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アンフィニッシュト 49-1

サンデー毎日(毎日新聞出版)にて2017年秋まで連載していたミステリー小説を毎週火・木にnoteにて復刻連載中。
1960年代後半の学生運動が活発だった日本を舞台に伊東潤が描くミステリー小説。

「妹さんは、北朝鮮に渡航できたとお思いですか」
「おそらく無理でしょう。奴らの誘いに掛かった者は連れていかれたらしいですが、自ら飛び込もうとする者は、スパイの疑いがあるので、入国は極めて困難と聞いています」
 一九七0年代半ば以降、東欧を旅行中の日本人の若者が次々と消息を絶った。警察からも捜査員が東欧に派遣され、各国政府の協力を得て追跡調査がなされた結果、彼らはさど号ハイジャック犯たちによって、言葉巧みに連れ去られたことが分かってきた。彼らの足跡が北京かモスクワで途切れていることから、その二都市から便が出ている北朝鮮に拉致された可能性が高いと推定された。
「それで、あなたたちの目的は何ですか」
「わたしたちは、放火事件の真相を知りたいのです」
「それが妹の消息と、どう関係してくるのですか」
 言葉を慎重に選びつつ寺島が答える。
「つまり妹さんは、自ら北朝鮮に行こうと思うほど、中野さんに——」
 寺島が口ごもったので、野崎が助け舟を出した。
「ご執心だったのですか」
「ご執心とは古い言葉をお使いですね」
 赤城が鼻で笑う。
「直截に言えば、惚れていたのかどうかということですが」
「分かりません。少なくともわれわれの運動に誘った責任は感じていたようです」
 野崎が言いにくそうに問う。
「では、男女の関係はなかったとお考えですか」
「いえ、肉体関係はあったかもしれません」
「おそらく初めての男だと——」
「そうですね。そう考えるのが自然でしょうね」
「どうして、そう思われるのですか」
「妹は中野君のことで思い悩み、精神的に不安定だった時期があります。その時の言動からすると——」
 赤城が言葉を濁す。
 赤城と桜井の間で激しいやりとりがあったのだろうが、そのことを、それ以上問うても意味がない。
「では、思想的なことですが、中野さんは学生運動については、どういう考えを持っていたのですか」
「最初は桜井に惹かれて始めました。しかし彼は一途なところがあった。思想的にも次第に先鋭化していきました」
「それで、ハイジャック・メンバーに推薦したのですね」
「そうです。ハイジャック計画は軍事訓練を受けることに主眼があったので、兵士として役に立ちそうな者を選んだのです。その点、われわれの中では、中野君がベストでした」
「彼が消息不明になったことについて、かつてハイジャック犯のリーダーの田丸氏は、『中野君は労働者として生きたいと言って宿泊所を出た』と言っていますが、それについては——」
「生真面目な彼なら、あり得るかもしれません」
 赤城がため息交じりに答える。
「岡田金太郎氏や吉本武氏も、同じようにフェイドアウトしていますね。田丸氏によると、岡田氏は病死ということになっていますが、多くの矛盾が指摘されています。また吉本氏についても、吉本氏が『もっと手応えのある仕事がしたい』と熱望するので、党本部で日本語の新聞の訳出などに当たっていると答えていました」
「岡田君や吉本君については何も知りません。顔を合わせたことぐらいはありますが、私には縁もゆかりもない人物ですから」
「そうでしたね。では中野さんに話を戻しますが、彼はいかなる人物だったのですか」
 その問いに、赤城の感情が少し動いた。
「私は、彼らが長期にわたって帰国できなくなるとは思わなかったのです。だから純粋で一本気な中野君が、田丸君たちと道を違えることになるなど考えてもいなかった。元々、赤軍派といっても、党派の寄せ集めであり、その党派内でも、全員の思想が一致しているわけではなかった。ベトナム戦争をやめさせられれば、それでよいという者もいれば、労働者のために、よりよい社会を作りたいという者もいた。田丸君のように、世界同時革命を本気で成し遂げようとしていた者もいましたが——」
「あなたはどうだったのですか」
「私の思想が、この事件にどうかかわるのですか」
「答えたくなければ結構です。それでは、中野氏は今も北朝鮮にいるとお考えですか」
「田丸君の言葉を信じる以外、今はどうしようもないでしょう」
 だがその田丸も、平成七年に心臓発作で倒れ、不帰の客となっている。
田丸のほかに死亡者は二名いた。中田義郎はカンボジアで活動中に逮捕された後、日本に移送され、平成十九年に刑務所で病死していた。柴本泰之は極秘裏に日本に帰国したものの逮捕され、平成二十三年に謎の死を遂げている。
 現在、さど号メンバーで存在が確認されているのは、大西哲広、青木志郎、安西公男、若山盛男の四人である。
「最後にもう一つ質問させて下さい。あなたは今の世の中を見て、どうお思いですか。あなたの理想とは、かけ離れていますか」
 赤城は寺島の視線を真っ向から受け止め、一気にまくし立てた。
「だから私は、宗教によって人々を救済すべく、この道に入ったのです。われわれは会員に寄付も強制しないし、怪しげな勧誘活動もしていません。ただ苦しみを堪えて生きている方々の魂を少しでも安んじられれば、それでよいと思っているのです」
 確かに赤城の教団は寄付も信者の自主性に任せ、反政府活動や派手な勧誘も行っていない。その点では、警察にとって警戒すべき宗教団体ではなかった。
 秘書が咳払いしたので、赤城は「そろそろ、よろしいでしょうか」と問うてきた。
 これ以上の収穫がないと思った寺島は、野崎がうなずくのを見て、「ありがとうございました」と言って頭を下げた。

著者:伊東潤(Twitter公式サイト
1960年、神奈川県横浜市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。日本アイビーエム株式会社を経た後、外資系企業のマネジメントを歴任。2003年にコンサルタントに転じて2006年に株式会社クエーサー・マネジメントを設立。2007年、『武田家滅亡』(角川書店)でメジャー・デビュー。2010年に専業作家となって今に至る。

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