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僕と、震災と、インターネット。

 

中学生の頃に夢中になって読んでいたブログのタイトルを、24才になった今でも検索してみることがある。僕はその長いタイトルを正確に覚えていて、当時は小さなノートパソコンで、今では更に小さなスマートフォンで、そのブログの場所をグーグルに尋ねることができる。


 そのブログは不定期で更新され、音楽や映画についての感想が書かれていた。複雑な考察を含んだ評論のようなものではなく、あくまで個人の感想をまとめたものだった。僕がそのブログを頻繁に開くようになったのは、そこで僕の好きな作品ばかりが取り上げられていたからだった。好きなバンドも、好きな映画も一緒だった。周りには趣味の合う友達がいなかったから、その人の感想を読めることが新鮮で、幸せだった。田舎の中学校という閉じられたコミュニティの中では見つけることができない、「好きなもの」を共有している人を、僕は初めて見つけたのだった。その人が紹介していて、僕がまだ知らない作品を見つけると、それを観賞してみるようになった。


 そのブログは特に人気もなく、コメント欄はいつも空っぽだった。僕は熱心な読者だったくせに、コメントをしたことはなかった。一度くらい何かを書いていれば、今でもこうしてそのブログを忘れられずにいることは、なかったのかもしれない。


 2011年3月11日、東北地方太平洋沖地震と、それに伴う「東日本大震災」が発生した。僕は中学生2年生だった。地震が起こった時、僕は同級生達と共に教室にいた。その日は何か特別なイベントがあって、みんなでなぜかホットケーキを食べていたと記憶している。ゆっくり大きく揺られるような感覚が始まってすぐに、僕たちは防災訓練の通りに机の下に潜りこんだ。動き回ろうとする机の足を、必死に両手で掴んだ。


 鋭い音がして、女の子の短い叫び声がした。誰かのホットケーキの皿が、床に落ちたようだった。


 しばらくして揺れが収まると、そのまま教室で待機になった。海沿いの学校だったから、津波が来るのが怖かった。だから「震源は東北だそうです」と校内放送が流れたとき、少し安心した気がする。でも、僕の住んでいた静岡県からは随分と震源が離れており、遠方でこれだけの揺れを感じたことに、次第に恐怖を覚えた。


 教師達の間でどのように決定がなされたのか、正確には分からないが、僕たちはそのまま帰宅することになった。僕は真っ直ぐ家には帰らず、友達の家に寄った。そして、テレビをつけてニュースを観た。


 テレビ画面の向こう側で、津波が、街を飲み込んでいた。既に何台もの車が流されていて、動いている車の後ろを追いかけるように津波が迫っていた。


 僕は怖くなった。「やばい、やばい」と呟いていた。そして、帰らなければならないと、友達の家を出た。外に出ると誰も人がおらず、不気味で仕方がなかったのを覚えている。


 家に帰っても、僕はテレビを観ていた。それから数日、ずっと家でテレビを観ることしかできなかった。確認された死者の数を報じる速報が怖かった。しかし結局のところ、静岡県に住んでいた僕の身には具体的な被害はなく、家族も、親族も、計画停電を除けば変わらない生活を継続することができた。しばらくして福島から転校生が来て、僕はその彼と少しだけ仲良くなって、そして彼はまた転校していってしまった。彼がその後どのように過ごしたのか、僕は何一つとして知らない。


 でも、何も変わらなかったわけではない。あのブログが更新されなくなった。最後の更新は2011年3月7日で、1週間経っても、1ヶ月経っても更新されなかった。僕はブックマークに入っていたそのブログのURLを何度も開いた。いつでも変わらず、震災前の最後の投稿が表示されていた。


 高校生になっても、大学生になっても、僕はそのブログを定期的に開いていた。そしていつの日からか、「存在しません」という表記と共に、そのブログを開くことはできなくなった。そして僕は、見つかるはずもないそのブログのタイトルを、グーグルで検索するようになった。存在しないことを確認しているようなもので、無駄なことは、僕も十分理解している。


 そのブログの管理人は、死んでしまったのか、それとも震災がきっかけとなり更新をやめてしまっただけなのか、本当のところはもう、さっぱり分からない。


 インターネット上で仲良くなった人で、もう連絡を取らなくなった人はたくさんいる。突然アカウントを消してしまった人もいるし、僕がログインしなくなったソーシャルメディアのアカウントにも、友達がたくさんいた。その中の誰かが死んでいたとしても分からない。生きていたとしても、関係が途絶えてしまえば同じことなのかもしれない。だから、あのブログの管理人が生きていようと死んでいようと、僕には関係がないのかもしれない。


 最近は、機械翻訳をしてくれるチャットアプリを通して、モロッコの女性と毎日チャットをしている。彼女はアラビア語と英語を使用して語り、僕は日本語と英語を使って語る。「全能の神(と翻訳されたもの)」の存在を信じている彼女に悩み相談をすると、普段は決して受けることのない人間の在り方そのものに関わるようなアドバイスをされる。僕は上手くその「全能の神」を信じることはできないけれど、新鮮で面白い。


 インターネットとオープンな心さえあれば、僕は何度でも新しい友達を見つけることができる。自分をどこへでも、たとえばモロッコにだって接続することができる。自分と同じ作品を好きな人を見つけることもできるし、遠いアフリカの会ったこともない顔も声も知らない、言葉だって違う友達と人生について語り合うこともできる。


 だから、死んでしまったかもしれない人のことも、連絡を取らなくなった人たちのことも、気にする必要はないはずだ。そう思っているはずなのに、僕は今日も、あのブログのタイトルをグーグルで検索している。そしてそこにある寂しさに、安心している自分がいる。


 インターネットでのみ繋がっている友達との関係は、たしかに簡単に切れてしまう弱い繋がりだ。様々な方法で、簡単に関係性を終わらせることができる。本名のアカウントでなければ、自分の存在そのものを完璧に消してしまうことができる。僕は相手が何歳なのか、どんな顔をしているのか、何も知らない。けれど、僕が知っていることもある。彼がどんなものを好きなのか、彼女がどんなことに悩んでいるのか、僕は確かに知っている。そして僕はそんな人々と、確かにたくさん語り合ってきた。それが薄い繋がりだと誰かに笑われても、僕はそういう繋がりを本当に大切なものだと信じている。そんな友達との別れは、本当の理由が分からなくとも、葬式に参列できなくとも、きちんと寂しいのだと感じたいのかもしれない。


 大切なもの、素晴らしいものだと感じたいからこそ、あのブログのタイトルを何度も何度も検索して、僕の中にある寂しさを噛みしめているのかもしれない。


 僕はこれからも、インターネットを使い続けるだろう。



【僕はインターネットが大好きです。これを読んでくれる皆さんがいるから】

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