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【スポーツライター・山田智子】新聞でスポーツコラムも執筆する実力派ライター。原動力は、“あの日”への恩返し。

2011年7月、ドイツで開催されたFI FA女子ワールドカップの決勝戦。
山田智子は、メインスタンドの中央付近に設けられたプレス席で、あふれ出す涙を止められずにいた。ブルーのユニフォームで勇敢に戦う「なでしこジャパン」の選手の姿を、涙でかすむ目で追った。

世界ランク1位の強豪国アメリカ相手に、互角の戦いを繰り広げる日本の選手たち。延長戦でも決着が付かず、PK戦の末、日本が勝利。日本の女子サッカー界の新たな歴史の幕開けを予感させるワールドカップ優勝。劇的な勝利に、日本中が沸いた。

試合終了のホイッスルを耳にして、山田はあふれる涙を拭いながら、「自分の仕事」をするため選手の元へと急いだ。

一生を懸けて恩返しをしなければならない

当時、山田は、公益財団法人日本サッカー協会のスタッフだった。広報担当者の一人として現地に帯同し、「なでしこジャパン」の姿をオウンドメディアでリアルタイムに発信するのが「山田の仕事」だった。

同年3月、東日本大震災が発生した。日本代表の中には福島を拠点とするクラブに所属する選手もいた。応援してくれている方が、大勢、被害に遭った。
震災で被害に遭われた方への想い。結果を出さないと注目してもらえない女子サッカーの現実。自分達が活躍しないと環境は良くならない。活躍することで、支えてくれる皆さんに恩返しする。結果を出して、次に繋げたい。背負いきれないほどの重圧を背負って「なでしこジャパン」の選手たちは闘っていた。

山田は、「地元のプロサッカーチームの試合をすぐに観られるから」という理由で、ホームスタジアムに一番近い大学を選ぶくらいサッカーを観ることが好きだった。社会人になってからは、広告・WEB制作会社で働きながら、休日になると、地元の「なでしこリーグ」のチームの写真をボランティアで撮らせてもらっていた。

当時は、なでしこリーグの試合を観に来るお客さんが、まだ30人、40人くらいしかいない時代だった。

東京で開催された全国大会を観戦しに行った時のこと。
「観客席に座って試合を観ていたら、金髪で鼻ピアスのお姉さんが隣に座ったんです。ふと目をやると、サッカー界では知らない人はいないであろう“澤穂希選手”だった。思わず二度見をしてしまいましたね。でも、それくらい選手との距離が近かったんです」。

2011年のFIFA女子ワールドカップの日本代表選手のことも、大会以前から目にしていた。プレースタイルや得意なプレーなども、手に取るように分かるくらいになっていた。

そんなある日、仕事で関わりのあった日本サッカー協会の担当者から、一緒に働かないかと誘いを受ける。
「サッカーは大好きだけど、サッカーを仕事にしたいとは考えていませんでした。地元のサッカークラブを応援し続けたいという気持ちもあって、最初はお断りしたんです」と、山田は言う。しかし徐々に「日本サッカー協会で働けば、なでしこリーグの選手たちの力になれることがあるかもしれない」と思うようになった。

そして、あの劇的な優勝の瞬間を、現地で目撃することとなる。

「私は、本当に運が良いと思いました。あんなに心が震える瞬間に立ち会えるなんて。でも同時に、あれほどの感動を味わわせて頂いたからには、これから一生をかけて女子サッカーに恩返しをしなければならないとも思ったんです」。

書くことは今でも苦手です
あの日から12年。現在、山田は、地元・東海エリアでスポーツライター・カメラマンとして活動している。
スポーツ総合雑誌のトップランナー的存在である「Number」で執筆したり、中日新聞でスポーツコラムを連載したりするほどの実力だ。

だが、山田は、「実は、ライターになるつもりはなかったんです。書くことは今でも苦手です」と笑う。
日本サッカー協会を退職した後、地元へ戻った。スポーツ界に恩返しする方法を模索していたある日、カメラマンの仕事で行ったサッカーの試合会場で、知人のライターの方から試合のレポート作成を依頼された。自分では一生懸命書いたつもりだったが、掲載された記事を他のライターのものと比較してみると、“恥ずかしい出来”だった。試合のレポートを楽しみにしているファン・サポーターに申し訳なく思った。

その後数年間は、年に2、3回試合レポートの依頼がある程度だった。だが、「スポーツを書いて伝えることが、今の私に出来る“あの日への恩返し”になる」と、覚悟を決めて、全力でライターの仕事と向き合うことにした。講座を受講するなどライティングを学ぶうちに、徐々に仕事が増えていった。

「アスリートは、日々、死に物狂いで努力し、私たちに感動する試合を見せてくれる。そして、試合後の疲れた中でも熱い話を聞かせてくれます。彼らが与えてくれるものに対して、私はそれを文章にするぐらいしか出来ない。そのことをとても申し訳なく感じています。だから、ライターとしての技術を磨くことが、彼ら彼女らの気持ちに応えることになると考えています」。

怠け者だね
山田は、大学を卒業した後、デザインや映像を学びたいと思い専門学校へ入学した。その専門学校の卒業式を控えたある日。とある先生から「こんな怠け者は見たことがないというくらいの怠け者だったね、君は」と言われた。授業も課題も、それなりにこなしていたつもりだった 。その学校は、アーティストを目指しているストイックな学生が多かったのもあるかもしれない。だが、その“先生史上最強”の怠け者に君臨するとは思ってもいなかった。一方で、薄々ながら、自覚もあった。例えば、夏休みの宿題は、毎回、最終日の8月31日に必死でやっていた。必要最低限のことだけをこなして過ごしていたのだ。

衝撃の“はなむけの言葉”を胸に、「これからの人生は、自分は怠け者だと自覚して生きていく。目標を立てないと、目の前の楽な道を選んでしまう。そんな自分を律するために、常に目標を立てて、それに向かって努力する」と決意した。

スポーツの力を信じている
「スポーツは、チームを応援することで発生するコミュニティーも魅力の一つ」だと山田は言う。山田自身、スタジアムに足を運ぶようになるまで、接することが少なかった年配の方や子どもたちとの交流が増えた。また、スポーツを中心にして、夫婦の会話が増えたり親子の関係性が良くなったりする姿も見てきた。

スポーツが、人生を少し豊かにしてくれる「サードプレイス」の場になれたら。
さらには、運動不足が要因の一つと言われている日本の医療費問題。もっと気軽にスポーツをする人が増えて、国民全体の健康寿命を延ばすことにつながったら。

「私は、スポーツの力を信じています。日本をスポーツで幸せな国にしたい。
みんなでスポーツをする、みんなで応援する、みんなをつなげる。
私は、全力で、“あの日の恩返し”をしていきたいと思っています」。

【山田智子さん・プロフィール】
岐阜県出身。東海エリアを拠点にスポーツを中心に執筆するスポーツライター・カメラマン。サッカー、バスケ、フィギアスケートなど30種類以上の競技のインタビュー記事の執筆を行う。仕事もスポーツ。趣味もスポーツ。現在は、ホノルルマラソンへ向けて準備中。

文/メリイ 潤


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