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妻の故郷マリ北部の民族紛争

グンダム(Goundam)はトンブクトゥの西北西約90kmの人口約1万5千人の小さな町です。

【トンブクトゥから来た道をグンダムの町へ入るところ】

雨期(6月〜8月頃)にギニアやマリ中部南部で降った雨はニジェール川を下りながら集まり、次第に水かさを増しトンブクトゥ地方の支流に流れ込み、10月〜12月頃にようやくグンダムを通って季節湖のテレ湖、タカラ湖、ファギビン湖に流れ込みます。
サハラ砂漠の中にあってこの豊かな水系のお陰で、この地域には農耕民(ソンガイ)、牧畜民(フルベ、トゥアレグ、アラブ)、漁民(ボゾ)、商人(アラブ)が暮らし、村々で週に一度の市が立ち、商品や人を運ぶ流通業も盛んでした。

【グンダムの市場で野生のスイカを売る女性】

1990年代、マリ北部でフィールドワークをしていた時は僕もここグンダムをベースにしていました。
娘も6か月から1歳、そして2歳から3歳頃ここで育ちました。

【スパイスを挽いて料理の手伝いをしている(つもり)の娘】

1970年代の旱魃・飢餓から多くの牧畜民が天然ガスや石油で豊かなアルジェリアやリビアに仕事を求めて出て行きました。
そして1980年代後半から1990年代、リビアで軍事訓練を受けて戻ってきたトゥアレグやアラブを中心にしたマリ北部の独立運動が起こり、黒人中心の政府や地域住民と対立しました。
これは単純に肌の色の違いによる対立感情を生み、トンブクトゥ地方でもただアラブやトゥアレグというだけで独立派や武装集団でない市井の人々も、黒人系地域住民や黒人中心の軍隊から迫害を受け、多くの人たちが殺されました。
講演のために来日され、わざわざ我が家まで訪ねて来られたInstitut des Hautes Etudes et de Recherches Islamiques Ahmed Baba (IHERI-AB)の学長もトンブトゥの市内を縛られ車で引きずれ回して殺されました。

当時妻とその家族は、グンダムの北西にあるファギビン湖(と言っても長い旱魃もありニジェールが水が来ることはなくなってしまいましたが)北岸に暮らしていました。
しかし軍が妻の住んでいたの地域にも来るとの情報が伝わり、そこに暮らしていたトゥアレグは、妻とその家族も含め、みな迫害を恐れ僅かな家財道具は砂の中に埋め、取るものも取りあえず北の砂漠に逃げたのでした。
これが先日お話しした事件の背景でした。

そしてこの地域では2000年代後半から、武装したアルカイダ系原理主義集団の活動が非常に活発になっています。
武装したアルカイダ系原理主義集団は分裂を繰り返し、複数の武装集団が存在しますが、どれも主要メンバーがトゥアレグ・アラブであるため、1990年代と同じように黒人系住民のトゥアレグ・アラブに対する対立感情や不満が募ってきています。
ひとつ前の投稿で書いたドゴンとフルベの状況とほとんど同じです。

そして2019年4月11日、このグンダムからトンブクトゥに向かう道で「肌の白い」(アラブあるいはトゥアレグを指す)強盗に抵抗した公共交通機関の若い黒人系運転手が殺され乗客もケガをする事件が起きました。

【事件の起きたトンブツトゥとグンダムを結ぶ道】

これが不満の溜まっていた黒人系住民の感情に油を注ぎ、一触即発の状況になり、グンダムやその近くに住む妻の家族や知人からその状況を伝える連絡がWhatsAppで矢のように入ってきていました。

Urgent
Suite au décès du jeune chauffeur entre la route de Tombouctou-Goundam la population de Goundam est sortie massivement pour manifester leur colère une moto calciné des boutiques cassées une patrouille de la minusma chassée par les jeunes.
En réponse des cultivateurs de Goundam ont été pris en otages par des hommes armés sur le lac Telé, la situation se dégénère une délégation en provenance de Tombouctou est en route.

緊急通報
トンブクトゥ〜グンダム間ルートの若い運転手の死後、グンダムの(黒人系)住民は怒り通りに出て暴徒と化してバイクを焼き、(アラブの)商店を壊し、若者はMINUSMA(国際連合マリ多元統合安定化ミッション)のパトロール隊を排除しました。
グンダムの農民の暴挙に対して、(アラブ・トゥアレグ)は武装してテレ湖に人質を取り状況は悪化し、トンブクトゥからの代表団が(調停に)向かっています。

今回はMINUSMA(国際連合マリ多元統合安定化ミッション)と地方行政の迅速な対応により、大きな民族紛争に発展する前に何とか事態は沈静化されました
しかしその火種、対立感情・不満・不安の元である治安の悪化、横行する略奪行為やアルカイダ系武装勢力の存在は決して消えていません。

平和な日々のグンダムの風景とそこで育った娘の様子。

【母方の祖父と一緒の娘】

【お掃除中】

【自分の飲むミルクを作成中w】

写真はすべて1998年にFinePix 500という150万画素の初期デジタルカメラで640 × 480ピクセルで撮ったものを調整しました。
充分使えますね!

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