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ファンタジーを読む


 以前の投稿で物語を通して普遍的なものが伝わるとことを考察した。
臨床心理の大家である河合隼雄氏(以下、河合氏)の「ファンタジーを読む」という本に触れて、私自身が物語という無意識の扉に魅かれてきた必然性とその扉を通して私たちも自分の中の無意識を物語や日常を鏡として認識できることに気づかされた。

遠くの声|junchan|note

私自身のネイタルチャートの3室牡牛座太陽、水星と9室蠍座海王星、木星で形成される複合アスペクトを通して無意識への扉が開かれ、それを牡牛座的なユーモアと笑いを交えてファンタジーとして感じていく。
地のエレメントである牡牛座に水エレメントである蠍座から水が染み渡ってくるような感覚で河合氏の言葉を通して流れてくるものがある。

無意識から湧き出て来る内容に対して、意識が避けることも圧倒されることもなく対峙し、そこから生み出されてくるものがファンタジーである
このことは、意識的にあれこれと考え続けているときに、無意識的な内容が突然に出現してきて思いがけぬ展開をするという経過をとるときもある。
(中略)
意識と無意識の対峙のなかに身をおいて、苦闘していると、そこから本人の個性と深いかかわりをもちつつ、なおかつ普遍性をもった物語が生み出されてくる。
(中略)
無意識の圧倒的な力に耐えてゆくため、ファンタジーの作家は強靭な意識をもたねばならない。このような意識の強さが、余裕をもたらし、そこからユーモアが生まれてくる。
(中略)
ファンタジーをたましいのあらわれとして見るとき、ファンタジー作家からわれわれは実に豊かなメッセージを受けとめられるように思う。

本書の後半に「ゲド戦記」ル・グウィン著に関して、河合氏がユングと重ねて無意識の影に関して深く考察されている内容に釘づけになった。
正直なところ「ゲド戦記」は長男が呼んでいた記憶がある程度である。
河合氏の解説でのゲド戦記で語られている影とユングが語る影との関連性はとても興味深い。影は無意識の全体のような無限な存在で、それを知るために、われわれはその一部が姿を明確にして顕現したものと会うことになるということ。
影とは無意識とはまさに海王星の働きによるものであり、その恐ろしさをこの2年身にしみて感じてきた。
以前の投稿の中でも触れたが、海王星とは一定の距離感をもち、自分でバランスがとれる工夫(結界)をしないとずるずると無意識の海に飲み込まれてしまうことにもなる。
藤原新也氏が言われていた「島」、そしてゲド戦記で書かれている「影」も人の無意識領域を象徴しているものと思う。
人は無意識で繰り返していることは何かを鏡としていかないと意識できない、そのためのファンタジーであり、物語であるのだろう。

無意識の海に浮かぶ島|junchan|note

最近、マドモアゼル愛先生の動画でも物語を取り戻すというお話があった。
生きづらい現代社会は、自分らしさを失くさせていくような働きかけが権力やマスコミも含めて同調圧力も重ねた形で迫ってくる。
そんな時代にこそ、自分は唯一の存在であり、物語のヒーローでもあることに気がつかせてくれる物語が必要である。
この物語は何も本だけではなく、信頼できるnoteの投稿やリアルな日常もまた物語であるのではと最近しみじみと思う。


物語りを取り戻す - YouTube


自分自身の太陽を意識しだしていくことで、今まで意識していなかったことが顕在化したり、必然的に同じようなことを考えている人と出合ったり、
色々な気づきや出来事がシンクロする形で起こってくる。
先日のオンラインでのお話会で、ASC(アセンダント)は太陽意識に目覚めていく架け橋になるという話が出た。私のASCは水瓶座であり、この2年、水瓶座的なSNSでのオンラインでのセミナーやサロンを通してホロスコープを学び、そしてnoteでエッセイと俳句を発信していくことで太陽星座を意識してきたことと一致した。



妖精を呼ぶ草笛を二度吹きて

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