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自民党総裁選挙における「危機感の後退」を懸念する

1.あらかじめ結論

週末、地元で後援して頂いている皆さんと話していて、「自民党の総裁選挙は盛り上がってるね。これで自民党も安泰だ」と言われた。
それを聞いて、「本当にそうだろうか」という懸念が頭をもたげた。

事実上、自民党の総裁選挙の号砲が鳴ったのは8月14日、岸田総理が総裁選挙への不出馬を表明した記者会見だろう。
その記者会見で岸田総理が総裁選挙について語ったのは主に以下のことだ。
 ・政治とカネなど政治不信の払拭が重要
 ・新総裁のもとで一致団結しドリームチームで政権運営を
 ・国民の共感の得られる政治の実現
 ・一連の改革マインドが後戻りすることがないような人を
 ・自民党が変わったと示す第一歩が、私自身が身を引くこと
その発言の裏には、「改革の途中で退く悔しさ」と「強い危機感」がある、と感じた。

それから1ヶ月以上が経過し、あと4日後には新しい自民党総裁が決まるというこのタイミングで思い返してみると、若干の違和感が拭えない。
考えを進めてみて、その違和感は以下の2つに集約されるのではないかと思っている。

・岸田総理が不出馬を決めた時の「強い危機感」が忘れられているのではないか

・議院内閣制の意義が試される状況になるつつある

そしてこれらから導き出されるのは、

・自民党の国会議員は9月27日の総裁選挙の投票において、もう一度根底にある強い危機感を思い出し、責任を持って一票を投じるべき

ということである。

なお、私自身は小泉進次郎さんを総裁候補として応援している。
本稿の論述にはポジショントークが含まれているのではないか、という指摘に対して反論するつもりはない。
いやむしろ、政治家の言説は全て政治的な発言であり、そうした意味で全てが一定のポジショントークを含んでいるという指摘の方が的を射ているかもしれない。
ただ、それでも本稿に一定の本質的な指摘が含まれているとすれば、これを読む方には、そのことを心に留めていただきたいと願って論述するものである。

2.当初の危機感が低下しているのではないか

もう一度、8月14日の岸田総理の不出馬会見を読み返してみると、その背景にある最も強い危機感は、
「このままでは自民党が総選挙で敗北し、政権交代が起きかねない。それはこの国のためにもならない」
ということであろう。
そして、「それを回避するためなら自分は出馬しない」という判断に至っている。
そこには、自分のことは後回しにし、自民党のため、ひいては国民のため、国家のためにどう行動すべきか、という思考のプロセスが垣間見え、そうした大局を捉えた判断に多くの賞賛が集まった。

NHKの報道によると、その6日後の8月20日に開催された自民党総裁選挙の選挙管理委員会では、
・幹部から「開かれた総裁選挙、お金のかからない総裁選挙にしていかなければならない」との発言があり
・告示前に多額の資金がかかる準備を行わないこと、などを申し合わせた
とされている。
つまり、総裁選挙の選挙管理委員会でも、岸田総理が示した危機感を受けて、お金のかからないクリーンな総裁選挙が行われるべきであることが確認されたことになる。
この時点で、全ての立候補予定者の陣営で、「政治とカネを払拭する今回の選挙は、徹底的にお金のかからない選挙をするのだ」という強い決意が共有されたのではないだろうか。
ただ一つの陣営を除いては。

「ただ一つの陣営」がどの陣営を指すのかは明白であろう。
すでに報道されている通り、ある陣営が全国の党員らに総裁選候補者の国政レポートを郵送していた問題である(その陣営の推薦人の過半が派閥パーティーの還付金の不記載問題で名前が上がった人たちであったことはここでは言うまい)。
当該陣営では、「(正式に政策パンフレットの郵送が禁止された)9月4日以前に送ったもの」であり、内容も「総裁選挙には一言も触れていない」と反論しているが、上記の8月20日の選挙管理委員会の申し合わせなどを踏まえて他陣営が自粛していたことについて、数千万円のお金をかけて「抜け駆け」的に行なっていたことに対して、他陣営の国会議員からは今でも強い批判が渦巻いている。

この問題の本質は、「禁止される前に送ったグレーな行為について許容すべきかどうか」ではない。
「政治とカネ」が問われ、「ルールを守る政治」が問われている総裁選挙において、他陣営に抜け駆けする形で数千万円とも言われる大金をかけてギリギリのグレーな選挙運動をして支持を広げようとしたという当該陣営の政治スタンスが、このタイミングで選ばれる自民党総裁に相応しいかどうか、である。
また、仮にこのようなことを行なった陣営の候補が新総裁に選ばれた場合に、総裁選挙の後に予想される衆議院の解散総選挙において、野党から
「自民党の改革や再生が問われている総裁選挙で『カネをかけたグレーな選挙』で勝った自民党総裁のもとで、自民党が本当に政治とカネの問題を払拭できるのか」
と問われた時にどんな反論ができるのか、ということである。

それは国家観や政策以前の問題である。
今回の総裁選挙は、どういう選挙をやるべきなのか。
今回の総裁選挙では、どういう候補を新総裁として選ぶべきなのか。

今回の総裁選挙の出発点である、8月14日の岸田総理の不出馬会見の「強い危機感」に立ち戻るべきではないか。
その時の「危機感」をもう一度思い出さなければ、自民党は今度こそ、本当に国民からの信頼を失ってしまうのではないか。

3.議院内閣制の意義

今日は9月23日(月・祝)。
党員・党友の方々の投票は9月26日必着のため、大半の党員・党友の方々は、すでに投票を済ませているのではないだろうか。
したがって本稿は、党員・党友の方々向けというよりは、むしろ9月27日の当日に投票する国会議員向けということを意識して書いている。

私自身を含めて、「国会議員としての一票」を投じる際に悩むことの一つは、「党員・党友の方々の支持を反映すべきか、自分独自の視点で投票すべきか」という点ではないだろうか。
言い換えれば、「党員・党友で最も支持を得た候補が国会議員票で伸び悩むのはおかしい」という指摘への説明である。
今回もそうした事象が起こる可能性が指摘されている。

確かに、自民党の国会議員の投票行動が、その構成員である党員・党友の投票行動とかけ離れるのはおかしい、という指摘には一理ある。
一方で、党員・党友と国会議員の投票行動が異なる合理的な理由もあるだろう。
例えば、普段から候補者の行動や発言を近くで見ている国会議員は党員・党友とは異なる候補者の側面を見ているはずであり、そうした側面も投票行動に反映させるべき、という主張にも一理ありそうだ。

  • この候補者はあの法案を作った時に本当に頼りになった。今後も一緒にやりたい。

  • 尊敬するこの候補者が総理・総裁になった時には、この身を投げ打ってでも一緒に政権を担いたい。

  • この候補者の情熱と発信力なら現在の政治とカネの問題や政治不信を払拭できる。

逆に、

  • あの候補者のもとでは一致団結した安定した政権運営・議会運営が困難ではないか。

  • あの候補者はギリギリの厳しい局面になった時に本当に信頼できるだろうか。

  • あの候補者は自民党総裁としてはアリだが、その後の解散総選挙では勝てないのではないか。

といったネガティブな判断もあるかもしれない。
こうした判断のもとで、党員・党友とは異なる候補者を支援することも当然ありうるだろう。

どちらが正しいかという議論ではない。
そうではないが、一つ思い出さなければならないのは、日本では総理大臣を決める際に「議院内閣制」という制度をとっていることである。
「議院内閣制」については、「内閣総理大臣は、国会議員の中から国会の議決で、これを指名する」(憲法67条)と規定されている。
つまり、他国の大統領等とは異なり、内閣総理大臣は、国民が直接選ぶのではなく、国会議員が選ぶのである。
そのメリットとしては、例えば以下のようなことが挙げられるのではないか。
 ・国政第一党の党首が選ばれることが多いため、国会運営が安定する
 ・不信任決議などによって議会が責任を求めることが比較的容易である
また、SNSなどでは特定の世論がことさら強調され、一般的な世論であると錯覚したり、世論の分断を招いたりすることも懸念される中にあっては、そうした「悪いポピュリズム」的な動きから独立し、大局を眺めながら冷静に判断することが可能であることもメリットとして挙げられるのではないか。
このように考えてみると、「議院内閣制」には一定の意義があると言える。

現在の国会における各党派の議席数を考えると、自民党の総裁選挙は、いうまでもなく実質的に我が国の内閣総理大臣を選ぶ選挙でもある。
内閣総理大臣を選ぶ選挙が「議院内閣制」をとっていることを勘案すると、自民党の国会議員は、総裁を選ぶ選挙においても、党員・党友の投票の結果に必ずしも迎合することなく、国会運営の安定という視点や広く国民を率いていくリーダーとして相応しいのは誰なのかといった冷静かつ大局的な視点で投票することが求められるのではないだろうか。

なお、党員・党友の支持と国会議員の支持とが大きく乖離していることに関して、一人一人の国会議員による誰をどんな理由で支持しているのかに関する発信が不足している点も、その重要な背景としてあげられるのではないだろうか。
9月27日には、私自身も含めて、そうした反省も込めながら投票することが必要であろう。
そして、今後の総裁選挙では、出来るだけ丁寧に自分が支持する候補者について説明責任を果たしていく姿勢も求められるのではないだろうか。

4.むすびにかえて

今回の自民党総裁選挙は、政治不信を払拭するための選挙であり、そのために「大半の派閥を解消」した選挙でもある。
多くの陣営では、「派閥」を軸にしない選挙の戦い方について、様々な試行錯誤が求めらてきた。
一方で、過去最高の9人もの候補者が立候補したことによって、改めて「自民党には人材が豊富」であることを広く示すことができているほか、政策論議も活発となり、大いに盛り上がっているとも言える。
その結果、自民党の支持率は若干回復傾向となっており、8月14日に岸田総理が示した「危機感」は若干後退したように見える。

自民党の支持率の回復自体は素直に喜ぶべきことである。
また、このような総裁選挙の盛り上がりは、岸田総理が覚悟を持って不出馬宣言をした際に、それと引き換えに実現したいと思っていた望ましい状況でもあるだろう。

だが、我々はまだ何も成し遂げていない。
まだ新しい総裁も決めていないし、変革も成し遂げていない。
ましてや国民の政治不信の払拭にはまだまだ程遠いことは改めて強く認識しなければならない。

自民党は与党第1党として、これからもこの国を率いていく存在でなければならない。
ましてや経済では脱デフレの胸突き八丁にあり、安全保障・外交では戦後最も厳しく複雑な環境にあるというナローパスの中で、この国が正しい道を進んでいくためにも、我々自民党が、このタイミングで国民の期待を裏切ってはいけない。

我々自民党の国会議員は、「自民党は変わらなければいけない」という強い危機感をもう一度思い出し、コップの中で戦っている総裁選挙のその先にある野党との一大決戦を強くイメージしながら、9月27日の投票に臨まなければならないのではないだろうか。

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