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新作歴史小説『茶聖』|第一章(十二)

真の芸術家か、
戦国最大のフィクサーか――


安土桃山時代に「茶の湯」という一大文化を完成させ、
天下人・豊臣秀吉の側近くに仕えるも、
非業の最期を遂げた千利休の生涯を、歴史作家・伊東潤が描く!
新作歴史小説『茶聖』。

戦場はたった二畳の茶室――。
そこで繰り広げられる秀吉との緊迫の心理戦。
門弟となった武将たちとの熱き人間ドラマ。
愛妻、二人の息子たちとの胸に迫る家族愛。

発売直後から話題を集め、早くも二度の重版がかかるヒットとなっている本作の試し読みを、noteにて集中連載いたします。


第一章(十二)

天正十二年(一五八四)正月三日、大坂城内に山里曲輪と茶室が完成し、その「座敷披き」が行われた。「座敷披き」と言っても狭い茶室に大人数は入れないので、祝賀に訪れた諸大名には二畳茶室を見せた後、御広間で秀長を主座に据えた茶事を行うことになった。
 一方、二畳茶室では、主人役の宗易と正客の秀吉が対峙していた。
 床には虚堂禅師の墨蹟を掛け、信楽の水指、面白の肩衝茶入、井戸茶碗といった質素な道具の取り合わせは、宗易がこれから目指そうとしているものを如実に表していた。
「見事なものだな」
 秀吉はその鄙びた風情の漂う草庵を見て、さらにそれが二畳隅炉ということに驚きを隠せないようだ。
「かように狭い茶室では、主人と客が二人しか入れぬぞ」
「草庵の茶事は主人と客だけで十分かと。大寄せであれば御広間があります」
 大寄せとは大人数で行う茶事のことだ。
「なるほど、いわばここは、わしとそなたの隠れ家ということか」
「はい。羽柴様でさえ、かような草庵で茶を楽しむことが知れわたれば、衆生も何ら恥じることなく、草生した草庵に割れ釜をぶら下げただけの茶事をするようになります」
 秀吉が前歯をせり出し、下卑た笑いを浮かべる。
「それによって民にまで、茶の湯が広まるというわけか」
「その通りです」
 音を立てて茶を喫すると、秀吉が唐突に言った。
「わしは虚けと三河を討つことにした」
 虚けとは信長次男の信雄、三河とは徳川家康のことだ。秀吉に与して信孝を滅ぼした信雄は、この時、自領に加えて尾張・伊勢・伊賀を吸収し、百万石を超える大名となっていた。
「わしとて戦は好まん。それゆえ三人の宿老を虚けの下に送り込み、首根っこを押さえておる」
 三人の宿老とは、津川玄蕃允義冬、岡田長門守重孝、浅井田宮丸長時のことだ。
「その三家老から、虚けと三河の間で、使者の往来が激しくなっているという知らせが届いた」
 秀吉の金壺眼が光る。
「それだけで織田中将と三河殿を相手に戦をすると仰せですか」
「そうだ。戦に勝つには先手を打つことが大切だ。大義や理屈など後からどうにでも作れる」
「しかし織田中将と三河殿と戦うには、相応の覚悟が要りますぞ」
 それとなく脅しを掛けてみたが、秀吉は動じる風もない。
「当たり前だ。勝負をしないで天下が取れるか」
「困りましたな」
「そなたが困ることはあるまい」
「いえ、羽柴様と私がこれからやろうとしていることと、戦は矛盾しております」
「そうかもしれぬが、この二人だけは、わしの目が黒いうちに倒しておかねばならん」
「今のうちに禍根を断っておくというのですな」
 秀吉がうなずく。
「敵は三河殿。正面から戦えば共倒れになります」
「では、どうする」
「まずは、私を織田中将の許にお送り下さい」
「送ってどうする」
「恫喝してきます」
 秀吉は大きく目を見開き、次の瞬間、大笑いした。
「ははは、こいつはまいった。茶人の千宗易殿が、総見院様の息子を脅しに行くと申すか」
「はい。羽柴様の威光と権勢をお伝えし、その傘下にとどまることが、己の器量に見合ったことだと分からせます」
「ははあ」と言いつつ、秀吉が膝を叩く。
「面白いとは思うが、やめておけ」
「なぜに」
「あのような虚けには、何を言っても無駄だからだ」
「それでは側近に説きます」
 秀吉が腹を抱えて笑う。
「かの者の側近を知らぬのか、主に負けず劣らずの虚けばかりだ」
 そこまで言われては、宗易も黙るしかない。
「いずれにせよ、わしが押し付けた三家老が不穏な動きを伝えてくれば、即座に兵を動かす」
 秀吉が恫喝するような目つきで、「もう一服」と濃茶を所望した。

 三月六日、桜の花の咲き乱れる伊勢長島城で、その事件は起こった。
 かねてより信雄は、秀吉派の三家老から「羽柴様に忠節を示すように」と言われていた。それゆえそのことを了解した旨の返答をし、花見の宴に参座するよう命じた。
 三人は何の疑義も挟まず登城し、花見の宴が始まる前、小書院で信雄と歓談した。
 しばらくして信雄が小用に立つと言って姿を消した後、三人だけが座敷に残された。すると突然、「お命、頂戴いたす!」と叫びつつ男たちが現れた。三人は逃れる術もなく斬られ、戦国期にも珍しい陰惨な暗殺事件は終わった。
 この一報を受けた秀吉は、小躍りしたい気持ちを抑え、憤怒の形相で全軍に陣触れを発した。
 家康も動いた。家康は家康なりに勝算があった。秀吉が織田家中の内部抗争に明け暮れている間、家康は武田家旧領の甲斐・信濃両国の領有に成功し、強兵で鳴らした武田家旧臣の大半を軍団に組み込んでいたからだ。寄せ集めの秀吉軍団に比べ、徳川勢が一段と精強になったことは明白であり、家康は軍事衝突となれば勝つ自信があった。
 さらに、甲斐・信濃両国の領有をめぐって争っていた北条氏と攻守同盟を結んだ家康は、後顧の憂いもなくしていた。
 かくして、小牧・長久手の戦いが勃発する。

(試し読みここまで)

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