その5 45分の授業で、何を学びますか?(925文字)
1 はじめに
音楽の授業を参観したところ、情景を思い浮かべて歌うために、歌詞の読み描きをしていました。
文学の学びのような授業が展開されていたのです。
これを見て、私は、とても素晴らしいと感じました。
しかし、ある人は「これは音楽の授業ではない」と否定的な感想を抱きました。
2 大人の授業観
国語の良さを取り入れて、音楽の学びを深めようとする、教科横断的な学びをデザインした教師の授業観。
一方で「国語の読みは国語の時間に学ぶ」という授業観もあると思います。
3 学ぶのは誰?
音楽の授業としてよくない…や、国語の授業としてよい…ではないと考えています。
大事にしたいことは、ある曲の歌詞を味わっていたところ、
・ 歌いたい気持ちが高まる子ども
・ 歌詞を読み描く子ども
・ 頭の中に景色が浮かび上がる子ども
等々、正に十人十色な感じ方です。
この感じ方こそが「学びの入り口だと子どもに気づかせてあげること」が大切だと思います。
また、この感じ方に対する「学び方を教えてあげること」が教師の役割です。
さらに、この感じ方に応じて「学びの場を設定し直すこと」も教師の役割だと思っています。
なぜなら、学ぶのは目の前にいるすべての子どもだからです。
4 音楽科→アート科
狭義のアートとしての音楽を入り口に、音楽、図画工作、文学作品の読み等広義のアートへと広がっていくことが自然な学びではないでしょうか。
教師ありき、教科ありき、45分で完結する学びありきであらざるを得ない現状から、子どもの姿ありきで学びを考える教育観に、少しずつパラダイムシフトしたいと思っています。
なぜなら、学ぶのは目の前にいるすべての子どもだからです。
5 おわりに
教師が主導して、一律に子どもに教え込む授業であったからこそ、時間ごとに教科として区切る必要性が強く感じられたのではないかと思います。
しかし、現在の学習指導要領では、主体的対話的で深い学びのある授業が大切にされています。
未来を創造的に生きていく子どもを育みたい、目の前に起こることを楽しめる子どもを育みたい、そんな授業者でありたいと思います。
子どもの可能性を壊さない教師になりたいと思う今です。