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ヨシダナギさんの写真展を訪れて

ヨシダナギさんの京都大丸ミュージアムでの写真展に行ってきました。

ヨシダナギさんと言えば、アフリカなどの少数民族の暮らす地域に赴き、そこに暮らす人たちと同じものを食べ同じ格好をして、地域の人たちに受け入れてもらい写真を撮らせてもらっているというエピソードを伺っていました。
カメルーンのコマ『族』のところではパンツも脱ぎ捨て、ナミビアのダマラ『族』のところでも上半身裸になり、パプアニューギニアのカラム『族』とはフルーツバット(コウモリ)を食べ、ナミビアのヒンバ『族』とはイモムシを食べたとネットで読みました。
(テレビは見ないので彼女が出演しているクレイジージャーニーは一度も見たことがありませんでした)
この文化人類学の参与観察と同じ経過を経て、地域住民の信頼を得て撮影するという手法が素晴らしいと思いました。

しかし写真展を訪れて少し意外でした。

他の地域はさっぱり分かりませんが、足かけ38年付き合い、何年も現地で一緒に暮らしたトゥアレグ『族』(以下『族』は省略)については僕も一家言あります(笑)

彼らを思い切り格好良く撮っているのは素晴らしいです。
それはまったく否定しません。

しかしそれが昔ながらのトゥアレグらしさや格好の良さを表しているかという点については非常に疑問です。

写真に撮られた人々は、父から子に譲られた伝統的なターバンやアクセサリー(グリグリ:お守りや指輪など)などは身につけていませんでした。
各人それぞれの好みで設えた伝統的な衣装でもありませんでした。
全員が同じ服装(ズボンとサンダルは違いますが)とアクセサリーをしており、それがとても真新しいものに見えて違和感を覚えました。
もしかするとヨシダナギさんの撮影のために作ったのではないか、そうでなくても外国人に見せるためのイベント用の衣装ではないのかと思いました。※事実はわかりません。あくまで僕の印象です。

また
・彼らのトゥアレグとしてのアイデンティティの重要な要素であるラクダに乗った姿がない
・戦に不可欠な革の盾を持っていない
・撮影時には抜身の剣だけ持っていて鞘を身につけていない
など不自然に思うところや彼ら自身が誇らしいと思う姿とズレた、いわゆる西欧的な視点からの格好の良さに思えました。

検索してみるとトゥアレグ撮影時のクレイジージャーニーの動画が見つかりこれを見てみました。
これもまたかなりショックを受けました。
ヨシダナギさんはこの地域の女性にとって重要なヒジャーブ(頭を覆うベール)もせずにトゥアレグに会っていました。
彼女のポリシーはアフリカの人たちの輪の中に入るためには自分も同じように振る舞う、現地の人をリスペクトした撮影ではなかったのでしょうか。
羊の頭や目を食べるとか、日本人受けするインパクトのあるシーンはありますが、立ったままお茶を飲むとか(飲食は座ってする)、異性(男性)と握手するとか、伝統的なトゥアレグの文化・価値観からはおかしな行動がいろいろ目に付きました。
ヨシダナギさん、彼らが飲んでいるお茶を「紅茶」と言っていましたがあれは中国茶の緑茶ですよ。
事前にトゥアレグのことを愛して真剣に下調べをされたでしょうか。

・現地に行って3日目に撮影。
・被写体(モデル)とは当日会って直ぐ撮影
僕が勝手にイメージしていた参与観察型の撮影ではありませんでした。
確かにあのペースで世界各地を撮影していてはそれは無理でしょう。
僕の抱いていた印象は、創られた「写真家ヨシダナギ」のイメージだったのでしょうか。

彼女がアフリカや少数民族を大好きな気持ちは嘘偽りのないものでしょう。
しかし撮影地に行く前にもう少しその習慣を調べ、彼らを尊敬する行動やその文化を踏まえた設定で撮影をされたら、もっと素晴らしい写真を見せていただけると思いました。

おまけ

僕がマリのトゥアレグと暮らしていた当時の僕の写真です(笑)


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