【試し読み】ONE PIECE novel HEROINES [Colorful]
『ONE PIECE novel HEROINES [Colorful]』発売を記念して、本編冒頭の試し読みを公開させていただきます。
あらすじ
それでは物語をお楽しみください。
episode:HANCOCK
This is why Nyon-baa passed out.
「――て、そんなわけあるか!!!!」
悲鳴のような突っ込みが九蛇城に響きわたり、驚いた侍女たちが何事かとハンコックの部屋へすっ飛んでいくと、腰を抜かしたニョン婆がわなわなと唇を震わせて床にへたりこんでいた。
「お主があんまりアホなことを申すから、腰が抜けたわ!」
〝海賊女帝〟を相手にこんな口がきけるのは、この小さな老婆くらいのものだろう。ハンコックはニョン婆をひとにらみすると
「なぜアホなこととわかる」
と冷ややかに言い返した。
「なんででもじゃ! そなたの説明を聞く限り、そんなことには絶対にならーぬ!」
「しかし万一ということもあろう」
「ない!」
「なぜ言いきれる。ニョン婆、そなた何か知っておるのか?」
「それは……っ」
つんのめるように口をつぐんだニョン婆に、ハンコックはぐっと詰め寄った。かつてないほど真剣な表情だ。
「どうなのじゃ、グロリオーサ。知っておるのなら、この場で説明してみせよ」
「やかましい! お主、そんなくだらニュことに気を揉むヒマがあるのなら、たまには外へ出て民に顔でも見せてやれ!」
「ルフィとわらわのことを、くだらぬとは無礼な!」
ギャーギャーと親子のように言い合う二人を眺めながら、侍女のエニシダは途方に暮れた。
なぜこんな言い合いが始まったのかといえば――話は数週間前にさかのぼる。
◇
霧雨のけぶる寒い朝。
砦で見張りについていたマーガレットは、ボロボロの小舟が沖合いから近づいてくるのに気がついて、望遠鏡を向けた。
「協定を破ってこの島に近づくなんて……何者かしら」
もしや海軍のスパイかと警戒して目をこらせば、舟を漕いでいるのは見覚えのある顔だった。行方知れずになっていた九蛇海賊団の一員――ダリアだ。
「〝ダリアが帰って来たの巻〟ね!」
「大変! 早く迎えに行きましょう!」
一緒に見張りについていたスイトピーとアフェランドラと共に、マーガレットは海岸へと急いだ。
ダリアが行方不明になったのは、約二年前の航海中のことだ。嵐の日に甲板に打ち上げられた小型海王類を海に戻してやろうとして、いきおい自分までドボンと海に落ちてしまい、それっきり行方不明になったと聞いている。生死不明のまま時が過ぎて、そろそろ葬式をあげるべきかと長老たちが話し合い始めた頃だったのだが、まさか生きていたとは。
マーガレットたちが森を駆け抜けて海岸に出ると、ダリアはすでに舟を降り砂浜にうずくまっていた。
「ダリア! 〝おかえりなさいの巻〟ね!」
スイトピーが声をかけるが、反応がない。
「ダリア、大丈夫!? 怪我してるの!?」
マーガレットが駆け寄ると、ダリアは汗だくの顔を上げた。
「お願い……カッサンドラを呼んで……」
息も絶え絶えに言いながら、全身をガクガクと震わせている。顔色も真っ青だ。やはりどこか怪我をしているのか――ダリアの身体をのぞきこみ、マーガレットは血相を変えて叫んだ。
「大変! もう頭が出てるわ!!」
〝外海へ出た者が時折体に子を宿し帰り来るも、不思議な事に生まれて来る子はみな女〟――アマゾン・リリーは、男子禁制の女人国だ。ダリアの場合も前例にもれず、駆けつけたカッサンドラに取り上げられて生まれてきたのは元気のいい女の子だった。
新生児は寄ってたかって近所総出で世話をするのが慣習である。我先にと世話を焼きたがる女たちに助けられながら育児に勤しんでいたダリアのもとへ、ある日九蛇城からの通達が届いた。
いわく、蛇姫に面会せよ――とのこと。
アマゾン・リリーを統べるボア・ハンコックから名指しで呼び出しを受けるなんて、この国に住む女たちにとっては大事件だ。
「蛇姫様がダリアを呼び出すなんて!」
「直々に面会するってこと!? うらやましい!」
「ダリア、あんた一体何やったのよ!?」
マーガレットもスイトピーもアフェランドラも大騒ぎだったが、ダリアは特段驚かなかった。いつか来ると思っていたし、何を言われるのかもわかっている。
ダリアは外の世界で、ハンコックを裏切った。〝男〟と恋仲になってしまったのだ。
翌日、通達に従って登城したダリアはエニシダに出迎えられ、ハンコックの部屋の前へと連れてこられた。
「蛇姫様。ダリアが参りました」
部屋の中に向かって、エニシダがそっと声をかける。
ぎこちない動きで部屋の中へと足を踏み入れながら、ダリアは自分に言い聞かせた。
――毅然とした態度で臨もう。私はあの子の母親なんだから。
ダリアが一度でも男を愛してしまったことは事実だ。でも、だからといって蛇姫への忠誠心を忘れたわけではない。こうして男と別れ、アマゾン・リリーへと戻って来たのがその証明だ。
何を聞かれても、堂々としていよう。その結果、蛇姫様のお怒りを招いたとしても、後悔はない――ダリアはそう心に決め、ゆっくりと顔を上げた。
この国の主君たる蛇姫は、天蓋のついた広い寝床の上に座り、とぐろを巻いた蛇にゆったりと寄りかかっている。〝海賊女帝〟ボア・ハンコック――その姿を一目見たとたん、ダリアは蛇ににらまれたように、その場から動けなくなった。
そこにあったのは、思考が吹っ飛ぶほどの圧倒的な〝美〟だったのだ。
少し広めのなめらかな額と、切れ長の眦が涼しげなアーモンドアイ、すっと通った鼻筋と薄めの小鼻、そしてシワひとつない柔らかそうな唇。長い睫毛に守られた瞳は聡明さに満ちて黒く澄み、二重のカーブは天使の通り道かと思うほどに流麗だ。
完璧なのは顔面だけではない。人智を超えたボディラインは、つややかに伸びた黒髪に縁どられることで、さらにその価値を際立たせている。なめらかな肌は淡い光を放ち、悪女のような妖艶さと硝子のごとき透明感を併せ持って見る者を誘惑する。くっきりとした鎖骨に飾られたデコルテといい、形の良い華奢な肩といい、開いた服からのぞく胸元といい、どこもかしこも海が割れそうなほどの美しさだ。
こんなに美しいものが、この世に存在するなんて――
規格外の造形美を前に、ダリアは瞬きも忘れて混乱した。生き物としての格が違う。目の奥が痛くなるほど、あまりにとめどのない美貌圧。
どうしよう。今日は蛇姫と対等に渡り合うつもりで来たのに――この人に逆らえる気が全くしない。こんなにきれいな人に……!
ハンコックが軽く首を傾げて、ダリアの顔をのぞきこんだ。黒髪が水のようにしなやかに頰の上をこぼれ落ち、紅を引いた唇が開く。
「ダリア」
ヒッ、とダリアは小さく息を吞んだ。
名前を……! 呼ばれた……!!
ハンコックの声は、まるで音が芯を持っているかのように凜として、夏の日の鈴の音のように心地よく耳に響いた。見た目も良ければ声も良いなんて反則だ。
「よくぞ戻った」
「は、はひ……」
会って十秒足らずでダリアは早くも満身創痍だったが、それでも何とか正気を保ち続けていた。いくら蛇姫様が美しかろうと、このまま失神してしまっては九蛇海賊団の名が廃る。
「あの……」
なるべくハンコックの姿を見ないようにしながら、ダリアは声を絞り出した。
「不注意で……海に落ちてしまい……蛇姫様の航海に……最後まで随行できず……申し訳ございませんでした……」
「少しやつれているな。苦労したか」
「いえ……」
「子を身ごもって帰ってきたと聞いた。外海で、ずいぶん大切なものが出来たようじゃな」
「……あの……」
つい声が震えそうになり、ダリアは喉に力を入れた。言い訳はできないが、ハンコックへの忠誠心が揺らいだわけではないことをわかってほしい。生まれてきた赤子は、アマゾン・リリーの未来を担う、大切な存在でもあるのだ。
「……私の生きがいは、蛇姫様にお仕えすることでございます。その気持ちはきっと、この先も、ずっと変わりません。しかし……仰る通り、外海にいる間に、大切なものが出来ました。それは私にとって……蛇姫様と同じくらい大切なものです」
ごめんなさい、とダリアは続けようとしたが、それより早くハンコックが口を開いた。
「そなたの大切なものは、どんな様子だ。話してみよ」
あれ、聞きたいのは赤子のこと……?
てっきり男と恋仲になったことについて追及されると思っていたので、ダリアは戸惑った。今日呼び出されたのは、赤子の様子を心配してくださったから? だとしたら、蛇姫様は私にお怒りではないのかもしれない。
ダリアはいくぶん落ち着いて、娘の顔を思い浮かべた。家を出る前は珍しくご機嫌だったが、一日の大半は泣いているか寝ているかだ。
「別れ際こそ機嫌よく手のひらを眺めておりましたが、それは稀有なこと。日頃は泣き喚くか、あるいは眠っているのが常でございます」
「何!?」
ハンコックはぎょっとしたように片眉を上げた。
「そんなに泣くのか……?」
「それはもう。泣くことが仕事のようなものでございます」
「そうか。私の知る者は、涙などめったに流さなかったが……個人差があるのかもしれぬな」
泣かない? そんな赤子がいるの?
ダリアは首をひねった。想像もできないが、ハンコックが言うのだからきっと存在するのだろう。赤子もハンコックを前にすると、美貌に目を奪われて泣き止んでしまうのかもしれない。
「それで、泣く以外には何をしている」
「そうですね。お腹がすくと、よく私の乳に吸いついております」
「あれは、人の乳になどまるで興味を示さぬ生き物のように見えるが……?」
「……? そう、ですか?」
乳に興味を示さない? そんな赤子もいるの……?
ダリアは再び首を傾げた。ハンコックの美貌を前にしては赤子も恐縮して、乳が吸いたいなどとは言えなくなってしまうのだろうか。
そもそもハンコックは、赤子とどれほど接したことがあるのだろう。仔ネコだろうと仔アザラシだろうと容赦なく蹴り飛ばすハンコックが、赤子の世話をしているところなどとても想像できない。
「あの、蛇姫様も実際に会ったことがあるのですか?」
思いきって聞いてみると、ハンコックは「ある」とあっさりうなずいた。
「そなたが外海に出ている間に、事情があって手を貸した」
「まぁ、蛇姫様が直々にお世話を……幸運な者もいたものですね」
「こちらの好意はおそらく伝わっていないであろうがな」
「私たちをさんざん振り回しておきながら、本人はきゃっきゃと機嫌よく笑っている。あれはそういう生き物でございます」
蛇姫様ほどの方でも、赤子には振り回されるものなのか。気高く誇り高い主君が、なんだか身近に感じられて、ダリアは少しだけ肩の力を抜いた。
「とにかく……そなた、子を成したからには、その、男と恋仲になったのであろう?」
「はい」
「なれそめを話してみよ」
来た。やっぱりその話か――。
やはり赤子の話はただの前置きで、ハンコックは男とのことを追及するためにダリアを呼んだのだ。
包み隠さず話そう、とダリアはもう一度自分に言い聞かせた。すでに別れた男のことだ。無理に取り繕ったり本音を隠す必要はないし、何より蛇姫様にウソをつきたくない。全てを打ち明けて、あとは蛇姫様の判断にゆだねよう。
まっすぐにハンコックを見据え、ダリアは落ち着いて語り始めた。
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