
「おい、何をしている。早く乗れ」
 野崎がパトカーの中から手招きする。
 寺島は未知の未来に飛び込むかのように、パトカーの中に身を滑り込ませた。



著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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