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人生は、いろんなところに潜む、「アレ」を手放す修行なんじゃないかと思った話

私の好きな本で、ルイーズ・ヘイの
「ライフヒーリング You can heal your life」というのがある。

ルイーズさんは、もう亡くなっていて、
ホームページには

「米国の大手出版社ヘイハウス社の創立者。
虐待や離婚、癌など多くの困難を乗り越え、
60歳にしてヘイハウス社を立ち上げました。
その生き方は多くの人に勇気や影響を与え、
2017年に90歳で亡くなる直前まで現役の表現者として精力的に活動を続けました。」

とありますが、主に、心や体が病んでいる人に対してものすごく貢献された方と思う。


その、私の好きな、ライフヒーリングという本は
病気が「罪悪感・心のあり方・思考」によってできていて、
病気になっている箇所や症状によって、思考の癖や心のあり方、
罪悪感をどれくらい持っているかがわかるということを語っているのです。

私は、この本を夫にもらった。結婚してすぐ。
しかも、意味深な言葉と共に。

「結婚する人に、この本をあげようと思って
人に貸さずに、大事に取っておいた」と言うのだ。

意味深すぎる。でもその言葉の意味は半年後に
わかることになる。夫は透視でもしているのか?


夫が当時経営していた小さなカフェバーで、この本をお客さんに読ませると、必ずと言っていいほど「貸してほしい」と言われたそう。

しかし、夫は頑なに貸さなかった。

なぜか?

この本は10年ほど前は、まだ、
手に入りにくい本だった。
今ほどネットでどんな本でも買えるという感じでもなくて書店ではほとんど売っていなかった。
絶版の雰囲気に近かった。


だから、夫はまだ見ぬ嫁のために、
必死に貸さずにいたのだ。
健気だが、そこまでしてなんで?としか当時は思えなかった。


話を戻すと、私たち夫婦が結婚して半年くらい経った頃、妊娠している事がわかった。
と同時に、私の「卵巣腫瘍」が発見された。


その瞬間、私はあの本を思い出して、思った。
あぁ夫は、このためにあの本を人に貸さず取っておいたのだ、と。

本当に恐ろしい。うん、夫の透視能力の方が恐ろしい。


しかし私は、不思議と病気のことには悲観的にならなかった。
今思うとなんでだろう?
なぜか、「治る」という自信すらあった。


私は、病気が発覚して瞬時に思った。
「赤ちゃんが、病気を教えてくれた。なんてすごい子なんだ。
ありがとう。
そして、自分に謝ろう。こんなになるまで、自分を大切に
できなかったこと、感謝できなかったこと、ごめんなさい。」


私は「無理してる」という感覚が、人より多分薄い。
幼い頃から、なんでもそつなくできるタイプだったし周りに頼られたり、お願い事をされたりが多かった。


3人姉妹の長女だし、勉強もスポーツも
そこそこはできていた。飛び抜けてもないと思うけど。


そして、責任感が強い、我慢強いという性格。
頼まれると断れないし、自分より他人を優先していまいがち。
人に親切にしたいし、頼られる自分でいたい。
そんな思いもきっと強かった。
だから、無理をしてても、後で氣付くタイプ。


20代の頃は特に、
自分を癒す、とか、ゆるませる、とか
楽しいことだけして過ごす、とかの発想がなかった。
それが、できなかった。


それをすると、「罪悪感と共にやる」ということになる。

そう、ここで、「罪悪感」が出てくる。
今日のタイトルにある「アレ」とは罪悪感のこと。


人は罪悪感と共に行動していることが、多々あるのだ。しかもほとんど、自覚なしで。
今思うと、私は「自分に優しく、甘々にすること」に
無意識に罪悪感を持って生きてきた。
自分の本音に、我慢して生きてきた。


その結果、卵巣腫瘍という形で体が
「無理な思考をしているよ」と教えてくれた。


私はなぜか、直感は昔から鋭い方。
だから、病気になった時、ピンときた。
病気になった理由がわかった。
夫からあの本をあらかじめもらっていたことも、
私の中で点と点が線で繋がった。


でも、そんな瞬時に原因がわかるなんて、、、
自分でも薄々、我慢を重ねていたことに
氣付いていたに違いない、と今では思う。

そして、不思議なことに
私は、咄嗟に「神様」にも謝った。

「やっぱり、自分を大事にできてなかったですよね?
ごめんなさい」と。

「自分を守る、自分を大事にする、最優先にする」ことに
罪悪感を持っている人は、多い。しかも無自覚に。

ということに、私はこの歳になって氣付いた。(39歳)


ちなみに、みんな氣になるかもしれないので言っておくと、その時の赤ちゃんは無事産まれて
現在9歳の、サッカー少年になっている。
そのあと女の子も2人生まれた!

私はというと、そうだ、その時奇跡を起こしたんだった!(忘れてたんかい)
なんと、卵巣腫瘍発覚の1ヶ月後に「完治」していた。


お医者さんには、このままでは卵巣が腫れ上がって
破裂してしまう。そしたら激痛で耐えられないから
一刻も早く切除しないといけません、と言われていた。


私は早速、自分を大事にできてなかったことを反省して
自分の氣持ちを最優先にした。結構いうのに勇氣がいった。

「1ヶ月待ってください。1ヶ月だけ。」と言って
手術は、待ってもらった。
この1ヶ月で病気を治して、私は手術は受けない。
そう決めたのだった。

そして、本当に1ヶ月後に卵巣は正常に戻っていたので
大学病院のお医者さんは目を丸くしていた。
小さくなるはずがないんですが、、、と言いながら
起きたことを受け入れるのに戸惑っていた。


いや、そこ、喜ばんかい。(氣持ちはわかる)
と思いつつ、検診に3時間も待ち時間がある
大学病院を去って、自分の希望の産婦人科で
無事出産したのだった。
この時ばかりは、自分、ブラボー。


今日、なんでこんなブログを書いたのかは
自分でもわからない。
もしかしたら、この文を読んで、少しでも
救いになるひとがいるのだろうか?
いや、自分のためかな?

心のあり方や思考一つで、もしかしたら
「未来」は変えられるかもしれない、と
少しでも希望を持ってくれるひとがいるのだろうか?

もしそうだとしたら、私の病気も本当に
無駄じゃなかったんだね。うん。
それは、ありがたいし嬉しい。


一つ、言えることは、やっぱり
「心の持ち方、思考、罪悪感のあるなし」
は人生を大きく変える、ということ。

私は、今日、初めてnoteに想いを綴ったのだけど
もしかしたら、私はこれから
そういう人生をよくするヒントを
私の「波乱万丈、いっつも不思議なことと奇跡と
修行が起こる人生」を通して
お伝えしたいのかもしれない。

結構特殊な人生なのかも?と、今思った。


一度しかない人生、死ぬ時こう思いたい。
「あーーーーーー遊びきった!」ってね。

最後まで読んでくれて、本当にありがとうございました。
めっちゃもう、仲間。勝手に。
またね。



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